雨のち晴れ

では、雲の上の図書館から市街へ戻って以降の研修旅行を簡単に振り返ってみます。

大雨の中、梼原町から戻ってきて立ち寄ったのは、高知大学生協です。キャンパスは市街から少し郊外に離れたところ、いかにも地方の国立大学らしいキャンパスでした。

生協の書籍売り場は写真のような感じで、見慣れた大学生協の風景です。医学以外はこの校地に集約されているのか、文系外にも理系の書籍も並んでいました。

半分くらいが文房具など物販で、お弁当なども並んでいました。ちょうど昼休み時間帯に重なってしまったので、多くの学生で店内は賑わっていました。書籍を買いに来た(見に来た)学生もいたと思いますが、我々が背広姿で大挙して占拠していたので引き返してしまったかも知れません。申し訳なかったです。

昼食を済ませたら、市街にある金高堂の本店へ向かいました。アーケード街の中にあるお店で、そのアーケード街も平日の昼間とはいえ、十分に賑わっていました。

金高堂本店は、夏に朝倉ブックセンターからスタートしてた人文書フェアがまだまだ真っ最中です。ご覧のように広いスペースを使って、正面入り口を入ったすぐの場所で大々的に展開していました。

筑摩書房や創元社、平凡社などは今回のフェアでなくとも日頃からお客様も見慣れた出版社だと思いますが、それ以外の出版社ですと、高知のお客様も「こんな出版社聞いたことない」「名前は知っていたけど、本を見たのは初めて」というケースも多かったのではないでしょうか?

ここまで売れ行きを伺うと、値段の高い安はあまり関係なく、こちらの印象としては「こんな高い本が売れたんだ」「こんなシブい本に興味を持っているお客さんがいるんだ」という感じです。嬉しい誤算と言ったら高知の方に失礼かも知れませんが、まだまだ地方の可能性を垣間見た瞬間でした。

金港どの店内の柱で、一見するとポスターのように展示されていたのが、大量のマッチ箱でした。ポスターではなく、実際の街箱を並べているのです。大きさが微妙に異なるマッチ箱をきれいに並べるのはかなりの手間暇がかかったようです。

マッチ箱って、最近は見かけなくなりましたが、昔は喫茶店や飲み屋に行けばレジのところに大量に置いてありました。百円ライターやチャッカマンに押されてどんどん消えていってますね。寂しい限りです。そう感じたからなのでしょう、金高堂が協力して『マッチと街』という本が刊行されています。

二日目の訪問、見学は以上で、宿は土佐御苑という老舗旅館でした。料理も美味しく、楽しい晩でした。本来なら高知に二泊ですから同じ宿に泊まればよいものを、何やらこの時季に学会があったようで、市内のホテルや宿を押さえるのに苦労があり、二泊別の宿となってしまいました。

そして研修旅行三日目。昨日の雨から一転、南国土佐そのままのよい天気に恵まれました。

朝の早い時間はまだ雨が残っていたのですが、急速に回復し、太陽も顔を出し、夏が戻ってきたのではないかと感じるくらいの天気になりました。

そして本日の訪問先は、金高堂朝倉ブックセンターです。

その前に、朝倉ブックセンターのすぐ近くになる金高堂外商部にもお邪魔してご挨拶。その後の訪問となりました。

ご覧の通り、なんとマンションの一階が店舗です。郊外型の店舗でこういう立地は珍しいですね。このお店は、夏から人文書フェアをやってくれていて、少し前に終了、フェアは昨日訪問した本店に移っています。

しかし、フェアをやっていた残り香のように、少し本を残してくれています。フェアの結果を見ますと、やはり市街地に位置する本店とは売れ方、ケイコウに若干の違いが見えます。朝倉ブックセンターの方が比較的一般的、柔らかめの本が売れていたように感じました。

お店自体は広々としていて、郊外の住宅街にある書店としては十分な広さでしょう。もっとコミックや雑誌、DVDや文具などを中心にしている郊外型の店舗を見慣れた目には、極めてオーソドックスなお店に感じられました。なんといっても棚の高さがお年寄りやこどもにも優しい低さです。「いったい手が届くのか?」というくらい高い棚に慣れていた昨今、こういう本屋は昔懐かしく感じられます。

