映画というより……

正直に言って、2時間ドラマ、という感じでした。何がって? これです。

映画版「桜蘭高校ホスト部」です。もともとはコミック原作の作品のようですが、それは知りません。

あたしはあくまでTBSでやっていた川口春奈主演の実写版ドラマを見ていたのです。

で、そのドラマの放映中に既に映画版のことはアナウンスされていて、それがこのほどWOWOWで放映されたというわけです。その感想が、申し訳ありませんが表題の通りです。この内容なら映画にするよりも、2時間のスペシャルドラマとした方がよかったのではないかと思います。その2時間ドラマを深夜でやるか、ゴールデンでやるかは悩みどころですが……

なんというのでしょう、バカげた設定のコメディ。深夜に何も考えず視聴率も気にしないで作っているからこそ楽しめるのであって、わざわざ映画にする意味があったのか疑問が残ります。特に篠田麻里子の演技、あれはちょっとね。映画版のゲスト女優なわけですが、もう少し陰翳が欲しいところですが、そのあたりの薄さがこのドラマの本来の持ち味なわけで、だからこそ映画にはすべきではなかったのではないか、と思うのです。

とはいえ、あたしは川口春奈ちゃん、好きです。W主演の山本裕典とは「GTO」でも競演していますよね。

人形は怖い?

本日の鑑賞はこちらです。

 

一応、ホラーに分類される映画「デッド・サイレンス」です。人気シリーズ「ソウ」の監督・脚本コンビの作品と言うことで、それなりに期待されていたようですが、それほど怖いわけでもないですね。もちろん、人形というのは呪いとか怨念とか、そういったものが込められやすいので怖いものというのは日本でもありがちな設定ではありますが。

本作は、ある若い夫婦の元に差出人不明の腹話術の人形が送られてきて、その直後、夫の外出中に妻が惨殺されるところから始まります。当然のことながら夫が容疑者として疑われるわけですが、人形が入っていた箱に書かれていた言葉と、自分が育った故郷の言い伝えとの符号に気づき、夫は久しぶりに自分の故郷を訪れます。そこには大きな屋敷に体を壊して車椅子生活を送る父親と、その面倒を見ている若い後妻が暮らしています。

夫は、この村で妻の葬儀を執り行ない、葬儀屋のじいさんから村に伝わる忌まわしい事件の話を聞きます。それはかつて行方不明になった子供がいて、その誘拐犯として村で暮らす腹話術の人形遣いの女性が疑われ、村人によって惨殺されたという事件です。その女の鈍いが、惨殺した村人たちを皆殺しにしているというものです。

で、主人公もその皆殺しを行なった村人の子孫になるわけです。他の一族は惨殺直後に腹話術師の呪いで全員が殺されている(謎の死を遂げている)のに、なぜこの主人公の一族だけはこうして後嗣を残せたのか、作品中では一切説明はありません。脚本が破綻していると言えるかもしれません。

妻が殺されたのも、そのお腹の中に子供がいるから、一族皆殺しを遂げるためだったと明かされますが、そう言われればますます主人公が生き残ってきた理由が不明です。故郷を出て都会で暮らす主人公の元へ人形が送られてくるくらいですから、逃げても意味はなかったはずなのに……。

結局、ネタばらしをすると、故郷の父は既に死んでいて、父に見えたのは父の遺体を使って(?)作った精巧な腹話術の人形です。後妻が、惨殺された腹話術師の生まれ変わりなのか、甦った姿なのか、乗り移られているのかは知りませんが、とにかく犯人です。腹話術の技術を使って、父がいかにも生きて話しているように見せていただけです。

邪推というか、想像をたくましくするならば、他の一家はすべて皆殺しにし、残るは主人公の一族だけ。本妻を殺し、あとは当主だけと思ったところ、実はその当主には都会で暮らす息子がいたと、呪いの主である腹話術師(=悪霊?)は知ったのではないでしょうか? そこで当主を殺しつつも後妻のふりをして、いかにも当主はまだ生きているように見せかけて息子がここへやってくるように仕向けた、というところでしょうか? でも、妻を簡単に殺せたわけですから、都会にいたままでも息子(=主人公)を殺すことは出来たはずですが……

いずせにせよ、あっちこっちにストーリーのおかしなところがあり、冷静に見れば突っ込みどころ満載です。映像もグロテスクなところはあまりなく、視覚的な怖さもありません。殺された腹話術師の怨念も深く書かれているわけではないので、そういうゾクゾク来る怖さにも欠けています。ただ、現代の話なのに故郷での映像はちょっとクラシックな感じできれいと言えばきれいでした。

