同じ悪霊でも

録りためておいた映画鑑賞。「ホーンテッド・プリズン」と「MAMA」です。

 

まずは「ホーンテッド・プリズン」から。

大学を卒業して久しぶりに同窓会キャンプに向った男女七人が、廃墟となった刑務所近くの墓地で、殺人鬼の悪霊に取り憑かれ殺されてしまうという、ありがちなホラーです。悪霊が人から人へと乗り移っていくのは斬新かも知れませんが、目の色とか表情、様子で誰に乗り移ったかがすぐにバレてしまうのはどうなのでしょう? この手のアメリカ若者ホラーにおきまりのエッチなシーンもあり、ドラッグでラリっているのも出てきて、そのあたりは定石どおりです。そして一人、また一人とコロされていくのも予定どおり。

途中で、悪霊の正体を知る、廃刑務所の元守衛が出てきて若者を救うのですが、結局彼も自分自身では何もできず、若者の一人に元刑務所長の霊を憑依させて殺人鬼の悪霊と闘わせるとは、「あれ?」という感じです。ただし、この二体の霊を飲み込んでみずからの命とともに葬り去ろうという覚悟は立派なのですが、結局、殺人鬼の霊はいつの間にか逃げ延びたはずの主人公に取り憑いていたというオチでは、あの闘いは何だったのか? 映画が当たれば第二弾を考えていたラストなのでしょうか?

続きましては「MAMA」です。

タイトルどおり「お母さん」が重要なんですが、この作品はホラーというよりも家族愛を描いた哀しい作品といえます。

同僚と妻を殺し幼い娘二人を連れて逃げた男性。深い森の中の古びた小屋で娘を殺して自分も死のうとしますが、すんでのところで何者かによって襲われ行方不明に。たぶん、何者かに殺されてしまったのでしょう。この「何者か」がママです。正体は森に住む悪霊です。

さて、五年たって、先の男性の弟が失踪した兄とその娘二人を懸命に探していますが、遂に森の中の小屋で娘、つまり彼からすると姪を発見します。5年間二人がどうやって生き延びたかわかりませんが、ほぼオオカミ少女と化していた二人。姉の方はそれでも少しは言葉を解し、少しずつ人間社会になれていきます。このおじさんが恋人ともに二人の姪を引き取り、一緒に暮らし始めます。そして精神科の先生が二人の姪の治療と観察にあたります。

当初、精神科医は姪二人が孤独に耐えるため「ママ」と呼ぶ架空の存在を作り上げ、その「ママ」に育てられたと思い込んでいたと診察するのですが、徐々に「ママ」というのが実在し、かつて小屋の近くに存在した精神病院から逃げだし、子供とともに崖から飛び降り自殺した女の霊であることが判明します。この時、抱えていた赤ん坊が掛けの途中の木の枝に引っかかり、女だけが湖に落っこちたわけで、そこから女は死んでも子供探し続ける悪霊になってしまったようです。で、たまたま小屋にやってきた女の子二人を見つけて面倒を見てやったいたらしいのですが、悪霊がどうやって育てていたのか、不思議です。

ただ、子供を思う母の気持ちが前面に出ていて、主人公もおじさんは途中で襲われて昏睡状態になってしまうので、大して活躍はしませんが五年も行方を捜し、見つかったら引き取ると主張するところはなかなか父性愛にあふれている人です。また主人公の恋人(たぶん映画としてはこっちが主人公?)も、結婚もしていない恋人(それも、そろそろ縁の切れ目かなと思っていた?)の姪を引き取る羽目になって、最初は嫌で嫌でたまらなかったようなのが、一緒に暮らすうちに母性に目覚め、最後は命を張って悪霊の「ママ」と対決するなんて立派です。

悪霊だとも理解できず、素直にママを慕う子どもたちがけなげです。最後、姪っ子二人のうち、姉はおじさんたちと暮らす道を選び、ママの手をふりほどきますが、妹はママと一緒に行くと言って笑いながらついていきます。そしてママと妹は崖から落ちていくのです。

