不安の種

テレビ東京は昔から平日の昼間、結構面白い映画をやっていることで有名です。B級と言ってしまえB級なんですが、それだけにマニアックなものも放映されたりして、時々はチェックしておかないとなりません。

そんなテレ東で放映された一つ、タイ映画の「心霊写真」です。

原題が「shutter」というように、心霊写真をモチーフにしたホラーです。内容としては暴力をふるわれ捨てられた女が自殺し、その霊が取り憑くというストーリーで、主人公の男性には多少の同情もしますが、結局のところ、お前の優柔不断さがすべての原因なんじゃないの、という気がします。

孤独な女の子と友達になってあげるのはいいけれど、肉体関係にまで行ってしまえば、向こうも本気なのはわかるはず、それなのに誠実に対応しようとしない態度が一番の犯罪なのだと思います。結局、一番憎い相手は殺さずに生かしておく、つまりは半殺しの廃人同様に追い込むとは、なかなか怖いです。

さて、もう一作。こちらはスカパー!でやっていた作品、邦画の「不安の種」です。

コミックが原作だそうですが、あたし、コミックはまるっきり知りませんでした。主演は石橋杏奈。この子、ホラー映画にはよく出ていますね。ホラー向きの顔立ちなんでしょうか?

さて、内容ですが、いくつかの話が入れ替わり立ち替わり現われるのですが、それも同時に起こっていることではなく、どうも時間がかなり異なる物語が順不同で現われます。最終的には石橋杏奈を中心とした一つの話に収斂していくのですが、それでも最後まで理解できないところが多々あって、謎は謎のまま残っている、という感じです。このスッキリしなさ加減が「不安の種」なのでしょうか?

夏と言えばホラーです

夏と言えば怪談、でしょう。スカパー!の各チャンネルでも探してみると映画チャンネルを中心にいろいろやっているようです。で、二本、見ました。まずはこちら。

トイレの花子さん 新劇場版」です。このシリーズは過去のものも見たことがあるような気がしますが、とりあえず本作は初めてです。

ストーリーは、まあ子供向けのライトなホラーですね。多少グロいシーンはありますが、ストーリーとしてはそれほど怖くないです。ネタバレ的に書いてしまうと、花子さんが主人公と異父姉妹、母親がかつて結婚できなかった(とおぼしき)男性との間に産んだ子供で、花子さんが生まれたために男性に捨てられたため、戸籍にも登録されず学校にも通っていない子供として花子さんは描かれています。現代で言えば家庭内暴力の犠牲ですね。結局、主人公の父となる男性と巡り会った母親が過去の男性との子である花子さんが邪魔になり殺してしまった、というのが花子さん出現の遠因のようです。

ということで、いろいろ恨みを抱いて死んでいったとおぼしき花子さんですが、小学校低学年くらいで殺されていますから、果たして怨念などを抱けるほど社会を認知できていたでしょうか? ちょっとそこが疑問です。それに、だったら母親と異父妹である主人公を恨み殺すべきであって、学校内でイジメはあったにせよ、学校の生徒を殺すというのがわかりません。殺した相手も中途半端ですし。

そもそもトイレの花子さんと言いますが、それは学校にも行かせてもらえなかった花子さんが、学校のトイレに忍び込んでは遊んでいたから愛着があったということなのでしょうけど、前半では花子さんがトイレで死んだ(殺された?)っぽいストーリー展開に感じられます。それならトイレの花子さんの意味もわかるのですが、どうやら自宅で殺されているみたいですし、遺体はどう処分されたのか、最後までわかりません。子供向けのホラーとはいえ、もう少し辻褄が合うようにしてくれないと怖くは感じないですね。

さて続いてはこちらです。

トリハダ 劇場版」です。こちはホラーと言っても、音量が出てくるとか、グロテスクな映像描写があるとか、そういうことはありません。むしろ、日常の中のちょっとした出来事からジワジワくる恐怖を描いています。どの話も実際にありそうで、そして誰もが犯してしまいそうで、それだけに怖い話ばかりでした。

話の中では、まずは「見えざるものの中にある真理」という、トランクルームを借りている女性の話。おとなしそうな女の子の一瞬の狂気、そしてトランクルームに隠された恐ろしい実態。本当に怖いです。カリバニズム的な内容の「理想と現実の相違から訪れる闇」は、ある意味、正統派のホラーだと思えます。それにしても見知らぬ人の料理を受け取ってしまう主人公、あまりにも脳天気というか単純すぎます。現実には一番ありえない展開だったと思います。