 

まだまだ続くよ

今年の桜はそろそろ終わりそうだという東京ですが、今日は寒い一日でした。なので、自宅で映画です。まずはこちら。

ひとりかくれんぼ 劇場版 -真・都市伝説-

です。

いわゆるアイドル・ホラーで、はっきり言ってしまえば、もう見飽きた内容です。取り立てて新趣向と言えるものもないので、気楽に見られます。結局、ひとりかくれんぼというのは降霊術の一種のようなもので、悪霊を呼び出してしまい全員殺される(殺されるのか、あっちの世界に連れて行かれるのかは不明)というストーリーです。

強いて言えば、途中で「もしかして、あの女教師が仕組んだやらせなのか」という思わせぶりもあり、そこの部分は当たっていたのですが、まさか自分も悪霊のターゲットになっているとは思っていなかったというのが、女教師の誤算でしたね。悪霊の造型は完全に「貞子」という感じですから、こちらも見飽きた感があります。

継いでの視聴、鑑賞はこちらです。

劇場版 SPEC 天

 

堤幸彦ワールド全開というところなのでしょうが、作品としては「ケイゾク」の方がはるかに面白くて、はまったという感想を持っています。とはいえ、SPECもテレビシリーズ以来ずっと見ていましたし、結構はまっていました。

今回は既に完結篇の映画公開がアナウンスされている状態ですが、そういう先入観があるからでしょうか、映画のはずなのにテレビシリーズを見ていないと作品を十分に楽しめないような始まり方ですし、此の後も続きますよ、というエンディングに感じられました。

つまりは、この作品単体としてはやや物足りない、すべてが中途半端に感じるということです。やはりこの秋の完結篇まですべてを見ないとならないのですかね。それはそれで興行側としては成功なのかもしれませんが……

 

フェリーニ

今朝もスカパー!でちょうどやっていたジャッキー・チェンの懐かしい作品を鑑賞です。

例によってジャッキー、サモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウの三人が大活躍する「香港発活劇エクスプレス 大福星」です。これは日本が舞台の作品なのですが、親日家と言われたジャッキーにしてはずいぶんと日本の描き方がおかしいです。もう少し日本人の意見を聞くなり、ちょっと見てもらうなりすれば防げたようなミスというかおかしなところがかなりあります。まあ、日本人が見るからそう感じるのであって、香港で封切りされた時にはどうでもよいことだったのでしょうね。とにかく、これは単純に見て楽しむ作品です。

次の作品はこちらです。

1967年の映画、「世にも怪奇な物語」です。1967年って、あたしの生まれた年ですね(笑)。

これはエドガー・アラン・ポーの作品を三人の監督がそれぞれ映画化したオムニバス作品で、ネットの映画評ではフェリーニが監督した3作目「悪魔の首飾り」がダントツの評価を受けているようです。あたしが見た限りでは、最初の「黒馬の哭く館」はとにかくジェーン・フォンダが魅力的です。退廃的な空気がよく出ているとは言えませんが、古城や海など景色の映像はきれいです。とても半世紀近く前の作品とは思えません。

次の作品があたしには一番ホラーとして怖いと感じられましたが、とにかくアラン・ドロンの魅力が満載です。アラン・ドランが格好良くもありつつ、とにかく悪いです。イヤな奴です。でもその悪さの裏にある人間的な弱さがよく出ていたと思います。

最後の作品が実は一番わかりにくかったです。これが最高という評が多いのは、やはり皆さん映画をよく見ている方なのでしょうか? 主人公の破滅っぷりは憐れですが、もう少しストーリーにわかりやすさというか、ストーリー性が欲しいと感じるのは、あたしがフェリーニ作品を知らない人間だからでしょうか? これぞフェリーニなのでしょうか?

そういえば、フェリーニと言えば、あたしの勤務先からこんな本を出していましたね。

コミックの方がよい?