えーっ、この手の映画なら、フツーは姉妹二人とも助かってハッピーエンドにするでしょ? なんで一人だけ助かって一人は助からないの? という最大の疑問にして、最大の悲しみ。

でも、そうか、妹の方は結局ママが悪霊だとわからないわけで、いきなり現われた見ず知らずの人よりも、5年間育ててくれたママを選んだわけなのよね。だから最後、ニコニコしてママについていったわけですし。でもなあ、やっぱり、哀しい結末です。こういう不幸な境遇に置かれた子供を出してくると、ホラーと言えども哀しい、泣かせる作品になってしまいますね。

キャプテンハーロック

先日、WOWOWで放送された映画「キャプテンハーロック」を録画しておいたので視聴。

あたしの世代ですと、テレビアニメでやっていた「宇宙海賊キャプテンハーロック」を思い出したり、「銀河鉄道999」に登場したりと、そういうイメージが先行します。海賊と呼ばれながらも、単なる無法者ではなく、宇宙のため地球のために闘っているということは、頭では理解しているつもりですが、果たして細かな設定はどうなっていたのか、今となっては思い出せません。地球のためと言いながら、地球防衛軍の戦艦と闘ってもいたような……

 

本作は、どちらかというと小栗旬と三浦春馬という人気の俳優が声優を勤めたということの方が話題になっていた気がして、さて、映画本編はどうだったのだろう、という印象があります。

で、ストーリーを簡単におさらいしておくと、地球人類は銀河系に植民地を増やしていったものの、他の星の文明と折り合えず徐々に勢力を縮小、遂に地球へ戻ることになったものの、銀河に広がった地球人のすべてを地球で賄うことは不可能、よってカムホーム戦争と呼ばれる、地球帰還に向けての泥沼の戦争が起こりました。そこで人類はガイア・サンクションという調停機関を作り、地球は誰も立ち入ることを許さない聖地として管理し、人類は帰る故郷を失った流浪の民となった、というわけです。

このあたり、ちょっと話の展開が強引な気もしますが、まあ、それはおくとして、ハーロックはそんな神聖不可侵の地球を守る艦隊に所属していたのですが、ガイア・サンクションのお偉方だけは密かに地球に戻って暮らしていることを知り、彼らを攻撃し地球を壊滅させてしまいます。そこでお尋ね者となってしまったわけです。

その後100年、不死身の体を持ったハーロックは、地球軍から奪った爆弾100機を宇宙の隅々の設置し、時間の結び目をほどいて美しかったころの地球に戻そうとしているようなのですが、果たしてそれが物理学的に正しいのかどうかわかりません。また地球も青く輝いているのはホノグラム映像で、実際には赤黒く荒れ果てている状態で、地球人類は全員、ガイア・サンクションに騙されていたのです。しかし、その荒れ果てた地球にも植物が芽を出し花が咲いていることを知ったハーロックたちは、未来への希望を抱いて再び宇宙へと旅立っていく、という感じのストーリーです。

まあ「宇宙戦艦ヤマト」と異なり、異星の敵が登場するわけではないので、どうしても戦闘が仲間内のケンカっぽく、そこに死力を尽くした真剣さを感じないのはあたしだけでしょうか? また画像はキレイで、実写と思えるほどなのですが、人物の動きや表情が平板な気がしました。これが現在の3D技術の限界なのでしょうか?

 

ただ、そんなことはともかく、あたし、ハーロックってなんとなく不死身の人間ではなく、生身の人間だと思っていました。少なくとも「999」を見ている限りでは、機械人間を憎む側ですから、本人が機械人間であるはずはないと思っていたんです。もちろん、自分が心ならずも機械人間にされてしまったから機械人間を憎むという構図はありえますが、素直に見れば、やはりハーロックは生身の人間と信じたいところです。ところが本作では100年も生きている設定になっています。呪われてしまったから、といった説明のようなシーンがありましたが、本当でしょうか?

