傑作か駄作か?

少し前にWOWOWで放送されていた「リング0~バースデイ~」を視ました。ずいぶん前にテレビ放映されたのを視たのか、あるいはレンタルで視たのか、それともスカパー!かWOWOWで視たのか、まるっきり覚えていませんが、視たことがあるのは確かです。

 

2000年の作品ですか、懐かしいですね。仲間由紀恵も若いし、スーちゃん、田中好子が生きていましたから。順番としては「リング」があり、「リング2」が公開され、この作品ですから、ある程度ジャパニーズ・ホラーとしての「リング・ワールド」は世間に出来上がっていたわけで、怪物・貞子がどうして生まれたのかという謎解き的な物語としてこの作品は出来たようです。それにしてもネットなどを見る限り、鈴木光司の原作では、一連の「リング」作品はホラーではなかったはず(原作小説を読んでいないのでスミマセン)。それが映画「リング」の大ヒットで一躍ホラーの代名詞のような作品になってしまったわけですから、このようなスピンオフというか、外伝的な作品、いったいどこまで原作者の意志が働いているのか、そして原作者の意志に忠実なのか、こちらとしては全くわかりません。

ストーリーとしては、貞子の母親の超能力実験に立ち会った新聞記者たちはその後次々と死んでいき、そんな死んだ記者の一人を夫に持つ、やはり新聞記者の田中好子が、夫の死の真相究明と敵討ちのために貞子を追いかけるというストーリーと、自分でも制御できない力に恐れおののき、劇団に入団するも異物として怖がられながら、効果音担当の田辺誠一との淡い恋に心をときめかす青春時代の貞子の物語がもう一つあります。

結局、伊熊平八郎の説明によれば、自分は貞子の本当の父親ではなく、化け物(映画の中では何であるか結局は明かされていないと思いますが、爬虫類、両生類的な生き物のような……、それで人間との交尾が可能なのか?)と志津子との間に産まれた子供で、最初は一人だったけれど、幼い頃に二つに分かれ、一方が可憐で美しい仲間由紀恵、もう一方が邪悪な化け物として貞子であるとされています。伊熊博士も化け物・貞子には手の打ちようもなく、薬で成長を止める(遅らせる?)くらいしか出来ないと言っていました。ですので、映画の中では子供の姿で登場します。

それにしても、化け物・貞子と暮らしてきた伊熊本人が貞子に殺されなかったのは不思議です。やはり親子の情なのでしょうか? そして伊熊博士みずからも恐怖におびえていたのであれば、またふつうの人間として成長しつつある仲間由紀恵の幸せを願うのであれば、早いうちに化け物の方を殺してしまってもよかったのではないかという気もします。たぶん、親子の情として殺すのは忍びなかったのでしょうし、たぶん殺意を抱いた途端、自分が殺される危険もあったのでしょう。

映画を見る限り、仲間由紀恵の方の貞子に特殊な能力があったのか、化け物・貞子の能力が仲間・貞子を通して発現していたのか、今一つわかりません。化け物を仕留めれば、仲間・貞子は幸せに暮らせたのか。

それにしても、貞子の力を怖がって、逆に貞子(仲間由紀恵)をボコボコにして殺してしまう高畑淳子を初めとした劇団員、ある意味で、彼らの方がよほど怖い存在ではないでしょうか? 人間手集団ヒステリーになると平気で人を殺してしまうのかと思わされます。原作者の意図は、案外こんなところにあったのかもしれません。

そして、いまや大人気の麻生久美子が出ていましたし、あたしの大好きな奥貫薫ちゃんも、貞子に最初に殺されてしまう劇団の女優役で出ていて、やっぱりかわいいなあと思いました。結局、この作品は「リング」とは別ものとして鑑賞すべき作品なのでしょうね。ネットの映画評もそういう意見が多く、傑作・駄作の評価が分かれている気がします。

 

骨壺

またしても、アイドルB級ホラー映画の視聴。今回は「骨壺」です。

AKBやアイドリングのメンバーがメインを張っている映画で、そういう意味ではそれぞれのグループのファンを取り込もうという大人の事情が透けて見える、あざとい映画とも言えます。ちなみに視聴したのは昨日で、いまこのダイアリーを書いている時に、フジテレビで浅見光彦シリーズが再放送されていますが、そのテーマが遺骨、骨壺であるというシンクロが起こっております。