休日のお楽しみ、録りだめた映画鑑賞です(笑)。今回はまずこちら。

 

「パラノーマル」の模倣作品と言ってしまえば、まさしくその通りです。あくまで実際に起こったこと、たまたま残されたフィルムに映っていた作品である、というスタンスです。

閉鎖された精神病院、そこではしばしば不思議な現象や目撃談があり、当時は患者を使った非人道的な人体実験が行なわれ、実験の犠牲になった患者たちの霊が……、という趣向。賄賂を掴ませて見てもいないものを見たと言わせたり、初めのうちはチープなドキュメンタリー番組の製作風景を見せていて、いかにもB級というテイストです。6時間もかけてやってくる「地元」の霊能者もインチキ感ありありで笑えます。

B級作品ですから結論を言ってしまうと、撮影クルーは迷路のような廃病院の中で全員命を落とすことになるのですが、映像にはしばしば鮮明に霊(悪霊)が映ります。この手の映画ではチラッと怪しげなものが映り、それが悪魔だ、悪霊だと大騒ぎして怖がらせるのがふつうだと思いますが、この作品ではモロに出てきます、襲ってきます、追いかけてきます。

いくつかの悪霊はそれっぽくてリアルなのですが、あそこまで出てくると嘘っぽくて、安もののお化け屋敷じみていて興醒めです。そして、ケータイや懐中電灯が使えなくなる中、結構長持ちするカメラのバッテリーがやはり不思議です。それにしても、この手の映画はいつまで続くのでしょうね? そろそろ次の趣向を考えないと、もう完全に飽きられていると思います。

さてさて、次はガラッと変わってこちらです。

   

大ヒットコミックを原作として、この映画も日本アカデミー賞などでいくつか受賞をした作品です。

はい、単純に楽しめます。面白かったです。理屈抜きで楽しめます。原作コミックとはいろいろ異なりますし、やはりコミックの方が面白いとは思いますが、これはこれで楽しめるのではないでしょうか? 後半、上戸彩を始め現代日本のおじいちゃんたちが古代ローマへタイムスリップしてしまうあたりからは、ちょっと雑な進み方を感じますが、2時間弱の長さに収めるには仕方なかったでしょう。むしろ、マンガ家落第生の上戸彩が、あんな短期間でラテン語をペラペラ操れるようになるのか、そちらの方が不思議です。

今回鑑賞した二作品、どちらも映画のパート2があるのですね。

 

アイドルホラー

風の強い日曜日でしたね。外がやや黄色く感じたのは、東京でも黄砂の影響でしょうか?

さて、本日は録りだめておいたのではなく、ちょうどイマジカで放送中のこの映画を見ました。

七福星」です。懐かしいです。サモ・ハン・キンポーにジャッキー・チェン、そしてユン・ピョウ。若いです。このシリーズ、内容はどれも似たり寄ったり、この三人のカンフー・アクションとヒロイン役の美女がメインで、あとはコメディーたっちでドジばかりの仲間たちという構図です。

やはり、この頃の三人が大活躍しつつも、しっかりと笑いを忘れない時代のジャッキー映画は見ていて楽しいです。続いては、こちらは録っておいたものですが、いわゆるアイドルホラーです。

それはこちら、「ひとりかくれんぼ 新劇場版」です。元AKB48(出演当時は現役)の増田有華主演ということですが、あたしは名前くらいしか知らず(←たぶん脱退とか卒業とか、そういった類いのニュースで知った)、顔を見ても見覚えはありませんでした。

ストーリーは、増田有華扮する女子高生がこの一月くらい連絡のつかなくなってしまった兄のアパートへ行くと兄は不在で、パソコンの画面にはひとりかくれんぼに関するサイトが開かれていた。ひとりかくれんぼとは何か調べ始めた増田有華は、とあるひとりかくれんぼの掲示板に兄とその親友の呪い殺すと書かれているのを発見し、その兄の親友と一緒に兄を捜し回る。そもそもの原因は兄とその親友が小学生の頃クラスメートの女子をいじめていて、その女子生徒がその後行方不明になったという事件があり、その女子生徒が今になってその恨みを晴らそうとしているのでしょう。行方不明の後見つかったのか、それとも死んでしまったのかはわかりませんが、生き延びていないと「ひとりかくれんぼ」で恨みを晴らすことは出来ないと思うのですが、そのあたりははっきりとは描かれていません。

兄の親友も最後はやられてしまいますが、そちらは兄と同様、小学校の頃のいじめられていた女子生徒の呪いということなのでしょうが、だったらなんでとばっちりのように主人公・増田有華にも襲ってくる悪霊のようなものがいるのかというと、これが最後の最後に種明かしされるようなワン・シーンがあります。書いてしまいますが、もしかすると、あたしの理解が間違っているかもしれませんが、つまり増田有華には別の呪い・恨みがかけられていたということですね。ですから、兄たちがいじめた女子生徒とは全く関係がないわけです。では誰が増田有華を恨んでいたのかというと、それが最後のシーンなわけで、つくづく女って怖い、それに尽きます。

比較的凝った作りにしているようで、悪霊の造型はリングの貞子とか、これまでのホラー映画からいろいろ持って来て貼り合わせたようなものばかりで、この映画のオリジナリティは感じられません。こんな作品ばかりが作られていると、Jホラーも飽きられますよね。って、もうとっくに飽きられているのでしたっけ?