あと、もう一人(?)の主役である海賊船アルカディア号ですが、これまでのアルカディア号と比べあまりにも毒々しすぎませんか? それに全体的にどんなフォルムをしているのかよくわからないんですよね。主砲が何機あるのか、どんな武器を備えているのか、映画本編ではしっかり鑑全体が描かれるシーンが無かったように思います。それでも、全長1キロを越える大きさって、いったいどれだけなのでしょう? ちなみに宇宙戦艦ヤマトは設定上は300メートル前後ですので、アルカディア号の大きさがどれほどのものか想像できると思います。(昔のアニメや「999」に登場していたアルカディア号は、ここまで大きな船という設定ではなかったはずです。)

死霊館

近々、続編と言うか前日譚と言いますか、新作「アナベル 死霊館の人形」が日本で公開になるのを承けてでしょう、WOWOWで「死霊館」が放送されましたので視聴しました。

 

アナベルというのは人形の名前(持ち主の名前だったかしら?)で、エドとロレインのウォーレン夫妻が保管している曰く付きの人形です。で、そんな物騒なものを保管しているウォーレン夫妻は、超常現象の研究者、言い方を変えれば、ゴースト・バスター、悪魔払い師のようなものです。その夫妻が、彼らの講演を聴きに来た後、助けを求めに来た女性の家で起こっている怪奇現象に立ち向かうというストーリーです。

最初の方にドキュメンタリー風のシーンがあって、そこにアナベル人形にまつわる事件のことがちょこっとだけ触れられていますが、本作においては、特に人形がどうのこうのということは、1シーンを除いて出てきません。本作の事件の悪魔とアナベル人形に取り憑いている悪魔はあくまで別もののようです。ただ、同じ悪魔同士ということで交感するのか、1シーンだけ登場したようです。

で、本作です。基本的にはかつて大ヒット(?)した「悪魔の棲む家」のような話です。その家に巣くう悪魔が家族に取り憑き、ウォーレン夫妻の力を借りてなんとか助かるというストーリーです。助かったとはいえ、恐らく主人公家族はもうこの家に住むことはないでしょう。たぶん引っ越したと思われます。その後どうなったのでしょうね? 映画では描かれていませんが、無事に平和に暮らしたのでしょうか? そして、問題のこの家はその後どうなったのでしょうか? 悪魔は追い払われたのでしょうか? それとも、またこの家に誰かが引っ越してくるのを静に待っているのでしょうか?

後者だとすると、それが「悪魔の棲む家」に繋がるのかも知れません。

 

とりあえず、本作では家族は誰も命を落とすことなく、ウォーレン夫妻をはじめとした悪魔払い側も全員無事、結局死者が出ていないホラーです。よくよく考えるとこれは珍しいパターンではないでしょうか? そして年明けに公開されるという「アナベル 死霊館の人形」は、本作で既にウォーレン夫妻の家にアナベル人形が保管されている以上、本作よりも以前のストーリーということになります。どんな内容なのかは映画公開前ですのでわかりませんが(アメリカでは既に公開されているので、アメリカのサイトを見れば、英語がわかる人なら知ることが出来るでしょう)、予想するにアナベル人形に取り憑いた悪霊、悪魔との闘いが描かれるのでしょう。

人形の魔力は封じられたのか否か、それはわかりません。とりあえずウォーレン夫妻は本作に出ていたので、前作にあたる新作で倒されなかったということはわかります。本作で不気味な存在感を示しているので、人形にはまだ悪魔が宿ったままなのでしょう。

ちなみに、本作のタイトル「死霊館」とは、主人公一家の住んでいた家のことでもあり、ウォーレン夫妻が自宅にコレクションしている邪悪な品々の部屋のことでもあるのではないでしょうか? とりあえず本作、主人公一家のお父さんとお母さんは決してハンサムでも美人でもない冴えない俳優さんです。が、五人の娘がみんなカワイイです。いったいどっちに似たんだか? むしろそのことの方が恐怖であり、ホラーではないかと思います。