そして、個人的に一番怖いと思ったのは見えないストーカーに狙われる「自身に降りかかった悪夢と結末の相違」です。毎日通勤の上着のポケットに丸められた紙切れが入っていて、そこには数字が書かれていて、30からカウントダウンが始まります。1と書かれた紙が玄関の中に置かれていて、怖さを感じた主人公は同僚に付き添ってもらい帰宅します。その時、郵便ポストを開けた同僚の額に矢がズバッと刺さり同僚は死亡します。病院で泣きじゃくる同僚の両親を尻目に主人公はニンマリ。

さて、このラストの解釈です。同僚が犯人だと思った主人公がやられる前にやり返したのか? それはちょっと違うかな、だってポケットに数字が書かれたメモが入れられているタイミングと同僚と一緒の時間が合いません。

では、自分の代わりに犠牲になってくれたから、これで自分がストーカーに悩まされることはないとホッとした笑顔なのか? この可能性がなくはないのですが、あたしはこの説は採りません。

あたしの解釈では、自作自演であることは間違いないと思います。そして不安におびえる自分を同僚が心配してくれるのも計算どおり。うまいこと自分のアパートまで誘い、ポストを覗かせる。そこには矢が仕掛けてあり、蓋を開けたらズドンです。あたしはこのように解釈しました。ただ、この説の難点は、なぜ主人公がここまで同僚を憎んでいたのか、その理由が描かれていないことです。男を巡るトラブルとか、職場での諍いとか、何かしら伏線があってもよかったと思うのですが、それはわかりませんでした。

それにしても、怨霊やゾンビよりも、やはり生きている人間が一番怖いですね。なお、今回見たのは第一作で、近々第二作が公開になるようです。

パート2です

一年ほど前でしょうか、確かWOWOWで放映された「貞子3D」を見て、この夏、遂にその続編である「貞子3D 2」が放映されました。

前回は石原さとみがヒロインで、あたし的にはもう「リング」とは別の作品、これは単なるコメディーではないか、という感想でしたが、今回のパート2に関しては前作よりはホラーに戻っていました。

ストーリーとしては前作から5年後、瀬戸康史と石原さとみの娘、凪が幼稚園児になり、その周囲で人が次々に死んでいきます。凪は不気味な絵を描いていて、凪に描かれた人は描かれたとおりの状況で死んでいくのです。

ここまでですと、凪って貞子の生まれ変わり? 前作で貞子と対決した石原さとみの体内に貞子が取り込まれて、その石原さとみから生まれたときに凪の体の中に貞子が入り込んでしまったの? という設定もありえそうです。でも、普通に考えたら、自分の誕生と共に母を亡くした凪が母を求めて情緒不安定になっている、というわかりやすい心理学の症例ではないかと思います。そうなると描かれた絵と死者との関係が説明できませんが、とりあえず偶然と言っておきましょうか?

話は、瀬戸康史の妹で彼が働いている間、凪の面倒を見ている瀧本美織の生い立ちとも絡んできます。瀬戸康史と瀧本美織の母親は瀧本美織が幼いときに風呂場で自殺しています。それを見つけたのが幼い瀧本美織で、彼女は母親を救えなかったという自責の念に駆られて生きてきたわけです。母を助けられず失った者同士として瀧本美織と凪がシンクロするわけです。

で、貞子は実際にところ存在しているのか? そこがこの作品の最後までの謎なんです。凪の描く絵も彼女が予言しているのではなく、頭の中、心の中に浮かんで情景を描いているだけ、凪には人が死ぬ怖い光景が見えてしまうんですね。それを発散、解消させるために絵を描いているのではないでしょうか? 子供なりの自己防衛本能だと思います。

では、凪にそんな情景を見せているのは何か。それが貞子らしいと作品中では匂わせています。途中までは、いかにも凪が貞子の生まれ変わりのように描いているのですが、後半は凪は操られているだけ、本当の貞子の生まれ変わりはあらゆるところに出没している、という感じになっています。このあたり、もう少し貞子を使って怖がらせてくれてもよかったのにという憾みが残ります。

そして憾みが残ると言えば、石原さとみは生きていた、という唐突な設定も本当なのか、瀧本美織の心の中だけの出来事だったのか、いまひとつはっきりしません。そして前作では怪演していた山本裕典も今回はなんだったのでしょう?

で、全体を見ての感想なんですが、瀧本美織が思いのほかカワイイ、幼いころのトラウマを抱えていたとはいえ、行動にちょっと疑問符が付くところはありましたが、全体としてはよく演じていたのではないかと思います。少なくとも後半に出てきた石原さとみよりはかわいく感じられました。

そして、凪ちゃん役の子が愛らしいです。それにしても、いまどきの幼稚園で母親がいないくらいであれだけいじめられるのでしょうか? そりゃ、確かに凪はちょっと暗いし他人に打ち解けないところがありますが、見た目が不気味なわけではないですからね。あれはいじめっ子の方が悪い、お前なんか殺されて当然だ、と多くの観客が思ってしまうのではないでしょうか?

