本屋の可能性と言うよりも本の親和性かも知れない?

今朝の朝日新聞の声欄です。中学生の投書が載っていました。

町の書店に頑張ってもらいたいとエールを送っている投書です。こういう中学生、もっと増えてくれると嬉しいです。

この投書では、書店が本だけでなくカフェを併設するなど工夫して頑張っている、決して拱手傍観しているわけではないことが書かれていますが、逆に言うと、もう本屋は本だけ売っていてもダメだと言われている気もして、出版社としては忸怩たる思いがあります。

本だけでは力不足なのかしら? と思ってしまいます。

しかし、考えてみますと、昔から文具を置いている本屋は普通にありましたし、カフェなどとコラボできるのは本の持つ多ジャンルのとの親和性、融通無碍ぶりということもできると思います。

本だけでは力不足なのではなく、本があるからこそやれる、という部分をもっと伸ばしていくべきなのかも知れないと朝から思った次第です。

不可解な検索結果

何気なく、楽天ブックスで勤務先の書籍を検索してみました。その結果がこの図版です。

特に何か決まったキーワードを入れたわけではなく、勤務先の名称をそのまま入力しただけなんです。たぶん新着順か人気順に表示されるだろうから、どんなものが上位に来るのか興味があっただけです。

実際の検索結果、どんな本がヒットしたかは、今日のダイアリーの主題ではありません。画面の左側にご注目いただきたいのです。

「ジャンル」で本家本元の「本」が7000件以上あり、このご時世ですから「電子書籍」が260件というのもわかります。「雑誌」は『ふらんす』という月刊誌を出しているのでそれがヒットしています。その下にある「CD」というのは「語学書の別売りCDのことかしら?」と思いましたが、勤務先とはまるで無関係の商品がヒットしています。謎です。

そして最大の謎がさらにその下の「アダルト」26件です。

断わっておきますが、あたしの勤務先はアダルト作品など出していません。いったい何がヒットしてしまったのか、それは是非ご自身でお確かめください。

ハイポジ

この週末、深夜に放送されていたドラマ「ハイポジ」が最終回を迎えました。設定自体は荒唐無稽と言えなくもないですが、設定年齢があたしと近いこともあって、なかなか楽しめました。

それにしても最終回、どう解釈したらよいのでしょうか? いくつか疑問が湧きました。

光彦(の意識?)は最後は現代へ戻りましたが、過去の光彦はその後どうなったのでしょうか? それともこれはあくまで現在の光彦の夢、妄想の話だったのでしょうか?

もし本当に過去にタイムスリップしていたのだとしたら、光彦は現在へ戻ったあとの(過去の)光彦は意識が乗っ取られていたのを覚えて(自覚して)いるのでしょうか? そもそも未来の嫁である幸子とは別れ(まだ付き合い始めてもいない?)、さつきとよい感じになりましたが、その後どうなってしまったのでしょう?

もし過去を変えてしまったら現在も変わってしまうわけで、そうはならなかった現在でしたので、やはりタイムスリップは実際に行ったのではなく、あくまで光彦の妄想だったと理解した方が腑に落ちます。

ただそうなると、幸子と離婚した光彦が「たんぽぽ」でさつきと再会したとおぼしきラストシーンが謎です。「また声をかけてね」とさつきに言われ、その約束を30年越しで果たした光彦ですが、この約束が果たされたとなると、やはりタイムスリップは実際に起こったということになるのでしょうか?

そして、最後のシーン。光彦が再会したのは間違いなくさつきだと思いますが、さつきはその時独身だったのでしょうか? あるいは結婚したけど離婚して再会した時は独りだったのか? ここがはっきりしないと二人の関係は不倫になってしまい、再会の感動が薄れてしまいます。

それにしても、小沢さつきはデビュー当時の斉藤由貴を彷彿とさせる感じでした、あたし的には。確かにセーラー服にポニーテールはかつての女子高生のテッパンでした。

雪月花

今宵、雲の切れ間から月でも出れば、言葉どおりの雪月花。

そんな僥倖はなかなか訪れないものですが、かの六世・中村歌右衛門が亡くなった時、既に桜が咲いていたのに雪になり、なおかつ晩には月が出て見事な雪月花となったのを記憶しています。

さすが、大成駒屋!