モスキートマン

FOXムービー プレミアム」で放送された「モスキートマン」を視聴。

見る前はホラー映画だろうと思っていたのですが、全然ホラーではなかったです。あえて言えば「ザ・フライ」のような、意図せずハエ人間になってしまった男の悲劇です。かつ「ザ・フライ」では、原因はみずからの過失でしたが、本作の場合、知らぬ間に実験台にされてハエ人間になってしまったわけですから、恨みと悲しみはさらに強くなっています。

おっと、こちらはハエではなく蚊でした、モスキートですから。

 

簡単にあらすじを書いておきますと、主人公のジムは原子力研究所で働く冴えない男性で、妻からも相手にされず、とうとう研究所をクビになります。仕事も失い、妻は同僚と浮気していることがわかり、すべてを失ったジムはフラフラと歩いているところを車に撥ねられそうになり、間一髪で助かったところを車の運転手デイブに励まされ一緒に酒を飲みに行きます。そこで酔いつぶれたジムはデイブによって、とある施設に運ばれます。そこはデイブの私設研究所で、昆虫学者のデイブは蚊を媒介とした伝染性ウイルスの予防薬の開発を行なっていて、ジムをその実験台にするのです。

まだ動物実験すらしていない新薬をジムに試したところ、ジムは発作を起こして死んでしまい、デイブはジムを街のゴミ箱に捨ててしまいます。が、ジムは死んでなく、蚊人間として生き返るのです。そして自分をこんなめに遭わせた研究所の所長や浮気相手の同僚、そして妻、デイブを血祭りに上げていきます。そして最後は、予想どおりの展開となります。途中、唯一やさしくしてくれた研究所の同僚エブリンと事に及んで、エンディングでは臨月に近いお腹を抱えたエブリンの姿で終わるなど、既視感ありありの展開です。

愛する女性を守りつつ復讐を遂げるモスキートマン。なかなか哀愁が漂う展開ですが、どこかで見たストーリーというのはB級映画ならではでしょうか? こんな映画をついつい見てしまったのは『モンスターズ 現代アメリカ傑作短篇集』の中の「モスマン」の影響でしょうか?

こちらも哀愁漂う佳作でしたが。

ちなみに、この映画の原題は「SUCKER」、「吸う人」という意味だそうですね。

SPEC~結~

WOWOWで放送された映画「SPEC~結~」を鑑賞。「漸」と「爻」の両篇に分かれていましたので、両方を録画しておいて一気に見ました。


たぶんテレビシリーズをずっと見てきた人でないと作品世界に入っていけなかったのではないでしょうか? まあ、この映画自体が映画単体として人を引きつけようなどとは少しも思っていない作品でしょうから、あとはテレビシリーズ以来のファンがどれだけ付いてくるかの問題ですね。

で、結論から言いますと、たぶん評価は真っ二つではないかと思います。「テレビシリーズ以来の世界観が引き継がれていて、なおかつ、これまでのスペックホルダーも登場していて面白い」という人と、「まるっきりの駄作。ダラダラ長いだけで、テレビシリーズの面白さが台無し」という人とに。

と言いながら、あたしはその中間的な感想です。テレビの時の小ネタを散りばめた笑わせるシーンもあって、それはそれで面白く見られましたが、やはり前後編に分けるほどの内容だったのか、と聞かれれば「?」です。それに、スペックだから仕方ないのですが、最後は超能力戦争みたいになってしまっていて、「それなら最初から超能力でちゃちゃっと出来るんじゃない?」という気がします。少なくともテレビシリーズの初期のころは、超能力というか特殊能力を持ったスペックホルダーが登場していましたが、決して超能力だけの話ではなく、きちんと人間が描かれていたように思いますが。この映画では……

なまじ話題作りのために向井理と大島優子を謎めいたキャラクターとして登場させたのがまずかったのかも知れませんし、あえて言うなら、ここまでシリーズを引っ張ってしまったのがそもそもの間違いだったのかも知れません。

が、それでもテレビ版「SPEC」を見てきた人なら、見て損はないと思います。それなりには楽しめます。今だから書けますが、映画館へ見に行くほどではないですが(爆)。

 

それにしても、いまや全国レベルの人気女優になってしまった有村架純ちゃん。あたしはテレビシリーズが始まったときから既に注目していました。「あまちゃん」でブレイクするはるか前の話です。

亜流の亜流の亜流?