さて話は戻って「骨壺」です。これも原作は山田悠介で、「リアル鬼ごっこ」もそうですが、基本的には謎解きというほどのミステリーや推理ものではなく、ホラーといっても小中学生や怖がりな人なら驚かせることができるだろうというレベルです。ストーリーも、作者は意識的にこういう作品を書いているのでしょうが、かなり荒唐無稽です。

とある惨殺事件で殺された人(女性)の遺骨、と言うより遺灰を食べると呪われて死ぬという都市伝説があり、遺灰を手に入れた主人公の周りで、誤って、あるいは故意に口にした人々が死んでいくというもの。死に方は突然発作が起きて死ぬ、ということですが、必ず死体の一部がなくなっています。それは惨殺された女性のお腹には子供がいて、その女性がせめて子供だけはこの世に生み出させてあげたいという思いを抱いて死んだからであると説明されます。つまり、体のパーツを集めて、もう一つの人間(?)を作り出し、それを自分のお腹の中の子供に見立てるという寸法です。

なんで何人も殺してパーツを集めなければならないのか理解不能ですし、年齢や性別もバラバラな遺体を集めてつなぎ合わせるという無茶なこともしています。何人か人が死んでいき、最後は一連の事件の原因を作ってしまった罪の意識から、主人公も遺灰を飲み、時分が最後のパーツ、頭部の提供者になります。パーツが揃ったところで呪いは消えたのか、いや、そもそもそんなことで呪いが消えるのか、この点は理解できませんし、謎解きもされていません。

そもそもが理解できない設定ですが、せめて呪いの対象は妊娠している女性にのみ向けられる(=嫉妬)とか、赤ん坊ばかりを狙うとかでないと、惨殺された女性の悲哀や悲しみが伝わらないのではないでしょうか? それに、そもそも恨みを抱いて死んだとはいえ、本来恨むべきは自分を惨殺した犯人でしょう。作品中ではその事件は未解決とされています。一連の呪い殺人が真犯人を暴き出す、追い詰めるとか、犯人に復讐するという目的に向かっているわけでもありません。これもまた共感できないところです。

さて、映画だけを見て、原作を読まずに批判してはいけないと思いますが、もしこの作品が山田悠介の原作に忠実なのだとしたら、あまりにもB級作家という気がしてしまいます。もちろん、主たる読者対象たる中学生あたりにターゲットを絞って書いているということを踏まえれば、そういった年頃の子供たちの気持ちを鷲摑みにする、極めて頭のよい作家だとも言えると思います。仕事柄、ヤングアダルト世代の話を聞く機会がしばしばありますが、彼らの好きな作家では山田悠介の名前が頻繁に挙がりますから、やはり作品作りがうまいんだろうなあ、と思うわけです。

携帯とはいえ

休みの日の恒例行事と呼んでしまっては、あまりにもあたしの日常が哀しいかもしれませんが、とはいえ、寒い日に出かけるのも嫌ですし、自宅でぼんやり映画鑑賞です。

 

携帯彼氏+(プラス)」と「携帯彼女+(プラス)」の2本です。同じ話の違う立場から見た映画なのかと思っていましたが、それぞれ別の作品でした。ホラーと呼ぶにはあまりにも幼稚なストーリーではありますが、確かにイマドキなテーマであり、シチュエーションだとは覆います。

前者は、女子高生の間で流行っているスマホ・アプリ「家庭教師+(プラス)」に、メーカー純正のアプリとは別のアプリが存在し、それは実は死んだ体罰教師の怨念によって生み出されたものであるという趣向。途中、アドレス帳から友達を選ばせる設問があり、それがこのアプリの伝播の仕方となっていて、そんなところはかつての「着信アリ」的な伝染の仕方に思えますが、「自分が次のターゲットを選んでしまった」という罪悪感を抱かせるところがいっそう罪深い気もしました。

最終的には、合わせ鏡で霊の通り道を作り、それによって邪悪な教師の怨念を追い払い、成功したかに見えてまだダメで、3Dで教師が出現する元となっているARカードを燃やしてしまうことで、その教師を退治するというエンディングです。ARカードを使うなんていうのは、さらにイマドキで、ケータイ(ガラケー)ならできない業、やはりスマホでないと成り立たないアイデアですね。