それにしても、この映画の増田有華は志田未来に見える時が多々ありました。いや、志田未来だったらもう少し演技うまかっただろうなあとは思います。

B級?

先週の土日は出張が続いていたので、久しぶりに休んでいるような気がします。って、今週の火曜日に代休を取っていたじゃない、と突っ込まれたら返す言葉もありませんが……(汗)

さて、本日見ていた映画はこちらです。

まずは『デビル・インサイド』です。母親がイタリアの精神病院に入院させられている娘が、母親は悪魔に取り憑かれているのではないかと思い、悪魔払い師と共に母親を助けようとするストーリーです。昨今はやりのフェイク・ドキュメンタリーで、それなりによく出来てはいますが、もうこの手の手法には慣れてしまいましたね。

結局、解離性人格障害なのか、悪魔に取り憑かれているのかわからずじまいの母親、悪魔払いをする神父が助けようとしていた別の少女、主人公の母親の悪魔に乗り移られて自殺してしまった神父などなど、フェイク・ドキュメンタリーなので、結末がなんとも中途半端です。結局誰一人助かっていないわけですよね。

ストーリー自体は、エクソシストものとしてはありきたり、特に新味があるわけではありません。フェイク・ドキュメンタリーだから仕方ないのでしょうが、あそこまでカメラで撮らせるかな、というシーンが随所に見られました。

続きましてはこちら。

スプライス』です。

科学者夫婦がDNA操作で新種の生物を密かに作りだしてしまうというストーリーです。それにしても、バイオ系の会社が科学者にこういう実験をやらせているという設定って多いですね、と思ったのですが、これはアメリカではなくカナダとフランスの合作映画。それがまずは驚きです。

ただし、こういう映画につきもののおどろおどろしい新種の生物というのではなく、美しい(?)女性として造形されているところが面白いです。「美しい」と書きましたが、これが微妙に気持ち悪い、気色悪い女性でありながら、見方によっては美しく見えなくもないという絶妙さです。(←あたしは、ああいう目の離れた女性は苦手ですが)

ですから、科学者の男性と出来てしまうシーンがあるのですが、そこにおぞましさとか、気持ちの悪さは感じられません。それなりにきれいなシーンと言えます。ただ、新種生物をすっきりとした造形にしたためか、エロス感は全く漂ってこないのが残念なところかも。

結局、あたし的には、こういう倫理観にもとる行為を科学のため、人類のためという屁理屈で封じ、実験を強行してしまう科学者の姿には共感できません。何かの間違いで誕生させてしまったのならともかく、この夫婦は作ろうとして作っていたわけですから、その後のストーリーにも共感がわきませんし、かわいそうだとも思えません。あえてかわいそうというならば、勝手に生み出された挙げ句、化け物と呼ばれてしまった新種の生物の方ではないでしょうか?

 

謎は解けた?

寒いですね。こんなに晴れて陽も出ているのに風が強くて寒い、寒い一日でした。こんな日はのんびりと映画鑑賞です。今回はこちらです。

パラノーマル・アクティビティ3」です。シリーズの前作である「パラノーマル・アクティビティ」と「パラノーマル・アクティビティ2」は以前見たことがあり(←もちろん、スカパー!かWOWOWで放送された時に)、今回は第三弾です。

 

この第三弾がパート2の続きではなく、パート1の過去に遡るものであるというのは既に知っていました。というか番組紹介にそんなことが書いてありました。確か前二作はある家庭の少女の周囲でおかしな現象が起こり、その女の子が最後に行方不明になってしまうというストーリーだったような記憶があります。今回の第三弾はその少女、というか姉妹の幼い頃のエピソードです。