FOXムービー プレミアムでやっていた「アイス・ジョーズ」を視聴。

タイトルで既にわかるとおり、数あるジョーズものの一つです。今回は、雪の中をおよび回るサメがスキー場でバカンスを楽しむ若者たちを襲います。例によって、儲けることしか考えないスキー場のオーナーや地元の町長、それに対して正義感あふれる(途中からですが)保安官という構図は、まさに「ジョーズ」でしょう。

ところで、「なんで雪山にサメ?」ということの種明かしをしておかないとなりませんね。

映画の中で19世紀半ばと言っていましたので200年くらい前と考えてよいでしょうか。このスキー場はゴールドラッシュに沸き返り、多くの人が一攫千金を夢みてやってきたそうです。ところがここには先住民が住んでいて、この山を自分たちの神が宿る場所として神聖視して暮らしていたのです。当然、原住民と新参者(→たぶん白人でしょう)との闘いになりますが、旧式の武器しか持っていない少数の先住民では抗することもかなわず、女子供に至るまで虐殺されたそうです。その先住民の恨みを、ただ一人生き残ったシャーマンが一つに合わせ、いくら掘削してもそれを壊すような呪い(でしょうね)をかけたのです。その呪いの結果生まれたのがサメの形をした「スカッカム」というクリーチャー、化け物です。その後、暴れ回ったスカッカムをシャーマンがトーテムポールに封印して化け物は消え、いつしか山にも平穏が訪れて現在へ、という流れです。ナパーム弾のようなものが打ち込まれたせいで、そのトーテムが倒れ、封印されていたスカッカム、つまり人喰いサメの形をした化け物がよみがえってしまったというわけです。

さて、悪者がサメに食われるのは当然、遊びに来ているだけのアホな若者たちも何人かが犠牲になるのはこの手の映画の常道ですから予想の範囲内です。問題なのは、一応は海洋生物学者というふれこみであり、なおかつ25年前にスカッカムに襲われたのに唯一生き残ったという設定の女性(正義の保安官の恋人)が、何の活躍もしなければ、この惨劇解決の助けにもなっていたないことです。何のための設定なのか……

また、主役と呼んでよい休暇を楽しみにやってきた海兵隊員も、奮闘しますが結局は悪霊の権化であるサメの前になすすべもなく逃げ惑うばかり。悪霊が姿を現わしているわけですから、銃や爆弾ではやっつけられないのはわかりきっているのに、ではどうしたらよいのかがまるで考えつかないようです。

そして、この惨劇はどうやって終息するのか? それがこの映画の大どんでん返し的なところです。

途中でちょこっと変な日本人の女の子が出てきます。白人の男にナンパされたりしつつも、「あたし、スキー、うまいから」とあっさりかわして山の奥へ。そこで倒れているトーテムを元へ戻すと、その瞬間、サメ、否、スカッカムが消えるのです。つまりまた封印されたということなのでしょう。トーテムの数だけサメが泳ぎ回っていたのですが、トーテムを一本元へ戻すごとにサメが一頭ずつ消えていきます。

この謎の日本人はシャーマンの血を引く者だったのでしょうか? だったら、なんで日本人だったのでしょう? 同じモンゴロイド繋がりですか?(たぶん先住民って、いわゆるインディアンなどのモンゴロイドだったのでしょうね) あるいは、たまたまスキーをしていて倒れているトーテムを見つけて立て直してあげただけなのでしょうか? いや、そんな感じはしないです。やはり、トーテムが倒され封印が解かれたのを知って急いで駆けつけてきたと考えるべきでしょう? でも、だとすると、のんきにクラブハウスでコーヒーブレイクをしていた理由がわかりません。

うーん、謎の日本人女子。アメリカあたりではよいのでしょうけど、あのたどたどしい日本語も聞き捨てならないものでした。

結局、海兵隊員とその恋人たちは何とか助かるのですが、自分たちがなぜ助かったのか、サメがなぜ忽然と消えたのか、その理由はわからぬままスキー場を後にするのです。実際に自分がこんなめに遭ったら謎解きなどどうでもよく、とにかくその場から逃げたいと思うはずですから、この展開は自然ではありますが、映画としてはどうなのでしょうか?