ただ、そんなことより、この凪ちゃんが、妹のところの下の姪っ子に似ていて(姪っ子も、ああいう長い髪なので)、あたしはものすごく感情移入して見てしまいました。

 

救いがなさすぎる!

休日のお楽しみ、映画鑑賞です。今回は「アフターショック」です。

 

タイトルだけではよくわかりにくいですが、パニックホラーとでも呼ぶのでしょうか。モンスターとか、悪霊とか、殺人鬼とか、そういったものは出てきません。もちろん「悪魔払いもの」でもありません。

簡単にストーリーを紹介しますと、南米チリで女の子のナンパに明け暮れる男性三人が、アメリカから旅行に来た女性三人と知り合います。面白いイベントがあるからとクラブへ誘い、六人で会場へ向かったまではありがちなストーリー。ここで女の子たちは男に騙されていてことがわかり必死にそこから逃げようとする、というのであれば数多の映画の亜流であって、何の面白味もありません。

この映画はここからとんでもない方向へ向かいます。イベントを満喫していた六人ですが、そこに突如、大地震が襲います。建物が崩れるくらいですから、巨大地震と言ってよいでしょう。瓦礫の下敷きになって死者も多数出ています。主人公たちの一人も、他の人を助けようとして却って自分の片手を失うような大けが負います。それでも六人は何とか会場から表へ出ますが、外はパニック状態です。刑務所が被災したということで凶悪な囚人たちも街へ逃げ出し収拾の付かない混乱状態になっています。手首からの出血が止まらない主人公の一人は高台にある病院へ向かうケーブルカーに乗せてもらいますが、無理が祟ってケーブルが切れ、ケーブルカーごと中腹から地面にたたきつけられあえなく死亡。残った男子二人、女子三人は安全な場所を求めて街の中を歩き回りますが、脱走した囚人に見つかります。男だけならまだしも、女連れでは囚人たちから見たら絶好のエサでしかありません。五人は一生懸命逃げます。途中で余震に遭い、男子一人が瓦礫の下敷きになり瀕死の重傷。彼を助けるために惹起などの道具を借りに残る男子一人と女子一人がその場を離れます。下敷きになった男子一人を見守る女子二人。そこへ囚人たちがやってきます。

最初は隠れていたものの、女子の一人がこらえきれずに飛び出して囚人たちに見つかりレイプされます。それを助けようとした瓦礫の下敷きの男子は、なんと生きたまま焼き殺され、囚人たちはもう一人いるはずの女子を探しに散っていきます。そこへ消防士を連れて、道具を借りに行った二人が戻ってきます。レイプを続ける囚人の一人を殺し、女子を連れその場を離れようとしたときに囚人たちが戻ってきて、レイプされた女子が拳銃で撃たれ死亡。この時点で、最初の六人が、男性一人、女性二人(この二人は姉妹)の三人に減っています。それとここから合流した消防士。

この四人で逃げる途中、住民によって閉鎖された街の一角に行き当たり、自分たちは囚人ではないから中に入れて欲しいと頼みますが、疑心暗鬼の住民たちに断わられ、挙げ句の果て、男子一人が銃で撃たれ瀕死の重傷。途中、彼を隠して消防士と女子二人がさらに逃げますが、銃で撃たれた男子は持っていた携帯電話が鳴ったため、負ってきた囚人グループに見つかりあえなく撃ち殺されます。

残る三人は辛くも教会に逃げ込み、地下の抜け道に潜り込みます。教会に囚人たちが突入してきますが、ここでまたしても余震。どうやら教会が崩れ囚人たちは死んだ模様。地下道へ下りる梯子が外れ神父さんも落下して死亡。妹の方も落下しますが、辛くも一命は取り留めますが足に重症を負います。その時、消防士も脱走した囚人だったということが判明し、妹は消防士(ニセ)に殺されます。まだ地下道へ下りていなかった姉は、下でそんなことが起こっているとも知らず、けがを負った妹を心配してなんとか地下道へ下りてきますが、妹がいません。地下道を探すと妹の遺体が見つかります。ショックを受ける姉に消防士が襲いかかります。消防士との死闘を制し、彼を倒した姉が地下道から続く洞窟を抜けるとそこは海。チリですから、たぶん太平洋でしょう。