後者は、同じくスマホ・アプリではありますが、こんどは家庭教師ではなく、バーチャルアイドルの育成です。このアプリのすごいところは、自分のスマホで作り出したアイドルがARカードなしでもスマホ越しに見えるところ、そして、このアプリで他人が作ったアイドルも見えるというところでしょうか。端から見るとアイドルオタクの男子たちがウジャウジャいる場面も、そのスマホ越しに見ると男子一人一人にアイドルが付き添っていうように見えるのは、なんとも不思議というか、気持ちの悪い光景です。

このアプリの場合、主人公のゲームオタクの男子生徒と、中学時代の同級生から突然送りつけられたこのアプリのせいでイライラしているイマドキの女子生徒の、アプリの恐怖を通じて芽生えるほのかな恋模様もストーリーの軸ではあります。この女子生徒役は逢沢りなで、男子生徒のアプリの中野アイドル役は荻野可鈴でした。あくまで映画の中に映るイメージでは現実の女子生徒よりも、バーチャルアイドルの方がかわいかったと感じたのはあたしだけでしょうか?

さて、こちらの映画は、アイドルを育成して点数を稼ぐわけですが、要らなくなったアイドルをスカウトに出す(=捨てる)こともできるというのが、なかなかシュールです。ただし24時間いないに別に人にスカウトされないと、元の主人のところに戻ってきて、さらに点数も減点されるという巧妙さです。点数がゼロになるとプレーヤーは皆自分で首にナイフを突き立てるなどして自殺してしまいます。スマホ越しにはアイドルに殺されるのが見えるのですが、世間からは自殺しているようにしか見えないのです。逆に点数がたまってゲームをクリアすると、バーチャルの世界に行ってしまうようです。この男子生徒と女子生徒も意図したわけではなく、バーチャルの世界に迷い込んでしまいますが、なんとか現実世界との通路を見つけ出し(←これも男子生徒が通常のゲームをやりながらつぶやくセリフにヒントが伏線として隠されています)、無事に戻ってくるのですが、別にそのアプリを壊したとか、バーチャルの世界を潰したというわけではありません。あくまで自分たちだけが逃れてきたというだけのことです。

この両作品、ネット発のさくひんなわけで、非常に底の浅いものです。いかにも中高校生の間で流行りそうな、たわいのない噂話、いわゆる都市伝説的な内容です。いつでも身近に置いておけるという意味では「携帯」というタイトルは正しいのですが、携帯電話という意味で使っているのであれば、既に作品の中でも使われているのはスマホですから、時代はどんどん先へ進んでいることを実感させられます。かといって、「スマホ彼氏」「スマホ彼女」では据わりが悪い気もしますし……

そもそもが荒唐無稽なので

寒い一日。自宅で映画鑑賞です。って、いつも通りですね(汗)。

  

「リアル鬼ごっこ」の3・4・5です。以前、パート1、2は見ていたので、こんどはその続きというか最新作を鑑賞しました。

 

まずパート1とパート2はしっかりとした続きものです。ストーリーは繋がっています。そして2のラストは、さらにパート3、パート4もあるぞという期待(?)を持たせる終わり方でした。ところが、このパート3からパート5までは、前二作とは全く関係がありません。いや、近未来の東京が「王様」と呼ばれる独裁者に支配されていて、その王様が突然命をかけた鬼ごっこの開催を宣言するという設定自体は同じですが、話は全く異なります。

パート1とパート2ではパラレルワールドが存在し、そのパラレルワールドで鬼ごっこが行なわれているという設定でした。パラレルワールドですから、向こうの世界にもこちらの世界と同じ人間が存在していて、こちらで死ねば向こうでも死ぬ、向こうで死ねばこちらでも死ぬという具合です。ただ、主人公だけは特殊な状況下で生まれたためにパラレルワールドにはいない、たった一人の存在として位置付けられ、それがこの世界を救う救世主としての役割にリンクしていく設定でした。

対してパート3からの三部作にはパラレルワールドは出てきません。現実に数世紀後の東京を独裁者が支配しているという設定です。三作は同じリアル鬼ごっこに放り込まれた人たちを、それぞれ三つの場所で描いた連作のような作品で、主人公たちがニアミスしています。なんでB型の人間ばかりを狩るのか、その種明かしはパート5で明かされますが、そういう意味ではこの三部作はパート3からパート5というタイトル付けが間違っていて、「新・リアル鬼ごっこ」1~3とした方がよかったのだろうと思います。