それにしても、「ダブルヘッド・ジョーズ」「シャークトパス」「シャークネード」「ゴースト・シャーク」と言い、スピルバーグの「ジョーズ」の精神はどこへ行ってしまったのかと思えるような映画が量産されていますね。

 

 

ここまで来ると、もう悪ふざけとしか思えないです。あとは、もう陳腐なアイデア勝負、やったもん勝ちといったところでしょうか?

たぶん、今後も作られ続けるのでしょうね。

これなどは「ゴジラ対ガメラ」「ゴジラ対キングギドラ」のノリではないでしょうか? そのうち「ジョーズ対ジェイソン」というのも作られるのではないでしょうか?

2時間スペシャルで十分?

WOWOWで夏に放送された「劇場版 ATARU THE FIRST LOVE & THE LAST KILL」を鑑賞。

 

 

実は、テレビドラマの時は全く見ていなかった作品です。が、その後放送された2時間スペシャルを見て「なかなか面白いじゃない」と思い、映画館には足を運ばなかったものの、ようやくWOWOWで放送されたので録画しておいて、ようやく鑑賞したという次第です。

さて、感想ですが、正直言って、映画としてどうなの(?)と思います。2時間スペシャルで登場した堀北真希が中居演じる「ちょこざい」と同様のサバン症候群的な症状を持った天才として登場するのはよいでしょう。でも、結局、それを活かした犯罪が行なわれたのかと言われれば、単に天才プログラマーとか、天才ハッカーが主役の犯罪ドラマでもありがちなものです。それを食い止める「ちょこざい」も同じく天才プログラマーというだけの存在で、しかも今回の映画では捜査にはほとんど協力というか活躍している感じがありません。

シリアスな犯罪ものなのに、小ネタを混ぜたおふざけシーンに賛否両論あるかと思いますが、テレビドラマからの流れですから許容範囲です。個人的には、やはり映画なのですからもっと壮大な犯罪計画、そしてあっと言わせるようなどんでん返し、巧妙なトリックや仕掛け、それを解く「ちょこざい」たちとのスリリングな攻防、そういったものを期待していたのですが……

これなら、先の2時間スペシャルとともに、前後編のスペシャルドラマでもよかったのではないか、そんな気がします。あと、村上弘明の喫煙シーンが多すぎるような気がします。昨今はドラマでは喫煙シーンは極力カットになることが多い(規制がある?)のに慣れてしまっているので、そしてあたし自身がタバコが嫌いなので、どうもあのシーンだけはいただけません。

そう言えば、今クールのドラマ「すべてがFになる」でも、綾野剛の喫煙シーンが気になりますね。原作の彼がヘビースモーカーなのでしょうか?

人狼ゲーム

録っておいた「人狼ゲーム」を鑑賞。

これはシチュエーションホラーと言うのでしょうか?

主人公・桜庭ななみが目を覚ますと、どこぞのセミナーハウスっぽい場所で見知らぬ高校生が何人かいます。そしてゲームのスタート。ルールがちょっとわかりにくかったのですが、この中に「人狼」役が二人いて、残りは「村人」役。各自が持っているカードにその役割が書いてあるわけですが、それぞれは誰が人狼で誰が村人かはわからない。ただ、人狼役はもう一人の人狼が誰であるのかはわかっているそうです。そして、毎晩8時に全員で相談して誰か一人を殺します。また夜中に人狼は村人を一人殺します。村人がうまいこと人狼二人を殺せれば勝利。逆に人狼が村人をすべて殺せたら勝利、というゲームのようです。村人は毎晩の話し合いで誰が人狼なのかを見破り、多数決でうまいこと人狼を葬っていかないと、夜中に殺されてしまう危険があるわけですね。