結論から書いてしまうと、つまりこの姉妹の周囲でおかしな現象が起こるのはすべて祖母の悪魔崇拝から始まっていた、ということなわけですね。母親(祖母から見たら娘)まで殺されてしまうという幼児体験はかなり強烈だと思いますが、そもそも母親は自分の母親がそんなことをしていると、まるっきり気づいていなかったのでしょうか? そこがなんとも不思議です。

しかし、少女に悪霊、あるいは悪魔が取り憑くという設定は往年のヒット作「ポルター・ガイスト」ですね。それをフェイクドキュメンタリーの手法で見せているわけですが、第一作こそそんな悪魔崇拝的なものは出さず、とにかく家の中でおかしなことが起こっているというところに拘って見せていたのが成功の原因だったと思いますが、二弾、三弾と行くうちに、これらの現象に理由付けをしなければならなくなったというのでしょうか? それが悪魔というのでは、やっぱりアメリカ、キリスト教国だなあという感想しか持てません。既にフェイクドキュメンタリーというよりはただのホラー映画、それもさほど怖いとは思えないホラー映画になってしまっていて、種明かしが悪魔崇拝の一族というのでは、ちょっとガッカリでした。

ただ、そこまで信じ込んでしまい、実の娘も平気で殺せる祖母という存在。これが最も怖いかも。それにしても、このシリーズのヒット以来、フェイクドキュメンタリーのホラーが数多く作られていますが、本当にこんな状況下でカメラを回し続けられるのか、いや、固定カメラの場合はともかく、カメラを持って家の中を歩き回ったりする時に、よくもカメラを放り出したりしないなあと感心してしまいます。例えば、プロの戦場カメラマンなら銃弾が飛んできてもカメラを離さないのかもしれませんが、これらの作品は基本的に素人が自宅で録っているという設定ですから、あそこまでカメラに執着できるのはちょっとおかしいと思います。まあ、カメラを放り出してしまったら、たぶん映像が残らないわけですから、この手の映画手法の前提が崩れてしまいますよね。

寒い時はより寒く?

晴れてはいますが暖かくはない祝日、建国記念日。より寒さを感じようなんて気持ちは毛頭ありませんが、以前録っておいた映画を視聴しておりました。まずはこちらです。

フローズン」です。一応、大ヒット映画「ソウ」のスタッフが再集結して作った作品だと言うことですが、なんかB級感があります。

内容を簡単におさらいしておくと、若者(大学生)三人がスキー場へ遊びに来ます。もう本日の営業時間は終わりというタイミングで、最後にもう一滑りしたいからとリフトの係員に無理を言って乗せてもらうが、係員の交替などで三人がリフトに乗っているのを忘れた(滑り降りてきた別の三人組と勘違い)係員のせいでリフトが止められてしまいます。週末だけ営業するスキー場なのか、運悪く三人が乗ったのは日曜の晩、つまり次の週末までリフトが動くことはない、スタッフなどが見回りに来ることもないという状況です。

最後の一滑りですから時刻はもう日が暮れる頃。あっという間に暗くなり、営業終了したスキー場は照明も消されます。真夜中の山の中、やや吹雪のリフトの上で取り残される三人。飛び降りようにも十数メートルはあろうかという高さです。男子が一人飛び降りますが、足を折り動けなくなり、オオカミの餌食となりますが、週末はふつうにスキー客で賑わう場所に、これだけ野生の狼がいるというのも不思議な話です。日が暮れかけた頃、一台の整備車両がパトロールのようにリフトの下にやってきます。リフトの上からスキー板やスノーボードを投げてアピールするのにパトロール車の運転手は気づきません。これも、いくら寒くて手がかじかんでいる、高いリフトの上からだからコントロールが難しいとは言え、あそこまで近寄っていたのだからボンネットに当てるくらいは出来ると思うのですが、ほとんど当たらず、パトロール車も帰ってしまいました。まあ、ここで助けられたら映画になりませんから、おきまりのストーリー展開ですが。

その後、残った男性がワイヤーをつたって支柱まで移動し、ハシゴで下へ下りて麓まで助けを呼びに向かいます。その後を追いかける狼たち。いつまでたっても戻ってこない男性を、一人寂しく不安に駆られながらリフトの上で待つ女性(最初に飛び降りた男性のガールフレンド)。二人目の男性が移動しようとした衝撃でワイヤーが切れ、ズルズルと下へ落下してしまいます。一気に落ちたのではないので足の骨こそ折りませんでしたが、落ちてきたリフトが向こうずねに当たって、たぶん骨が折れたような感じです。とにかく這いながら麓へ向かいます。途中、支柱から下りて助けを求めに言った男性がオオカミに喰われている現場を目撃しまうs。幸いにも狼たちは男性を喰うのに忙しく、その女性はなんとか麓の国道(県道? 村道?)までたどり着き、通りかかった車の男性に助けられおしまい。