助かったと、ホッとしたのも束の間、沖の方から巨大な、壁のようにそそり立つ波が迫ってきます。慌てて海岸を離れようと走り出す姉。そこで映画は終わりです。地震の後、街の中を逃げ惑う主人公たちのバックで、公共放送で津波が来るので高いところへ逃げてくださいというアナウンスがしきりと流れていましたが、とうとう襲ってきたというわけです。たぶん、姉も波に飲まれ助からなかったでしょう。結局、主人公とおぼしき六人は全員死んだのです。と言いますか、主人公たちの何らかの関わりを持った人たちはすべて死んでいます。囚人にしろ消防士(ニセ)にしろ神父にしろ。たぶん生き残れたのは、彼らを入れてくれなかったある地区の住民たちだけでしょう。

そういう意味で、この映画は救いがないです。普通は主人公は、特にヒロインは助かるものです。それが結局は全員死んでしまうなんて、まるで希望がありません。そして、なによりも恐ろしいのは、地震でも津波でもありません。こういう状況に陥ったときの人間です。人間のエゴ、残忍さです。この映画が悪魔もモンスターも出てこないのに(人が殺されるシーンは多少グロいですが)、これだけ怖いのは、やはり人間の業を描いているからでしょうか?

とはいえ、この映画を見ると、東日本大震災といい、阪神・淡路大震災といい、日本は本当に素晴らしい国だと思います。もちろん多少の略奪的なことはあったでしょうし、小競り合いやケンカはあったと思いますが、ここまでの無秩序にはならないでしょう。もちろんチリで地震が起きたら、必ずこうなるというわけではないでしょうが、でも世界的にはこういう状況の方がむしろ普通で、日本の方が特殊だったのかもしれません。特にこの映画ではアメリカから遊びに来ていて主人公たちがスペイン語を解さないという、もう一つの不安要素も織り交ぜてあるところが秀逸なのではないでしょうか。

よくよく考えると恐ろしい

あまり期待せずに見始めたホラーです。

キャビン」、原題は「CABIN IN THE WOODS」、「森の中の小屋」といったところでしょうか。見た感じでは「死霊のはらわた」の舞台となった小屋とよく似ています。たぶん、あえて似せて作っているのではないでしょうか。

ストーリーは、よくある若者数名が休暇を利用して森の中の別荘を訪れ、一人また一人と惨殺されていくというありがちなものです。ところが本作の場合、ところどころ、と言うかオープニングから科学者たちがどこぞの研究所で何やらプロジェクトを行なっているシーンが挟み込まれます。すぐにわかってしまうのですが、この5名の若者はあらかじめ選ばれ、この小屋に来るべくしてやってきた5人で、その模様を逐一、監視カメラで科学者たちが監視しているという寸法です。カメラアングルから相当な数の隠しカメラが設置していると思われますし、フェロモンガスを噴射したり、スイッチなどを操作したり、小屋だけでなく、周囲の森も含めて、辺り一帯が最新科学で管理された空間になっているのです。もちろん5人はそんなことは知らずにバカンスを楽しもうというだけです。

ところが小屋の地下室で怪しい日記を見つけてしまい、そこに書いてあるラテン語の呪文を唱えると森の中でゾンビが復活するというからくり。このあたり、どんなキーアイテムを選択すればどんな化け物が出てくるかが決まっているらしく、研究所の科学者たちはそれを賭けにして愉しんでいます。

さて、復活したゾンビが若者たちを襲いだし、次々に殺されていきますが、予想どおり主人公のオクテの女の子と、ちょっと間抜けな男子が生き残り、この森からの脱出を試みます。途中、男の子の方が、自分たちが何者かによって監視されていて、小屋や森の中にハイテク機器が張り巡らされていることを突き止めます。ただ、この時点では、実際の殺戮シーンをネットでライブ中継してユーザーを楽しませる番組なのかな、という程度の種明かしに留まっています。そして、二人は小屋と森の地下に作られた巨大な研究施設の中に潜り込みます。科学者側はからくりがバレてしまった以上二人を抹殺しようと銃を持った武装隊を送り込みますが、ゾンビを初めとする怪物たちを閉じ込めていたドアを開けるスイッチを押されてしまい、研究所の中に解き放たれた怪物たちは次々に科学者を血祭りに上げていきます。

そんな殺戮を尻目に、なんとか逃げられたかと思った矢先、この研究所のボスである女館長、これがなんとシガニー・ウィーバー、最後の最後だけの出演ですが、これが狂ってます。生け贄を捧げないと太古の邪悪な神が復活し全人類を滅亡に導くというのです。そのために二人を殺そうとした寸前、ゾンビが彼女の頭に斧を振り下ろし、シガニーはあえなく絶命、ゾンビもろとも奈落へ落ちていきます。これでようやく生き延びた二人ですが、もう体は傷だらけで立つ気力もなく、神が復活したからなのか、地下の研究施設が崩れる中でエンディングです。たぶん瓦礫に潰されて死んだのではないでしょうか?