鬼に捕まると頭にボルトを打ち込まれて殺されてしまいますが、これも捕まってすぐに打たれて死んでしまうその他大勢と、捕まっても抵抗してなかなか打たれず、間一髪で逃げ延びる主人公たちという都合のよいシーンが満載です。パート5まで見て種明かしがされるので、パート3と4では、何のために鬼ごっこが始まったのか、そして本当に鬼ごっこは終わったのか、よくわかりません。せっかくの連作なのだし、主人公が各作品でニアミスしているのだから、最後に全員が一緒になってもよかったのではなかったかという気もしますが……

パート5で主人公は王様の宮殿(?)に乗り込みますが、サラリーマン時代にあれほどドジでダメな社員だった男が、あれだけのことができるとは到底思えません。愛の力というにしては説得力がなさすぎるでしょう。それに助け方、最後に王様の騙す手段も、とても彼が思いつくとは思えないし、思いついたとしても実行できるとは思えない方法です。

登場する主人公たちはどれもパッとしません。若手アイドル予備軍といったタレントさんたちなのでしょうけど、男は格好良くないし、女もかわいくないです。だからといって華があるわけでもなく魅力にあふれているわけでもありません。どうしてこういうキャスティングになったのか疑問です。ただ唯一、パート5の仲間リサはきれいです。カワイイです。

タイトルと内容が……

この数年、冬に訪中しなくなってからというもの、お正月はのんびりと自宅で過ごすのが定番となっています。初詣にも行かず、年始のあいさつにも行かず、郵便受けまで新聞や年賀状を取りに行くのと、年賀状の返事をポストまで出しに行くくらいしか家から出ないで過ごしております。

というわけで、ずいぶん前にとっておいたスカパー!の映画を鑑賞。

たぶん日本では劇場公開されていないのではないでしょうか。B級とも言えないホラーです。タイトルはアパートなのですが、大学の学生寮。昔はアパート(マンション?)として使われていた築100年のかなり老朽化した建物です。休みになってほとんど学生が帰省する中、主人公となる同室の女の子3人と、そのうちの一人の彼氏一人、それからあまり他人と打ち解けない男子生徒一人の五名が寮に居残っています。あとは門衛のおじさん。

ストーリーは、恐ろしい霊が現われて一人また一人と殺していく、主人公たちは必死に逃げ、最後はまあ主人公とあと一名が生き残るという、この手のホラーではありがちな内容です。最初に現われる少女の霊が殺人を犯すのではなく、自分は殺されたということを訴えたかっただけというのも、まあありがちでしょうか。そうとは知らない主人公たちは交霊会を開いて、その少女の霊を呼び出そうとしますが、出てきてしまったのは少女を殺した男の霊。この男、同じくこのマンションに住んでいた連続殺人鬼で、既に数十年前に捕まって電気椅子にかけられた刑死しているのです。そんな殺人鬼の霊をなぜ呼び出すことができたのか、名前を呼んだからなのでしょうけど、ちょっと理解不能。例えばこのアパートで殺されたとか、そういうのであれば、この場所で呼び出せるのも理解できるのですが……

くだんの殺人鬼の霊、結局、見事倒せたつもりのようなエンディングですが、エンドロールの合間の最後のワンシーンで、実はまだやられていないことがわかります。別の人間の体に乗り移ってうまいことこのアパートから外へ出ることができました。この後どうなってしまうのでしょうね? もちろんこんなB級とも言えないような映画では、パート2が作られることもないでしょうし、現に数年たった今でもパート2が作られた気配はありませんね(笑)。

そして、これが一番肝心なことですが、ホラーなのに怖くありません。迫ってくる恐怖とか、得体の知れない恐ろしさ、逃げられないという絶望感、そういったものが全く感じられません。だったらグロいシーンで見せるのかと言えばそんな殺戮シーンはほとんどなく、この手のアメリカの学生主人公映画にありがちなエッチシーンや裸も皆無と言っていいでしょう。何に期待してみればよいのかわからない映画です。主人公の女の子も飛びきりの美人でもなければブスでもなく、ごくごく普通にカワイイ女の子で、取り立てて魅力的という感じではなかったです。

 

暮れらしい?