郊外にあった朝倉ブックセンターを後にして、再び市街地の中心部、オーテピア高知図書館を訪問。ここが今回の研修旅行の最終訪問地です。

ここは、図書館としては県立図書館と市立図書館が一緒になっている珍しいタイプの図書館です。珍しいというよりもここしかないのではないでしょうか? その他にも障害者のための「声と点字の図書館」やプラネタリウムも併設した「みらい科学館」も同じ建物に入っています。

まだ新しく、広く明るい図書館で、大勢の利用者で賑わっていました。前日に訪問した雲の上の図書館とは役割などが異なるので非常に対照的で興味深かったです。金高堂の本店がすぐお隣と言ってよいような場所にあり、さらにはグルメタウンのひろめ市場もすぐそば、ちょっと歩けば高知城という好立地です。周囲に県立高校などもあり、ここに知の拠点である図書館があるのは好都合だと思われます。

雲の上まで行って来ました?

研修旅行二日目はあいにくの雨でした。そんな中、まず向かったのは高知市街からバスで約90分。もう少し行けば愛媛県という梼原町です。

なんでそんなところへ行ったのかと言いますと、写真の施設「雲の上の図書館」を見学にです。こう言っては失礼ですが、行くまでは「因習に縛られた、人跡未踏の限界集落」のようなところをイメージしていました。

確かに、道中は人家も稀なところも多く、四万十川の源流になるのでしょうか、清流沿いにしがみつくように建つ民家が散見されるようなところをバスで走っていきました。正直、ここで暮らすのは大変だなあと思いましたが、図書館の周辺は町の中心部になるからでしょうか、建物も多く、ほどよく賑わいのある場所でした。

そして、雲の上の図書館です。

なんでこんな遠く離れた図書館へ向かうことにしたのかと言えば、その建物が隈研吾の設計になると聞いたからです。一度は見ておくべき建物だということで、はるばる出かけて行ったのです。

建物の外観は、確かに木を多く使っているのが目立ちますが、だからといってどうなの、と建築に疎いあたしには、やや目を惹く建物だなあという印象でした。

ところが、中へ入った途端印象が一変しました。

まず靴を脱いでスリッパに履き替える、あるいは裸足で入るのです。これは木の温もりを感じて欲しいからだそうです。確かに靴下を脱いで歩きたくなる内部です。子供なら裸足で走り回るところでしょう。

そして板張りの床も温かみがあって素敵なのですが、天井から降りてくる無数の角材。これはメインの柱を幹に見立て、そこから生い茂る枝を表わしているそうですが、もちろん耐震的なこと、強度なども考慮に入れた設計なんだそうです。

入り口から広がる大きな階段状のスペースが圧巻ですが、エントランスにはグランドピアノが置かれ、この階段がちょっとしたコンサートやイベントの座席としても使われるそうです。

こどもの本のコーナーも、書棚から床まですべて木なので、とても落ち着ける、くつろげる場所になっています。

写真の真ん中あたりに「す」という表示が見えると思いますが、この雲の上の図書館では書棚を管理する棚番号に平仮名の「いろは…」を使っているそうで、こどもの本のコーナーの棚がちょうど「す」に当たっていたわけです。

二階の一画に文庫・新書コーナーがありました。ご覧のように、こちらも木の棚です。各社の文庫や新書が整然と並んでいて、とても格好よかったです。

ここの棚番号は「ゑ」のようですね。

ここに限らず、書架にはまだ空いているスペースが散見されましたので、しばらくは蔵書が増えても問題なさそうですが、出版点数が増えている昨今、あっという間にいっぱいになってしまうのではないでしょうか? もちろん、この町の住民構成などを考えると、あまり専門性の高い本まで揃える必要はないのかも知れませんが。

上述のこどもの本のコーナーのすぐ近くにあったのがこちら、新聞コーナーです。

新聞各紙を閲覧できるようにしているのは図書館の定番ですが、ここであたしの目を惹いたのはこの新聞の収納書架です。

上部は最新の新聞の閲覧台になっていて、その下の引き出しがバックナンバーが入っています。この引き出し、閉まっている状態ではとてもここに引き出しがあるとは思えないようなデザインで、ちょっと押してあげるとスルスルと前にスライドしてくるのです。とてもオシャレでした。

新聞ですから書籍ほど重くはありませんが、それにしても引き出しの開閉はとてもスムーズでした。そして、やはり木の温もりがやさしくて温かいです。

そして、この図書館でもう一つ目を惹いたと言いますか、珍しいと思ったのは書籍に貼ってあるシールです。

ご覧のように、カラフルなドット模様です。これを専用の機械で読み取れば書誌情報などがわかるようになっているそうです。他の図書館では見たことのないこのシール、一般的な図書館で見るものですとバーコードがほとんどだと思いますが、これからはこちらに変わっていくのでしょうか?