さて、この映画、最後に「えーっ、なに、そのオチは!」という思いはあります。人類滅亡を信じるおばさんが作った研究施設のようですが、ものすごい大がかりです。世界各地に同じような施設があり、世界各地で生け贄を捧げようとしているようですが、もちろん日本も舞台となっています。仲間の研究チームが京都で同じようなことやっているようです。時々映像が出てきますが、貞子っぽいのが出てきます。

と言うように、この映画は先行するいろいろな映画のさまざまなところを取ってきてつなぎ合わせています。後半の怪物大乱闘のシーンも、よく見るとほとんどが他の映画に出てきたキャラです。これは怖いと思って見るのではなく、パロディだと思って笑いながら観るべき映画なのでしょうか? しかし、最後に人類滅亡とか言い出したからおかしなことになりましたが、もしこれがネットの殺人リアル中継サイトという設定であったら、実際にありそうで非常に怖い映画ではないでしょうか? 特に前半、科学者たちがゲーム感覚で、実際に若者が殺されていくのをなんとも思わずモニター越しで見ているのは戦慄を覚えます。

まるで平気

本日もリメイク映画三昧。「死霊のえじき」と「デイ・オブ・ザ・デッド」です。

 

前者がオリジナルで、後者がそのリメイクだそうです。どちらも、科学者の細菌兵器研究から突然変異、人に感染してゾンビ化、それが街に蔓延して軍隊の出動、地域一帯を封鎖、取り残された人間たちの脱出劇、という基本的なモチーフは同じなのですが、ストーリーと言いますか、鑑賞後の感想はかなり異なります。

前者は、映画のスタート時点で既にゾンビがした人間がうようよいる近未来の世界で地下シェルターに辛うじて生き残って軍人と科学者ら十数名のサバイバル劇です。自分勝手で居丈高な軍人、軍人は帝の宇田と見下して主義主張を変えようとしない意固地な科学者という対立の図式はわかりやすいですが、あの極限状況であんな諍いをやってられる両者の馬鹿さ加減に呆れます。特に、仲間を実験台として殺して使っていた科学者の存在には呆れるを通り越して怒りさえ覚えます。まあ、腹の立つ連中は最後は皆やられてしまうわけですが、それでも主人公の女性科学者も意固地すぎて好感が持てません。

後者は、既に細菌兵器の変異は中央に報告されているのか、中央から軍が送り込まれ、問題の街が閉鎖されるということから物語が始まります。そして、街の人たちが最初は風邪のような咳き込む症状から一気にゾンビ化していき、あとは前者と同じような脱出劇。ただし、前者は最初の時点で人間として生き残っている人が限られていて、はっきりしているのに対し、後者は街が徐々にゾンビ化していくので、あっちにも人間、こっちにも人間が生き残っていて、また生き残っていても本当に感染していないのかどうか、そういうスリルがあります。地下シェルターに逃げ込むというのは前作のリメイクだからなのかもしれませんが、もしかすると車であのまま逃げおおせたのではないかという気がします。

後者の方は、生き残った人間の仲間割れもなく、科学者もそれほど底意地が悪い感じがするほどでもなく、あの程度のぶつかり合いは十分ありえるという範囲。やはりあんな状況に置かれたら、ケンカなんかしている場合ではないというのがフツーでしょ。そして、こちらの作品では主人公が魅力的です。あんな小柄で伍長という軍隊側の人間(前作は科学者でした)というのはやや無理がありますが、凛々しくて格好良くて、それでいてかわいらしさもあります。

肝心のラストですが、前者はヘリコプターで無人島のようなところへ逃げ延びたようですが、文明の利器のない原始生活でサバイバルしていくのでしょうか? 後者は車で街をに脱出するわけですが、果たして何処まで行けばウィルに感染されていない場所へたどり着けるのでしょうか? なにせ、途中の検問所の兵士たちが既にゾンビ化していたわけですから。どちらも、無事にゾンビの街からは脱出したけれど、という結末ですね。