年末だからといって、特にいつもと変わった過ごし方をするわけでもなく、ふだんの休日とあまり変わりません。あえて違いを言えば、土日二日間よりも休日が格段に長いということくらいでしょうか。そんな大晦日、少し前にスカパー!でやっていた映画を録っておいたので視ました。

 

往年の名作アニメ、ヤマトです。最後の作品では沖田艦長も復活し、地球を水没から守るためにヤマトは自爆して地球を救ったというラストでした。それから十数年後の設定というのが今回の復活篇です。ネットの情報によると、この復活篇は三部作になっていて、現時点では第一部のみが製作、公開されています。既に公開から数年たっていますが、キムタク主演の実写版、オリジナルのリメイク版など、このところヤマトが再び盛り上がっている(?)のでスカパー!でも放送されたのでしょう。これ以外にもオリジナルのテレビ版ヤマトもスカパー!で放送されています。

さてこの復活篇。オリジナル版とディレクターズカット版の二種類があり、そのどちらもが放送されました。この二つ何が違うのかって、結末が違うのです。三部作の第一部なのに結末が違っては第二部はどうなるのでしょう、という疑問も沸きますが、これまたネット情報によると、最初に公開した時にこの両者を流し、ファンの人にどちらを採用するか投票してもらったそうです。それで決まったのが通常版で、ボツになったのがディレクターズカット版だそうです。

ストーリーの基本は同じです。宇宙の彼方に移動型のブラックホールが出現し太陽系に向かっている、このままでは地球は飲み込まれてしまう。科学者がいろいろな方法を考えたがどれも技術的に困難で、結局、別の惑星へ移住するという選択をした地球人。その移民船団が移送の途中に何者かに襲われ、極秘裏に建造が進められていたヤマトに古代進が艦長として乗り込み、敵と戦いながら移民船団を守るというストーリーです。

敵の正体は、意味先の惑星近辺の宇宙国家連合。地球人の移民を侵略と思い込んで攻撃してきたわけですが、国家連合の盟主的な国が邪悪な心の持ち主で他の国家にこれは地球人の侵略だと信じ込ませていたというわけで、この邪悪な国家にヤマトは闘いを挑みます。で、ここからがオチになるのですが、先に述べた移動型ブラックホールは、実は生命体のようなもので、邪悪な国家(劇中ではSUSとアルファベットで呼ばれています)に操られている模様。そのSUSも別次元の世界からこの世界に入り込んできた生命体で、ヤマトに敗れ、ひとまずは自分たちの次元へ戻っただけです。

オリジナル版では、ブラックホールが敵の操るものだとわかったので、ブラックホールの中心付近に力の切れ目のようなものを発見し、そこへ波動を打ち込んでブラックホールを消滅させて地球を救う、という結末です。この闘いの中でヤマトのデータ解析担当女性クルーが死んでしまいます。ディレクターズカット版は、そういったブラックホールの正体には触れられず、地球はそのまま飲み込まれて終わりです。ヤマトのクルーは誰も死にません。いかにも、まだ続きますというエンディングです。

通常版とディレクターズカット版は、その他にも細かなシーンでいろいろ違いがあるようですが、ストーリー全体に影響するほどのことではありません。まあ、ファンの人が地球が亡びないバージョンを選択したのは納得できますが、地球が飲み込まれても、飲み込まれた先の世界へヤマトも向かい、敵を倒して地球を取り戻すというストーリーを制作者側は考えていたのかもしれません。

あたし自身は、両方を視て、松本零士ではない絵のタッチに馴染めず、そのくせ登場人物の描き方は、特に女性などは松本零士的で違和感がぬぐえませんでした。ストーリーも石原慎太郎が原案とありますが、何を描きたいのか理解不能です。もうあのじいさんはボケていますね。(まあ、これまでのヤマトも作品を続けるための強引な設定でしたけど)

最大の謎というか不可解は、古代と結婚した森雪が最初の方で行方不明になります。死んだのかどうか定かではありません。たぶんこの三部作は新たな敵との戦いの他に、いなくなった森雪を探すというのも大きな柱になると予想させる出だしです。ところが三部作の第一作だからなのか、その後森雪の行方のヒントになるようなシーンは一切ありません。結局、森雪はどうなっちゃったの、というフラストレーションが残ったまま終わります。敵が異次元の生物ということで、戦闘の際に何かの弾みであちらの次元に転送されてしまったのではないか、それをヤマトが、古代が救出に行くという展開が予想されますが(勝手に予想したのですが)、ストーリー上はそのヒントすら見えません。

森雪はどこへ行ってしまったのでしょうか?