さて、これまでの写真の中によーく見ると写り込んでいたこちらの生き物(?)に気づかれた方はいらっしゃいますでしょうか?

 

これは雲の上の図書館のマスコットと言いますか、キャラクターの「くもっぴー」です。

イラストとして、館内の看板や表示にこっそりと顔を覗かせている以外にも、人形として館内の天井からぶら下がっていたり、書架のすき間に座っていたりしています。その名の通り、雲を擬人化(?)したものです。うるるとさららではありません!

雲の上の図書館の書架を見ていると、こんなジオラマが書架にはめ込まれているのに気づきます。

つい魅入ってしまうジオラマですが、これらはすべて海洋堂の作品だそうです。なんでも海洋堂の創業者が、こちらの方の出身だということで製作をお願いしたそうです。

こんなところで海洋堂とお目にかかれるとは! そう言えば、海洋堂ホビー館四万十なんて言うのがあるそうですね。

といった雲の上の図書館見学でした。あいにくの雨が恨めしい反面、木の温もりを感じさせる建物と雨がマッチしているとも言えました。来てよかったと思える施設でした。

その後は高知市街に戻り、高知大学生協と金高堂本店を訪問し、宿にチェックインいたしました。

高松? 香川? 讃岐?

23日水曜日から25日金曜日まで人文会の研修旅行に行ってきました。今回の旅行先は香川と高知です。

まずは空路、羽田から高松へ飛び、宮脇書店の南本店を訪問しました。宮脇書店の総本店と本店は過去に訪問したことがありましたが、南本店は初の訪問、見学でした。

ご覧のように、あたしの予想をはるかに上回る建物でした。市街の繁華街にある本店に比べるとこちらは郊外型、ロードサイド店です。

あたしの勤務先の書籍は、配本があまり多くないのか、棚にはあまり見かけませんでしたが、この規模と賑わいですので、棚に置いてあればしっかり売れるお店だと感じました。

総本店、本店とうまい具合に住み分けと言いますか、カラーの違いがはっきりしていて、出版社によっては売れ方にかなり違いが出るのではないでしょうか。それも出版の面白さです。

そんな南本店を訪問した後は、高松駅にほど近いサンポート・マリタイムプラザ内にある郷屋敷で昼食をいただきました。

この郷屋敷、以前の研修旅行で高松を訪れたときに、郊外にあるお店で食べたことがあります。郷屋敷という名前のとおり、立派な建物だったのを覚えています。

その味が、駅前のデパートのような場所でいただけるとは、ありがたいものです。食事は写真のとおり、うどんを外すわけにはいきませんね。美味しくいただきました。

食後は、宮脇書店の総本店、そして本店、その後ジュンク堂書店高松店を見学し、バスで一路南下、高知へ向かいました。

高知に到着して、ホテルで地元書店の金高堂の方々との懇親会という一日目でした。

選択ミス

四国から帰京しました。

昨日の土砂降りとは打って変わり、まさしく「南国土佐」という言葉にふさわしい日差しの高知県でした。

しかし、逆に関東地方が大雨に見舞われていることはニュースで知っていたので、「果たして我々が帰るころは大丈夫か?」というのが参加メンバーの気持ちでした。そして、工程をこなし、帰京も目前になってくると話題は「果たして予定どおり飛行機は飛ぶのか?」「そもそも東京からの到着便が遅れるのではないか?」「我々が羽田へ着く頃はよいとしても、天候のために着陸できなかった飛行機が羽田上空に溜まっているのではないか?」という風に変わっていきました。

案の定、あたしたちが乗るべき飛行機の到着が 遅れ、出発が30分 遅れました。途中、羽田上空が混んでいるということで静岡上空で旋回して時間潰しをしていました。まだ雲が取れず揺れそうな関東へ近づくよりも、安定している静岡上空で待機する方がよいのでしょう。

結局羽田は一時間の遅れでした。ここまでは織り込み済みでした。夕方の東京なのでモノレールと電車を乗り継いで帰るのはちょっとしんどいと思い、うまいタイミングで武蔵小金井か国分寺行きの高速バスがあればそれに乗ろうと考えました。道路が多少混んでも構わないや、という気持ちでした。