さて、両者とも、ゾンビ映画ですので、かなりグロいシーンがあります。生きた人間をゾンビがむさぼり食うシーンなどはかなりグロテスクです。目玉や内臓が飛び出て、頭や腕や足が引きちぎられて、血が出るだけでなく、ぬるぬるとした体液と一体となった血潮がそこら中に飛び散ります。こういうグロテスクシーンが苦手な人は、この映画は見ない方がよいでしょう。ちなみに、あたしはこういうシーンを見ながら平気で食事ができるタイプです。

逆にゾクゾクする怖さが好きなホラーファンには、こういう映画は物足りないのではないでしょうか? だってゾンビが出てくるだけで怖いわけではありませんから。あたしは、B級もC級も、ホラー全般、好きです。特にジャンルもなく、ソウのようなものでも、13金でも、呪怨やリングなども、そして本作のようなものも、特に食わず嫌いはありません(笑)。

リメイク?

録画してあった3作品を鑑賞。まずは「AVP2 エイリアンズVS.プレデター」を視聴。

エイリアンとプレテダーという二大異星人を一緒に出してしまった映画「エイリアンVS.プレデター」の続編だそうです。

あたしはパート1も見ているはずですが、それほどストーリーを憶えているわけではありません。エイリアンとプレテダーが闘っていたなぁ、くらいの感想です。でも別にパート1を見ていなくても、この作品はこの作品で楽しめます。一応続編ということで、前作を受け、エイリアンとプレテダーの混血児(?)が誕生し、それがプレテダーの宇宙船の中で誕生しプレテダーを襲い、宇宙船は地球に墜落。そのまま新種のエイリアンは地球人を殺しながら繁殖していくわけです。一方のプレテダーは墜落した宇宙船を追って地球にやってきて繁殖を続ける新種エイリアンを始末していくという寸法。

ところが、どんどん増えていくエイリアンに対してプレテダーは一人、と言うか一匹、というか一頭。これでは埒が明きません。底へ人間世界のドラマが中途半端に挟まってきて、結局人間たちはエイリアンを数匹は倒すものの大成に影響を与えることはなく、最後は軍によってエイリアンともども(たぶん核兵器で)街もろともぶっ飛ばされてしまうというラスト。かつてゾンビもので、街ごと核爆弾で消滅させてしまうと井浦ストがあったのを覚えているのですが(映画のタイトルは失念)、アメリカって最後は核爆弾で民間人も情け容赦なく殺してしまうんだなあと実感した次第。

それにしても、画面が暗くてよくわからないし、プレテダーとエイリアンの違いが造形的によくわからないのが、この映画の最大の欠点ではないでしょうか?

続いて、リメイク版の「死霊のはらわた」と、「死霊のはらわた 2」です。

 

前者はリメイクですが、オリジナルは妹の薬物依存治療なんて設定ではなかったはず。ちょっと思い出せないのですが、少なくとも今作の方がスッキリとしたストーリーになってはいません。これがよいのかわるいのか、何とも言えません。主人公が薬物依存となるとすべてが薬物による幻覚という可能性も捨てきれないからです。まあ、死ぬべき登場人物は簡単に死ぬし、生き残る登場人物はしぶといものですね。で、死霊に取り憑かれているので殺してもなかなか死なない、また襲ってくる、どうやったら殺せるのか、なかなか難しいところですが、手がかりになる本があるので、それをなぞればなんとかなりそうで、最後は兄妹愛でハッピーエンド、なのかしら?

後者は、これはホラーというよりもコメディーですね。笑えます。死霊が襲ってきているのに、切羽詰まった感のない連中。これでは殺されても仕方ないです。とはいえ、随所に笑えるところが満載。もちろんイタイ場面は多々ありますが、ホラーが嫌いで、これなら笑ってみられるのではないかと思います。

スリーピー・ホロウっぽい?

ハリー・ポッターでお馴染みのダニエル・ラドクリフ主演のゴシック・ホラー「ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館」を視聴。

原作は早川文庫の『黒衣の女 ある亡霊の物語』だそうですが、もちろん読んだことありません。ちなみに、あたしは「ハリー・ポッター」シリーズも読んだこともなければ、映画も観たことありません。あしからず。

さて、この映画ですが、長男の出産の折に死亡してしまった妻の面影を忘れられずにいる弁護士ラドクリフが、この仕事をうまくやれないとクビにすると事務所から申し渡されて向かったのが、ロンドンから列車を乗り継ぎ訪れた田舎。その田舎の村の外れの、広大な沼地の中の島に立つ大きな屋敷です。既に居住者は亡くなっていて、その財産の整理に訪れたという設定。