ゲームの冒頭、桜庭ななみが「村人」であることは彼女が自分のカードを確認するシーンでわかりますが、彼女以外の誰が村人で誰が人狼なのかはわからず話は進みます。で、ネタバレですが、最後は何とか人狼をすべて殺し、桜庭ななみと竹富聖花ちゃん演じるこのみが生き残ります。ちなみに、あたしは竹富聖花ちゃんって以前から好きです。美少女ですよね。ちょこちょことドラマに出てますよ。

これで終わり、変な施設から解放されるのかと思いきや、こんどは生き残った二人が「人狼」となって次のゲームがスタート、というところで終わりです。ついでに言いますと、最初のゲームの「人狼」役の二人は前のゲームで生き残った村人二人だったということも最後の段階でわかります。

つまり、このゲーム、人狼が勝ち残ったらどうなのかわかりませんが、基本的には生き残った二人の村人が次のゲームの人狼となってエンドレスにゲームが続いていくようです。果たして、キャストは一新していますが、続編が作られましたね。

結局、犯人、それが単数なのか複数なのかはわかりませんが、最後まで出てきません。最初はゲーム参加者の中の誰かが真犯人なのではないかと思って見ていましたが、ゲームの主催者まるっきり出てきません。そこが謎のまま残ります。続編でもそうなのでしょうか?

佳作か、駄作か?

雨ですね。台風です。明日の出勤が大丈夫なのか、いや、大変そうだったら休もうと思っています。昼過ぎには台風一過、天気も回復してくるのでしょうか? 午後から出社になるでしょうか? それはそれで面倒ですが……

さて、雨の日曜日。出かけるなんて馬鹿なことはせず、自宅で録りためた映画鑑賞です。まずはこちら。

ハル・ベリー主演の「ダーク・タイド」です。ジョーズの亜流と言ってしまったら身も蓋もありませんが、人喰いザメとの死闘を描いた作品です。ただ、この作品ではハル・ベリーは、仲間がかつてサメに襲われ死亡したトラウマで、サメに近づくのを避けるような生活をしていて、そこへ別居中の夫が金持ちのサメウォッチツアーを企画してやってくるという流れです。

確かに過去にとらわれて前を見ない生き方も問題ですが、この亭主のような金だけが目的で妻の気持ちに無頓着なふるまいもどうなのでしょう。亭主のセリフがすべて空々しく聞こえたのはあたしだけではないと思います。結局、ハル・ベリーは船を出し、嫌な金持ちはサメに食われ、夫は辛くも生き延びますが、仲間がやはりサメにやられます。

こう書くと人喰いザメ映画に聞こえますが、この映画、全編にわたってジョーズ的な人喰いザメは出てきません。そりゃサメが出ててき人を襲うのですが、それはあくまで人間がサメのテリトリーに入ってきたからであって、ジョーズ映画のように積極的にサメが人を襲いに来るという感じの映画ではありません。

というわけで、徹底的に怖がらせるサメ映画でもなければ、夫婦の和解を描いている映画でもない、という中途半端な感じを受けました。もちろんテーマとしては夫婦の和解と未来へ向かって再び歩き出す主人公なんでしょうけど、未来へ向かうまでの動機付け、亭主の振るまいがあまりにもひどいので、そういう映画としては見られませんでした。

次は邦画、「バイロケーション」です。

この作品はエンディングが異なる二つの作品があるのですね。一応、「表」と「裏」と呼ばれているようです。エンディングが異なると言っても、「表」の最後に数分間の続きというか、ドンデン返し的なシーンを加えているだけなので、ほぼ1時間45分ほどは全く同じ映像です。

