北京、プラハ、台北

先のダイアリーでプラハが北京との友好姉妹都市関係を解消し、新たに台北と友好姉妹都市の関係を結んだというニュース、それに対して中国が「一つの中国」の原則に反するものだと猛反発したというニュースを紹介しました。

プラハの市長が海賊党の党員だということに気づいて、あたしの勤務先から以前『海賊党の思想』という本を出していたこともお伝えしましたが、さらに思い出したのは実は『プラハ、二〇世紀の首都』という本も出していたということです。

ところで中国の反発ですが、もし中国が「一つの中国」を主張するのであれば、姉妹都市を北京から台北に移しても別に同じ国内のことなのだから別に構わないのではないか、という理屈は如何でしょう? これが他の国へ移ったのなら不満も出るでしょうが、大陸側の理屈なら台北だって同じ国の中です。国内で友好都市が移転しただけの話です。ですから、北京市長が不満を訴えるのであれば理解できますが、中国政府が文句を言うのはどうなのでしょうね? みずから「一つの中国」を否定していることになりはしないでしょうか?

久しぶりにこの名称を見た気がします

今朝の朝日新聞です。

中国の人権問題に対する海外からの異議申し立てでしょうか? 習近平政権になってからますますひどくなっているとは、多くの証言が異口同音に伝えることですから今さら驚きませんが、いまさら驚きはしませんが、このように海外からの声が大きくなると習近平のイライラも募ることでしょう。

ただ、あたしがこの記事で注目したのはそういうところではなく、「海賊党」という名称です。

ご存じですか、海賊党って。

カリブの海賊やキャプテン・ハーロックではありません。ヨーロッパの政党と言いますか、政治団体と言いますか、そういったものです。

なかなか海賊党について書かれた本はありませんが、あたしの勤務先から一冊出ているのです。『海賊党の思想』です。ご興味を持たれた方、是非!

乃木坂46にスクールウォーズ的なものを感じるのはあたしだけでしょうか?

乃木坂46のまいやんの卒業が発表され、なんとなく「もう乃木坂46も落ち目、オワコン」といった声も聞かれます。確かに、売り上げとか諸々の数値を見るとピークには達したのかな、という気もします。

こういう言い方をすると「女性蔑視」「セクハラ」と訴えられそうですが、40代過ぎてもそれなりに活躍を続けている男性アイドルグループ(主にジャニーズ系?)と比べると、どうしても女性アイドルグループは賞味期間が身近と思います。もちろん、いくつになったって「キャンディーズがいまも好き」「中森明菜が永遠のスターだ」といった男性も少なからず存在するのは知っていますが、商業ベースとしての活躍という意味ではどうでしょう?

もちろん上述の男性アイドルグループだって生き残っているのはごくごく一握りで女性アイドルグループ同様、非常に狭き門ではあります。女性でもMAXなんて、今でもやっているグループもいますが、売れているのかと言えば……

さて、そんな乃木坂46ですが、あたしはこのグループに、往年のテレビドラマ「スクールウォーズ」に似たものを感じるのです。スクールウォーズは、昨年のラグビーW杯における日本代表の活躍で多少は思い出された方もいると思います。知らない若い方はWikipediaでも検索してみてください。

スクールウォーズはラグビーの高校日本一を目指す、いわゆるスポ根ものです。山下真司が主人公の先生&ラグビー部の監督です。その山下真司の下、つっぱり生徒たちがラグビーを通して一つになっていくという実話を基にしたドラマでした。当然、最終回は高校日本一になってハッピーエンド、というのは予想どおりの流れですが、実は生徒側の主人公とも言えそうな松村雄基が学生時代には日本一にはなっていないのです。

松村雄基たちの代は全国大会のよいところまでは行くのですが、結局は日本一にはなれません。日本一の夢は交替に託すのです。このストーリーが、あたしには乃木坂46とかぶるのです。

どういうことかと言いますと、乃木坂46のピーク(今後さらにブレイクするかも知れないので現時点でのピーク)は東京ドームの公演(2017年11月)を行ない、レコード大賞に連覇(2017年と2018年)をした時だと思います。しかし、その前に乃木坂46らしさの重要な部分を担っていた深川麻衣の卒業(2016年6月)、橋本奈々未の卒業(2017年2月)がありました。ななみんをことさら美化するつもりはないのですが、橋本が卒業した後に東京ドーム公演、レコード大賞という栄光をつかんだのは、個人的には非常にスクールウォーズとシンクロしていると感じられるのです。