よそ者に冷たい視線を送る村人の雰囲気はよく見られるパターンです。既に列車も走り、自動車もこの村には一台あるというのに、中世のようなたたずまいというか、ひと昔もふた昔も前のままの住民たち。そんな村では、子供たちが次々と事故で死ぬという忌まわしい出来事が続いているのです。その原因がラドクリフが向かう屋敷にある、というのは言われなくてもわかりますが、なぜそうなったのかが徐々に明かされていきます。

以下、ストーリーを書いてしまいますと、この屋敷に住んでいた夫婦には子供がなく、妻の妹(だったかな?)の子供を養子に取ります。ところが、この夫婦は実の母親が子供に会わせてくれと言っても断わり、手紙のやりとりすらも断わるほどの冷たい夫婦だったようです。と、こう書くと「悪い夫婦」という印象を持ってしまいますが、どうでしょうね。自分の子供として育てたいと思って養子にもらったのだとしたら、いつまでも実の親がしゃしゃり出てこられるのはイヤなのではないでしょうか?

それはさておき、ところがこの養子の男の子が沼で溺れて死んでしまいます。そして沼だったからでしょうか、遺体も見つからず埋葬もされないまま、溺れたとおぼしき場所に十字架が立てられているだけでした。実の母親が会わせてもらえなかったのは子供が死んだことを知られたくなかったからかもしれませんね。そのあたりの時間の前後関係は不明ですが、とにかく息子の死は実の母親の知るところとなり、母親は養父母をなじり、挙げ句、この屋敷の子供部屋、つまり自分の息子の部屋で首をつって自殺してしまいます。

この母親がいまだに子供を思ってさまよい出てきては、目に付いた子供をあの世へ引きずり込んでいるのが数々の子供の事故の正体らしいのですが、それに気づいたラドクリフは沼地から男の子の遺体を見つけ出し、母親の棺桶に一緒に埋葬します。これで一件落着、母親もようやく成仏(←キリスト教世界では昇天と言うべきか?)したと信じ、列車でロンドンからやってきた4歳の自分の息子と、ロンドンへ戻っていきますが、そこで大どんでん返しというか、あっと言う結末が……

さて、ちょっとミステリーとホラーが融合し、時代を現代ではなく、やや迷信が残っていそうな少し前の時代に、舞台も都会ではなく田舎に設定しているところは、ジョニー・デップ主演の「スリーピー・ホロウ」によく似た感じがします。ビジュアル的にも影響を受けているのではないかなあ、という気がします。

肝心のラドクリフも、あたしは上に書いたように「ハリー・ポッター」を見ていませんが、そんな面影は微塵も感じられず、精神的にやられているインテリをうまく演じていたのではないかと思います。そんなところもジョニー・デップにちょっと似ていたかな、と思いました。

韓国ホラー

WOWOWでやっていました。韓国映画「ホラー・ストーリーズ」です。日本では公開されていないようですし,DVDやブルーレイも発売されていないようです。

あらすじは、ある女子高生が目を覚ますと手足を縛られ口には粘着テープという状態。ちょっと薄気味の悪い青年が包丁を片手にいて、彼女に怖い話をしろ、と脅迫します。なんでも眠れなくて、怖い話を聞くと眠れるのだそうです。そんなのあるか(?)という疑問はさておき、加除のは必至に怖い話を語って聞かせます。その四つの話で構成されるのが本映画です。

一つめのお話は、父親は離婚しているのか死別しているのか、とにかく母親が働いていて夜も弟と二人で留守番をしている少女の目線で描かれます。この二人が留守番をしているところへ宅配の配達を装った変質者の男が押し入り、二人は逃げ惑い怖い思いをするというストーリーです。

二つめはスチュワーデス(今はキャビンアテンダントというべきか?)が主人公で、ようやく捕まった連続女性殺人という凶悪犯の護送のフライトに当たってしまった彼女が怖いめに遭います。機内は機長と副操縦士に自分ともう一人のCA。それに犯人と護送の刑事二人。たまたま床に落ちていた釘を密かに拾った犯人が刑事を倒し、CAを殺し、機長、副操縦士も手にかけ、主人公のCAが凶悪犯に立ち向かうという内容です。

三つめは、継母とその連れ子の妹にイヤミを言われ続ける姉(父親は既に亡くなっているらしいが、それなりの遺産があるのか生活は裕福)が、かなりの歳ではあるが見た目の若さを保つ金持ちの後添えになることが決まります。が、妹がちょっかいを出し、結局、その男性は姉ではなく妹と結婚することになります。が、その男性が若さを保つ秘訣というのは結婚相手の若い女性を殺してはその肉体をキムチにして食すること。妹もあえなくキムチにされ、そのキムチがお裾分けとして姉と継母の元へと送られてくるところで終わり。一番グロテスクで後味の悪い作品ですね。