最初の方のシーンで指名手配のポスターを伏線のように映しているシーンがあるのですが、あれがなんだったのか? 最後に助けたドライバーが犯人だった、というドッキリもなければ、助かったと思ったのは女性の妄想で、目が覚めたらやはり自分はまだ一人ぼっちでリフトの上にいた、なんていうどんでん返しもありません。もうひとひねり欲しいところです。

続いて、冷えきった体を温めるのにふさわしいかわかりませんが、鑑賞したのはこちらです。

血の伯爵夫人」です。劇場未公開の作品だそうです。DVDやBlu-rayも発売されていないようです。WOWOWでやっていたものです。

ストーリーは歴史上の人物、エリーザベト・バートリの物語です。寡聞にして、こんな女性がいたことを知りませんでした。確かに、追いに対する恐怖から正気を失い狂気に走った哀しい女性の物語とも言えます。ナレーションにもありましたが、果たしてどこまでが真実なのか、彼女を罪に問うた側のでっち上げはないのか、歴史学界でも議論があるようですが、恐らく、このような話が語られる何らかの原因は彼女の素行にあったのでしょうね。

最初のうちは、若い男性と恋におちるのだから、もう少し若々しいきれいな女優さんを使えばよかったのにと思いましたが、自分が置いていく恐怖を表現するわけですから、見るからに若くてきれいな女優ではストーリーが破綻してしまいますね。

 

こんどはパート2

本日の映画鑑賞は「リング2」です。

久しぶりの鑑賞です。既に何回かWOWOWでも地上波でも放映してますよね? 先週の「リング0~バースデイ~」と同じ頃、WOWOWで放映されていたのを録っておいたものです。「リング0」が「リング」シリーズとは全く別ものと見た方がよい作品であるのに対し、こちらは一応は続編です。真田広之も松嶋菜々子も出ています。ちなみに、松嶋菜々子、若いですね。当然のことですが。

前作がJホラーの金字塔的な作品になったわけですが、本作はややピントがぼけている気がします。呪いのビデオを科学的に捜査、検証するわけでもなく、小日向文世演じる科学者(←こちらも若い!)が科学的に解明しようとするも、なんとなくすっきりしない展開です。中谷美紀が若くてかわいくて、強いのだか弱いのだかわからない役を演じていますが、こちらも主役というにしては決定的な役割を演じきっていないようなところを感じます。

全く中谷美紀の脳内妄想だけで進行、展開しているのではないかと思われる作品で、結局、貞子の呪いは子供の体から離れたのか、死んだはずの深田恭子の体を借りて生き続けているのか、そんなところもわかりにくい結末です。次回作、パート3を意識したエンディングなのか、それとも収拾がつかなくなってこんな風になったのか。

そもそも鈴木光司の構想とは懸け離れ、全くのホラー作品になってしまったわけですから、ここから原作に戻そうというのが無理だったのかもしれませんね。それでも、中谷美紀がかわいかったから堪能できました。そう言えば、一連のテレビドラマ版「リング」では、この役は矢田亜希子が演じていましたね。懐かしいです。

さて、時間がまだあったのでもう一作。

こんどは洋画、「キラー・インサイド・ミー」です。原作の翻訳が出版されているのですね。それも、河出書房新社の『内なる殺人者』と扶桑社の『おれの中の殺し屋』という二つも。映画を見た感想は、翻訳が二つモデルほどの傑作とは思えない、というところです。もちろん原作は傑作なのに、映画がそれをぶち壊している可能性もあるのでしょうが……

誰でも心の中に狂気を持っている、という設定は悪くないと思います。でも、それが表われるきっかけがなんともお粗末。子供の頃の体験が尾を引いているということらしいですが、あれだけの映像ではよくわかりません。そもそも主人公の抱えた心の闇が全く表現できていないと思います。

もちろん、これでもかというくらい狂気を見せつければよいというわけではありませんし、いたずらに主人公が狂う必要もありません。ああいうクールに顔色一つ変えず人を殺せる人というのもいるでしょう。でも映画である以上、見る人にもう少し説明があってもよいのではないでしょうか? これは全くの駄作なのか、それとも新しい映画の手法なのか?