たぶん、これはスクールウォーズはリアルタイムで見ていた世代だからこその感想、感覚なのだとは思います。でも古参ファンの多くが、ドームやレコード大賞の舞台にまいまいやななみんがいないことを残念に思っていたと思いますので、あながち的外れな感慨ではないと思っています。

いつのまにか、ここにいる

ようやく『いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46』を視聴。とりあえずは「DISC1 本編」を鑑賞しました。

 

基本的には、なーちゃんの卒業と四期生の加入という乃木坂46の大きな転機を追ったものだと思います。ですから、その割りを食ったのが二期生と三期生かな、という気がします。一期生も主力メンバーはそれなりに登場していましたが、アンダーメンバーは二期生、三期生同様、ほとんど登場していなかったです。

その意味では、前作『悲しみの忘れ方』同様、ピックアップされたメンバーをフューチャーし、その他のメンバーは背景にされてしまっていますね。これだけの大所帯のグループだと仕方ないところでしょう。熱いファンはともかく、一般的な人向けには、わかりやすくストーリーを描くにはこうするしかなかったとも言えます。しかし、この手の作品をファン以外が金を出して見に来るのだろうか……

全体を通して、なーちゃんの卒業を受け、次世代として斎藤飛鳥、大園桃子、与田祐希がメインで取り上げられている印象を受けました。この作品公開時点、あるいは製作時点ではこの三人がポスト西野七瀬時代の乃木坂を引っ張っていく核になると考えられていたのかな、と思われます。

あたしが試聴したタイミングでは、乃木坂46はさらに大きな激震、白石麻衣の卒業発表がされているので、そういうフィルターを通してみてもなかなか胸に迫るものがあります。次のドキュメンタリーが作られるとしたら、白石麻衣の卒業がメインになるのでしょうが、その時点で松村や高山、中田といった一期生の年長組はどうなっているのでしょう、あと二期生の新内も。これらのメンバーが去って行き、三期生、四期生が主力になる(三期・四期合同ライブなどもハイライト?)時期が描かれるのでしょうか?

個人的には、蘭世や絢音ちゃんが主力になる時代もまだ諦めていませんが……

レバノンと言えば……

日本から逃亡したカルロス・ゴーンの件でにわかに脚光を浴びているレバノン。どこにある国か、すぐに白地図上で指し示せる日本人はどれくらいいるのでしょう?

はい、中東の一国です。中東問題というとイランやイラク、それにシリアやイスラエルがすぐに名前の挙がる国ですが、レバノンも重要な国です。

しかし、日本ではどうしても馴染みが薄いですし、レバノンと聞いて思い浮かぶものがある人はかなり少ないのではないでしょうか?

あたしは真っ先に『デニーロ・ゲーム』を思い出します。海外文学シリーズ《エクス・リブリス》の一冊で、レバノンを舞台にした作品です。著者はラウィ・ハージ、現在はアメリカ在住ですが、レバノンのベイルート出身の作家です。

内戦下のレバノンで暴力や死と隣り合わせの生活を送る若者の物語です。2006年の作品なので、現在のレバノンとはかなり異なる部分もあるのでしょうが、殺伐とした雰囲気は今も変わらないのでしょうか?

そしてもう一つ、この曲も思い出されます。

「ファイナル・カウントダウン」で有名なヨーロッパの「Girl from Lebanon」です。歌詞の内容は知りませんが、タイトルに「レバノン」と入っているので、とても記憶に残っています。

世間を騒がす大問題?

乃木坂46の白石麻衣、否、まいやんがグループからの卒業を発表しました。

これがどれほどすごいニュースなのか、朝日新聞が夕刊でカラー写真入りで伝えていることからもわかるというものです。女性アイドルだと誰以来でしょうね? AKB48の前田敦子とか大島優子以来でしょうか? 指原はどうだったでしょうか?

女性アイドルグループのナンバーワンと言われるようになったこの数年、とはいえ世間一般に名前が知られているのは「まいやん」くらいしかいないでしょうね。乃木坂46ファンとしてはちょっと悔しくもあります。

それはさておき、新聞に夕刊があるのは大都市圏のみです。ですので、こういった夕刊に第一報が載った記事はこのままでは限られて人にしか届きません。とうわけで、煮豆医の写真は今朝の朝日新聞の紙面です。

なんと再びのまいやんです。それだけ大きなニュースなのですね。

ところであたしですが、多くのファンと同様、ここ二年くらいはまいやんの卒業はいつ来てもおかしくないと覚悟していました。もちろんまいやんは大好きですが、決して推しメンというわけではないので、そこそこ冷静に事態を受けとめています。特に今回の卒業は、ななみんの時のようにこのまま芸能界引退というわけではなく、これからもまいやんの活躍を目にする機会はあるでしょうし。

そういう意味では、芸能界をすっぱり引退したななみん(橋本奈々未)の卒業のショックは乃木坂ファンの間でも最大級だったのでは亡いかと、あたしは思うのです。

さて、今後の乃木坂46です。

まいやんの卒業を受けて、ものすごーく心を打つブログを書いた桃子に期待しています。それに、一期生が強い、強すぎると言われる乃木坂ですが、あたしは二期生にも三期生にも有望な人材は多いと思っています。まだまだ頑張れるのではないか、否、頑張って欲しいと思います。

占いを信じますか?