四つめは街中がゾンビだらけになり、数少ない非感染者を救って回っている救急車に傷を負った娘を連れた母親が乗り込んできます。必死の手当の甲斐なく娘は一向によくならず病院へ着くまで持つのかどうか、という具合。というよりも、この娘もゾンビ化してしまっているのではないかという疑いもあり、医者は娘を下ろそうとしますが看護婦がそれを止めようとします。このあたり、状況から考えても医師の主張の方が正しいと思うのですが、作品としては正義感を振りかざす、弱い者の味方としての看護婦にスポットが当たっています。が、そのうち救急車にもゾンビが群がり始め、医師はもみ合いの中で救急車から落ち、運転手もゾンビにやられてしまいます。結局、看護婦も救急車から落ち、残った母と娘は、結局、娘は既にゾンビであった、というオチ。

で、この四つの話を聞き終わって男は遂に眠ってしまいます。助かった、と思った女子高生は、包丁で縛られていた縄を切り、逃げだそうとしたところで……

って、まあ、最後のオチはご想像の通りです。全体の話は特に一話目などは日本的な怖がらせ方だなあと感じますsh、ぞれぞれが趣向を凝らした、かなり趣の異なる作品四つなので飽きずに見られました。韓国ホラーも最近ご無沙汰でしたが、やはり面白いですね。

コミック風(?)カンフー映画

WOWOWで香港映画「TAICHI」が放送されていました。二部作で、「TAICHI/太極 ゼロ」と「TAICHI/太極 ヒーロー」です。(三部作ということになっていますが、とりあえず第三弾の情報がないのと、パート2でなんとなく大団円になっているので、ここでは「二部作」と書きます。)

 

どんな映画かと言いますと、太極拳の創始者・楊露禅が太極拳を会得するまでの修業時代を描いた作品です。そこに、清末の世相を織り交ぜ、ジャッキー・チェンの映画にありがちな、「腐敗した清朝政府の暴政とそれに拳法で立ち向かう英雄」という図式になっています。

太極拳については、ウィキペディアを見ますと、その創始についてはいくつかの説があるようで、楊露禅が創始したという説も有力なものとしてあるようですから、この映画がまるっきり史実を無視したフィクションというわけでもなさそうです。とはいえ、ほぼ9割方はフィクションなんでしょうけどね。

楊露禅が陳家溝で修行したことは事実のようですが、果たして宗師の娘と結婚したのか、陳玉娘という娘(楊露禅から見たら妻)がいたのかどうか、ウィキペディアにはそのあたりのことまでは書かれていません。中国のサイトを見ればもう少し詳しいことがわかるかもしれませんが、この映画を楽しむのにそこまでする必要もないでしょう。

で、この映画ですが、パート2の「ヒーロー」の方は上に述べたような、これまであった清末が舞台のカンフー映画と同じテイストですが、パート1「ゼロ」の方は字幕の出し方が独特で、マンガを見ているような感じで面白かったです。実際、時々漫画というか劇画が挟み込まれ、こういう作り方って日本の映画にもハリウッドの映画にもないなあという気がしました。

さて、映画の主人公はジェット・リー同様、いわゆるハンサムと言うよりも憎めないタイプの青年です。たぶん、今後のカンフー映画のスターになっていくのではないかと期待できます。それよりも、あまり登場シーンは多くないのですが、この主人公・露禅の母親役でスー・チーが出ているんですよね。ついこの前までは娘役という感じだったのが母親役をやるようになったとは。なんとなく、コン・リーを思わせる雰囲気が漂っていました。

そして、そして、たぶんこの映画を観た男性であれば誰もがヒロイン、陳玉娘役を演じたアンジェラ・ベイビーに魅了されたのではないでしょうか? 映画の中では柴咲コウや堀北真希に見えるところが多々ありました。柴咲コウと堀北真希が似ているのかと問われると「ハイ」とは言いにくいかもしれませんが、少なくともこの映画の中のアンジェラ・ベイビーはそう見えるシーンやカットがたくさんありました。(写真はこちらのサイトをご覧ください。)

ただ、公式サイトのフォト画像ではもっとモデルっぽい表情をしていますめ。いずれにせよ、とてもきれいな女優さんです。近いところでは、6月から主演した「メモリー」という恋愛映画が公開になるようです。でも、ネットで「アンジェラ・ベイビー」と入力するとたちどころに「整形」という語が出てくるんですよね。この手の噂はよくわかりません。化粧一つでかなり変わりますし、整形と言ってもちょこっといじくるものから、原形を留めないようなものまでありますし……