明日はどうする?

多摩地区は大雪です。たぶん10センチは積もっているのではないかと思われます。このままですと、明日の朝が大変です。このところ最寄り駅まではまだ暗いうちに30分ほどの徒歩通勤なので、雪が積もっていたら厄介です。できれは、この後は雨になって雪を溶かしてくれるとありがたいのですが……

それはそうと、その明日からの仕事はどうしましょう?

いまのところあたしの勤務先、出張は自粛となっていますが、会合への参加とか、書店訪問営業を禁止しているわけではありません。でも、こんな状況が続くと「書店訪問は自粛」という事態になりかねませんし、既にそうしている出版社もあります。

書店営業が書店を回れなくなったら何をすればよいのでしょう? 一日や二日なら日頃片付かない社内の仕事もありますけど、一週間、二週間となると社内でやることもなくなります。かといって在宅勤務と言われても、自宅にいたって仕事なんかあるわけがありませんので、在宅勤務ではなく在宅休憩になってしまいます。

しかし、この調子でいくと業界全体が止まる可能性がないとも言えません。今のところ取次の集品がやって来ているので書籍の流通は動いていますけど、もし止まることになったら業界はどうなってしまうのでしょう?

コロナ騒ぎの陰でひっそりと……

新型コロナウイルスの蔓延を防ぐため東京都もかなり深刻な状況になってきました。明日明後日の土日は都内のデパートなど商業施設の多くが休業するそうです。

幸い、この週末は天気が悪そうなので、出かけようという人は少ないと思われるので影響は限定的かも知れませんが、これが今後も続くようであれば、そしてもっと広範になれば都民生活にも深刻な打撃を与えるのではないでしょうか? いや、そもそもあたしは出社できるのでしょうか?

そんな中、あたしの勤務先の最寄り駅の一つ、JR中央線のお茶の水駅が変わります。聖橋のすぐ脇にあった聖橋口の改札がこの週末で閉鎖され、新宿寄りに少し移動するそうです。来週の出勤時からは新しい聖橋改札口になるわけです。それが一枚目の写真です。

場所は、丸善御茶の水店の真ん前になります。当然、これまでの聖橋口へ通じる階段も閉鎖されるので、電車の中で乗る車両も変わります。車両ごとの混雑状況も微妙に変化するのではないでしょうか?

そしてもう一つ。二枚目の写真です。

鎌倉の駅前にある松林堂書店が月末で閉店です。それを記念して作られたスタンプを捺したミニ色紙をいただきました。

なんと明治35年からやっていたのですね。とすると創業1118年ですか? あたしの勤務先よりも長い歴史です。残念です。鎌倉駅周辺にはまだ書店があるとはいえ、昔から当然のようにそこにあった本屋さんが消えてしまうのは寂しいことですね。

愉快なロンドン、楽しいロンドン?

新型コロナウイルス騒ぎで、あちらこちらで自粛ムードになっています。大規模なイベントは延期や中止が相継いでいますし、公演なども同様です。そんな中、映画館はやっているのでしょうか?

何が気になるのかと言いますと、ジャック・ロンドン原作、ハリソン・フォード主演の「野性の呼び声」です。今のところ、この映画を見に行く予定はありませんが、ジャック・ロンドンの作品ですので気になります。

ジャック・ロンドンと言えば、『マーティン・イーデン』をあたしの勤務先から刊行していまして、読んだら非常によかったという記憶があります。名作と言ってよい作品だと思いました。

というわけで、映画原作の『野性の呼び声』だけでなく、この機会に気軽に手に入る文庫本のジャック・ロンドン作品、『白い牙』と『どん底の人びと』も購入してしまいました。

読みたい本がたまっている身の上ですが、できるだけ時間を作って全部読みたいと考えています。今年の夏から秋ごろには「マーティン・イーデン」の映画も日本で公開になるそうなので、それまでには読み終えたいと思います。