 

映画鑑賞

土日は、特に出かける用事がなければ、自宅でのんびりと、スカパー!なやWOWOWで録画しておいた映画を鑑賞しております。最近視たのはこれらです。

  

まずは前者「ローズマリーの赤ちゃん」です。

ずっとずっと以前に、たぶんテレビで放映されたのだと思いますが、視たことのある作品です。ただ、ホラーと言うよりもよくわからない内容の作品だったという記憶しかなかったので、久々に放映されていたので見直しました。で、結論から言いますと、やっぱりよくわかりません。当時としてはこういったシチュエーションや状況設定、ストーリー展開は新鮮だったのかも知れません。だから本作はホラー映画史の中でも名作と呼ばれているのだと思います。

しかし、結局は主人公である若妻の妄想なのではないか、という気がしないでもないです。最後まで見て、悪魔崇拝だという決定的な証拠はありません。単にうざったいだけの隣人でしかなく、どこをとっても若妻の妊娠期における精神不安定がなせるものとしか言えないと思います。最後のシーンも、どこまでが現実でどこまでが主人公の妄想の中のことなのかわからずじまいのエンディングです。これではストレスだけが残る終わり方です。

次はアイドル映画ですね、「王様ゲーム」です。個人的にはW主役の一人、鈴木愛理ちゃんが可愛いと思います。本作でも重要な鍵を握る人物のように描かれていますが、最後はあっけないです。もっと見せ場が欲しかったところです。と言うよりも、この作品自体があっけないです。一連のゲームが何らかの呪いのようなものによって引き起こされているというところまでは明かされますが、作品中では呪いの原因、どうしてこういう惨劇が始まったのか、なにもわからずじまいです。せっかく事件が始まった場所まで行ったのに、わかったことがあれだけでは、あの場面を出した意味がわかりません。

たとえ荒唐無稽な呪いとはいえ、やはりなぜそんな呪いの惨劇が始まったのか、何を目的としているのか、映画の中でわかるように描いて欲しかったな、というのが率直な感想です。所詮はアイドル映画だからというのは言い訳にはならないと思いますが。

最後は「麒麟の翼」。もうWOWOWで放送か、という気もします。感想を一言で言うと、なんか偶然というか、うまい具合に阿部寛の思ったとおりに事が運びすぎる、いくらなんでも都合よすぎるでしょ、ということに尽きます。よく練られた伏線という感じもしませんし、トリックが意表を突くというわけでもなく、結局はくだらない事件だったんだな、というのが偽らざる感想です。

それでも中井貴一は存在感がすばらしいですし、ガッキーは文句なくカワイイです。それがなにより。

バツゲーム

スカパー!の東映チャンネルでやっていた「×ゲーム」を録っておいたので視ました。

 

パート1とパート2があって、どちらも視たのですが、別に続きものではありません。それぞれ独立したストーリーです。どちらにもAKB48の微妙に知られているメンバーが出ていて、いわゆるアイドル映画と言えるのかも知れません。ただ、AKBって「伝染歌」もそうですが、ホラーが好きですね。

ちなみに、「×ゲーム」は「バツゲーム」と読みます。山田悠介原作なので、それほどの凝ったストーリーは期待できませんが、それでもパート1の方は意表を突くどんでん返しと言いますか、真犯人はお前だったのか、という意外感があって楽しめました。パート2の方は最初からこの人が実は黒幕じゃないかというのがわかりやすかったと言えば言えなくもないです。その分、サブストーリーを膨らませたかったのかも知れませんが、事件を追う新聞記者にしても、上層部に捜査中止を言い渡される刑事にしても突っ込みが足りなくて何のための伏線か、という感じでした。

そもそもが、閉じ込められた空間でわけのわからない拷問にあうという展開が、世界的大ヒット映画「ソウ」の二番煎じに感じられますし、「ソウ」ほどのドキドキ感もストーリーの巧みさも感じられないという作品です。昔のイジメの復讐劇というシチュエーションは日本的な味付けと言えますが、だったらもっとおどろおどろしい、ドロドロとしたものを加味しないとせっかくの「日本風味」が生きてこないのではないでしょうか?

まあ、アイドル映画という立場からすれば、このくらいが精一杯なのかな、というところでしょうか。