で、国分寺行きがあと30分後に出発でしたので、これは幸いと切符を買いましたが、いざ乗り場に並ぶと、道路混雑で5分ほど遅れて到着・出発となりました。やはり金曜日の夕方は混んでいるのかと思いつつ乗り込みました。

渋滞はあたしの予想以上でした。羽田周辺はもちろんの頃、首都高の分岐・合流のところで渋滞が何か所もあり、首都高四号線の永福を過ぎるまではスムーズに走れない状況でした。

そこからは順調でしたが、結局自宅へ帰り着いたのは9時を回った頃でした。これなら羽田で素直にモノレールに乗った方がはるかに早かったです。バスもほぼ満席でのんびりゆったりという感じではなかったですから……(涙)。

処女地です

研修旅行です。

羽田から高松へ飛び、高松の書店を訪問した後、一路南下。

と思いきや、まずは西へ向かうのですね。四国の東西の中央に近いところまで西進して進路を南に取りました。そこからはほぼ真っ直ぐ南下したようです。途中で吉野川も目にすることができました。

さて高知県は初めて足を踏み入れました。本格的な書店訪問は明日以降ですが、どんな旅の思い出が作れますでしょうか……

愛するってなんだろう?

Youtubeで「林奕含」を検索をするといくつもの動画がヒットします。以下に引用したのは、そのうちの一つです。

ごくごくフツーの若くてきれいな女性がインタビュアーの質問ににこやかに答えている動画にしか見えません。この時からそれほど時間をおかず彼女みずから命を絶ってしまうなんて、とても想像できません。しかし、それが事実です。

『房思琪の初恋の楽園』を読みましたが、苦しいです。そして男の身勝手さ、醜さが読んでいて吐き気が出そうになるほどです。そしてそんな男をも含んだ世間、社会の冷淡さ。そんな醜悪な世界の中で必死にもがき苦しみながら生きようとした主人公・房思琪(ファン・スーチー)の純粋さと解釈したら、恐らく作者に「あなたはこの小説を誤解している」と言われてしまうのでしょう。

「訳者あとがき」には

「誘惑された、あるいは強姦された女の子の物語」ではなく、「強姦犯を愛した女の子の物語」なのだと言いつつ「かすかな希望を感じられたら、それはあなたの読み違いだと思うので、もう一度読み返したほうがいいでしょう」と「かすかな希望」を否定する。彼女の思いも、愛する文学に救いを求めて客観的に描こうとする意識と、心の奥底に澱む絶望との間で、最後まで揺れ続けていたのではないだろうか。

とあります(267頁)。

本書をどう読むのが正解なのか、あたしにはわかりません。三人称で書かれた文体は、確かに房思琪を主人公としつつも、全体的な語り手は劉怡婷(リュウ・イーティン)でもありますし、その他にも複数の登場人物の心の声が折り重なってきます。誰の視点で読むかによっても異なる印象を与えるのではないでしょうか?

最初と最後は、豪華なマンションに暮らす住人たちの、ちょっとしたホームパーティーのシーンです。しかし、何の予備知識もなく描かれる最初の会食のシーンと、本書を読み通した後の会食のシーンがまるで異なる印象になるのは当たり前でしょう。そして最後の最後、マンションの前を通りがかった人のつぶやき、「申し分のないい人生」という言葉には皮肉が効きすぎているように感じられます。

ふだん、あまり人と本の感想を語り合いたいとは思わないのですが、本書だけは他の人がどう感じたか、どう受けとめたのか、聞いてみたいと思いました。読書会向けの本というには苦しすぎますが。

休暇届、欠勤届

既に書きましたが、一昨日、あたしは会社を休みました。

前々から休むつもりだったわけではないので、昨日出勤して休暇届を出しました。

休暇届は、日付の他に理由も記入しますが、ここは「私用のため」と書けばOKです。でも、まだ新入社員だったころ、親戚の法事だったかがあり、あたしはきちんと「法事のため」と書いて出そうとしたところ、当時の上司から「ここは私用のためと書いておけばいいんだよ」と言われました。それ以来、届け出は毎回「私用のため」としています。

他社はどうなのでしょう? どこも私用で構わないのでしょうか?

「早く結婚したい」と言います。

新潮新書『いい子に育てると犯罪者になります』を読んでいます。その中にちょっと気になった一節がありました。

非行少年は、不遇な環境で育っているため、「早く結婚したい」と言います。自分が温かい家庭で育ってこなかったので、温かい家庭を持ちたいのです。(同書182頁)

不遇な家庭で育つと早く結婚したがる傾向にあるということですよね? そうなのでしょうか?