何分咲きなのかわかりませんが……

わが家の近所の桜の名所、ほんの100メートルくらいの通りの両側に桜が植わっていて、この三連休、一気に咲き始めました。

少し前に、このダイアリーでも数輪咲いたご報告をしましたが、この温かさで一斉に花開いた感じがします。もちろん株によって差があり、「これなら満開と言ってもよいのでは?」というのもあれば、「これはまだまだ咲き始めだな」というのもあります。

わが家の近所の桜、もう年老いているのか、この数年で伐採されたものもあります。強風の時に倒壊した株があり、市が桜の状態を調査して危ないものは倒壊する前に伐採してしまったようなのです。

ですから、株自体も少なくなっていますが、残っている株も枝の間の隙間が広くなったような気がするのですが……

いや、まだ5分咲き程度だから隙間だらけに見えるだけで、満開になればビッシリと薄いピンク色に染まるのでしょうか?

確かに、一枚目の写真ですと隙間だらけ、スカスカな桜並木ですが、二枚目の写真を見ると多少は桜のトンネルっぽく見えませんか? 単に見る角度の問題なのでしょうか?

そして、一番最初に咲き出した株の下から見上げると三枚目の写真のような光景です。青い空をバックにピンク色がきれいです。この株はほぼ満開と呼んでもよさそうな、今を盛りと咲き誇っています。

いや、咲き誇るどころか、今日の強風のため、既に一枚、二枚と散っている花びらもあります。

うーん、花の命は短くて……

やはり、桜は散り際が美しいものです。

ひとまずこれくらいあれば……

毎日の往復の電車の中だけでなく、営業回りの途次の電車の中も読書の時間です。

もちろん、時には睡魔に負けてしまうこともありますが、基本的には読書の時間です。荷物が重くなるのを避けたいので、文庫や新書をカバンにしのばせていることが多いですが、このところ食指の動く新書が多かったので、買いだめというわけではありませんが、ついついこんなに買ってしまいました。

これで果たして何日持つのでしょうか? 早い時ですと2日くらいで一冊読んでしまうので、それでも三週間くらいは新たに購入する必要はないのではないかと予想しています。

「売るために本を作っていない」

今朝の朝日新聞別刷beは藤原書店の社長(社長ではなく社主というのが正式なのかしら?)が登場。

藤原書店と言えば、記事にもありますように、重厚な本を出版しているというイメージです。いわゆる大手のヒット作のようなバカ売れはしないだろうけど、確実に売れている書籍という印象が強く、この記事もそんなイメージを裏切りません。

冒頭、1000円の本を10000部売るのも5000円の本を2000部売るのも売り上げは同じ、だったら流通コストなども勘案すると後者の方が利益が出るという意見は思わず首肯してしまいます。しかし、1000円の本が10000部売れたら、多くの場合そこで終わらずに、数万部単位で売り上げは伸びるものです。そういう壁というのがある気がします。

一方、5000円の本を2000部売るのは難しかったりします。ならば10000円で1000部はどうかと言いますと、やはりこれもおいそれとは行きません。よく値段が半分になったら倍の数を売ればよいと言われますが、値段が半分になったからといって、買ってくれる人が単純に2倍になるわけではありません。確かに多少の増加は見込めますが、2倍まで行くかと問われると、そこが実に難しいところです。

なおかつ、このところの長引く不景気で財布の紐も硬くなっていて、よい本だから買ってくれる人は、いることはいるのですが、確実に少なくなっている気がします。なおかつ各社が高額本を出しまくれば、読者だってすべてを買ってくれるわけではないので、少ないパイの奪い合いになってしまいます。

結局、読者に他社の本ではなく自社の本を選んでもらえるような本を出していくしかないわけで、詰まるところ昔から言われているように、よい編集者がよい本を作るという王道で戦うしかないのでしょう。でも「よい編集者」とか「よい本」という客観的な判断基準のないものって一番難しいのではないでしょうか?