で、ストーリーは、バイロケーションと呼ばれる「もう一人の自分」との対決です。心の中に大きな葛藤を抱えると、そのためにもう一人の自分が生まれてしまうのだそうで、それが自分の一番大切なものを奪いに来るのです。主人公の水川あさみの場合、途中で気づいてしまう人もいるかもしれませんが(怪しいアジトのようなところのカーテンの色とか)、終盤まではどっちが本人で、どっちがバイロケなのかわかりにくく、いや、そうではなく、最終局面で、実はこれまでの多くのシーンで本物とバイロケがそれぞれ出てきていたということになっています。

バイロケを倒す方法はどうやら決定打はなく、少なくとも本人が死ねばバイロケは消えるようです。水川あさみ以外の登場人物たちも、ほとんどがこの運命をたどります。そして、自分がどちらだったのかわからなくなってきた水川あさみが最後に下した決断は自殺でした。そして、その結果として水川あさみのバイロケも消えて、ジ・エンド。

これが「表」バージョン。「裏」バージョンでは、水川あさみ演じる主人公の本物が自殺するまでは同じなのですがバイロケは消えません。その種明かしとして、バイロケのお腹に夫との子供が宿っているから、と解釈できるような映像が追加されています。そうです。「裏」では、本物が死に、バイロケが本物として新しい人生を生きていくというストーリーになっているのです。

どっちがよいか、好みが分かれるところでしょうか? ネットでは両バージョンへの感想も含め、この映画の評価、かなり割れていますね。あたしは割とよくできた映画だと思いましたが、やはりホラーっぽさを追究するなら「表」の方がよかったかな、と思います。

B級ホラーでした

スカパー!で録っておいた映画を見ました。

まずは「スプラッター・ナイト 新・血塗られた女子寮」です。もう、タイトルからしてB級臭がムンムンしますね。

ストーリーは陳腐です。大学(ですよね?)の女子寮を舞台に卒業を控えた仲良し五人組のちょっとしたらいたずらから、彼女たちは仲間の一人を殺してしまいます。誰も見ていなかったことをよいことに、残ったメンバーは事件そのものをなかったことにし、秘密を守って卒業を迎えます。そして卒業式の晩、女子寮で行なわれるハチャメチャなパーティーの会場で次々と人が殺されていく、という物語です。

途中、殺された女子生徒の妹が新年度から入学してくるという設定で、いかにも姉の失踪の秘密を握っているような思わせぶりで登場したり、彼女たちのボーイフレンドもなんとなく胡散臭く描かれ、犯人捜しという意味ではそれなりに面白そうな伏線が貼ってあります。でも、結局は、そんなものか、結局は友達を事故とはいえ殺してしまったお前たちが悪いんじゃない、そこには何の同情の余地もないよ、という感想しか残りません。

主人公たち女子グループのキャラが、メインの二人を除くといまひとつパッとせず、だからそのボーイフレンドも誰が誰なのかわかりづらいです。もちろん、こういう映画ですからエッチなシーンを期待する向きもあるのでしょうが、それもほとんどなく、だからといって主人公たちがグラマーで美人かというと、そんなこともない、結局、うーんと首をひねってしまう作品です。

やはり「スクリーム」とか「ラストサマー」の方が、作品としてもはるか上を行ってますね。そもそも比べるだけ野暮でしょうが。

 

続いては、「シー・トレマーズ」という、オランダとインドネシアの合作映画です。

これは海にいる謎の生物が人を襲うという作品ですが、そのモンスターがあまり怖くないんです。圧倒的なパワーを見せるという感じでもないです。そもそも舞台が粗末な、木で編んだ密漁場。あんなものモンスターでなくても壊すのは簡単そうです。

そこに土着的な呪術を織り交ぜたのはアイデアとしてはよかったのですが、それが消化不良です。呪術師の血を引く少年(実は少女)にはどんなパワーがあるのか、どっちの立場に立っていて、誰を殺し誰を救おうとしているのか、そこがよくわかりません。挙げ句、主人公の女性博士の行動が鈍くさく、またおバカすぎます。娘を失っているという心の傷が地元の怪しげな祭りに影響を受けるというシーンもなんだか消化不良。これじゃあ、大学をクビになりそうなのも納得できます。