あたしの場合、亡き父は浮気性で、母はかなり苦労させられたと思います。結果的に家庭を壊すまではいかなかったですけど、一時期は離婚も現実的な状態だったのを子供心に記憶しています。ただ、決して父親が家庭を顧みず、子供の相手もしないというわけではなかったので、想像されるほど悲惨な家庭ではなかったとは言えると思いますが……

そんな家庭で育ったあたしも、結婚はしたいなあと思いつつも、心の奥底で「自分にもあの父親の血が流れているわけだから、家庭を持っても決して家族を大事にできないのではないか」という恐れがあり、「自分も妻を省みず浮気をしてしまうのではないか」という恐怖心がずっとありました。だから、いまもって結婚もできないですし、恋人もできたことがありません。

正解なんてない事柄ですから、どちらが正しいとは言えないのでしょうけど、あたしはそんな風に感じました。

というわけで、今日は会社、休みます

三連休明け。

いつものように6時少し前に自宅を出て最寄りのバス停へ。いつも見かける顔ぶれと共にバスを待ち、定刻どおりにやって来た路線バスで中央線の国分寺駅へ。

ニュースでは高尾から西の中央本線・大月までが不通になっているとのこと。いわゆる通勤路線としての中央線は高尾までですが、この数十年、高尾より先も宅地化が進み、猿橋とか相模湖とか、あのあたりは十二分に通勤圏内となりました。あたしのように御茶の水までですとちょっと遠いでしょうけど、八王子や立川あたりに勤めている人であれば、相模湖あたりはそれほど遠くはなく、まさしく通勤圏内でしょう。

が、国分寺に着いてみると、改札前の人がいつもより多いですし、改札から外へ出てくる人もかなりの数です。高尾以西の不通がこんなに影響するわけはないよね、もしかして中央線お得意の人身事故かしらと思って改札からホームへ下りると、まさにその通り。既にとっくに発車しているはずの成田エクスプレスが停まっています。

放送に耳を傾けると武蔵境駅で人身事故と伝えています。人身事故だと運転再開までに早くても一時間近くはかかります。ふだんなら7時に勤務先に着くのですが、これでは7時を過ぎても国分寺を出発できているかわかりません。

更に追い打ちをかけるように構内放送では西武線も事故で停まっているようです。国分寺は西武線も通っていて、西武線経由で都心へ向かおうとしている人も多かったと思いますが、こちらもどうなってしまうのか。

となると、バスで京王線の府中へ出て京王線に乗るというルートしか残っていませんが、その府中へ向かうバス停は既に長蛇の列でした。こんなにまでして会社へ行く必要はありません。今日は神様が与えてくれた休日だと頭を切り替え、自宅へ戻りました。

そろそろ中央線も動き出したようですね。

小田急のCMのようなほんこわ

迫り来る台風のため、多くのテレビ番組が報道番組に変更になるかと思っていた週末。NHK以外は、ほぼ予定どおりの番組を放送していましたね。

で、あたしも録画してあった「ほんとにあった怖い話」を見ました。いくつかあったエピソードの中で、怖さとは別の意味で気になったのが佐藤健主演の「汲怨のまなざし」でした。

佐藤健演じる主人公は、ごくごくフツーのサラリーマンで、妻と幼稚園に通う息子との三人暮らし。妻や息子を大事にする、よき夫、よき父親です。そんな佐藤健の周囲に得体の知れない女性の霊が取り憑くようになります。

とまあ、こんなストーリーなんですが、気になったのは佐藤健以外の出演者です。佐藤健の妻を演じたのは、小田急電鉄のCMで泣きながら下北沢の街を歩く女性、阿部純子という女優さんらしいです。どこかで見たことある顔だと思ったわけです。

そして佐藤健に取り憑く幽霊(悪霊?)を演じているのが、同じく小田急電鉄のCMで高校時代からの仲良し三人組を演じたうちの一人、趣里という女優さんです。なんと俳優水谷豊と伊藤蘭の娘なんだそうです。

とまあ、小田急のCMは関東ローカルで流れていると思いますから、関東以外の方は見たこともなければ知りもしないと思いますが、逆に関東在住でこのCMを見知っている人であれば、なんとなく小田急のCMを見ているような既視感に囚われそうな話だったのではないでしょうか?