朝の星占いで一日の気分が左右される人ってどれくらいいるのでしょう?

あたしは毎朝、TBSの「はやドキ!」とテレビ朝日の「グッド!モーニング」を見ていまして、両番組の星占いをチェックしています。

局によってと言いますか、番組によって、つまりは占い師によって、同じ星占いなのに結果が全然異なることは日常茶飯事で、これに新聞や雑誌などの星占いを加えたら、星占いはまるで信用するに値しない代物と結論づけざるを得ません。

以前は、フジテレビの「めざましテレビ アクア」と「グッド!モーニング」を見ていたのですが、この両番組の星占いは本当に見事なまでに対照的でした。ですから、信じられないと思うよりも、よりよかった方のご託宣を信じるようにしていました。

ところが上述の、現在視聴している二番組は、星占いの結果(順位)が比較的一致することが多いです。かなりの確率で一位と最下位が同じになります。そうなりますと、俄然信じたくなるものです(笑)。

というわけで、本日のご託宣(テレビ朝日版)は画像のとおりです。問題は、あたしには「気になる人」がいないという点です(汗)。

正月早々騙されました

パク・ミンギュの『短篇集ダブル サイドA』を読み始めました。

巻頭の作品「近所」は、ちょっとノスタルジックで甘酸っぱい作品、余命宣告された主人公と幼馴染みの年月を超えた逢瀬のような純愛小説家と思いきや、見事に騙されました。

余命を覚悟して、久々に小学校時代の仲間に再会する、その中に一人女性が含まれている、そしてその女性は夫と別れて女手一つで子供を育てている境遇。特に昔好きだったわけでもないけれど、なんとなく惹かれるものもあり、いかにもの展開で「昔好きだったんだよ」となんて告白される主人公。徐々に逢う機会が頻繁になり、かつての同級生の耳にもその噂が入ってきて、たぶん人生経験豊富な、否、男女の機微に聡い人であれば、そのあたりでその後の展開は読めたのでしょう。

あたし見事に純愛路線を予想していました。たぶん束の間の恋、最後の恋、初恋(?)の女性に人生の最期を看取ってもらうラブストーリーを期待したあたしは、いい歳をして余りにも青すぎたのでしょうか?

次の作品は一転して読み進めるのが辛い話です。妻が認知症を発想した主人公。二人して死のうと決意して最後のドライブ旅行に出発します。若いころさんざん苦労をさせたからせめてもの罪滅ぼしという思いも抱えての旅です。

あたしには妻などいないので、この話の設定はわかりませんが、近い将来には同居する母が似たような状況になるのかと考えると決して他人事とは思えないストーリーでした。そんな状況になったら、あたしはどうするのだろうか? 妹にヘルプを頼むことになるのか、はたまた老人ホームに母を入れてしまうのか。

この手の話を読むと、いろいろと考えさせられます。さて、第三話へと進みますか。

これも実験小説?

暮れに『俺の歯の話』を読んでいました。

ストーリー自体は、決して波瀾万丈とか血湧き肉躍るといったものではなく、意外と淡々と進んで行ったなあと感じました。もちろん面白くないというのではなく、ちょっと滑稽で、ちょっぴり物悲しく、そしてとんでもない要素もあって。

むしろ「訳者あとがき」などにもあるように、この作品が作られた背景の方に興味があります。出版に至るまでのいくつかのバージョンや各国語版など、単なる翻訳ではなく、そこから新たに発展して生まれた別のバージョンとも呼ぶべき作品の成長。そこが非常に心を引かれました。

海外小説として読むと、「へえー、こんな作品もあるんだ」という驚きもありますが、オークションなどに興味がある人には更に楽しめる内容なのではないかと思います。そう考えますと、海外文学の棚に置かれるのが王道ですが、美術書・芸術書の棚に置かれても面白いかな、という気がします。そう言えば、かつて『オークションこそわが人生』なんて本を出したこともありました。こちらは小説ではありませんが……

こういう美術界を舞台にした作品ですから、原田マハさんの作品なんかが好きな人には面白く読んでもらえるのではないかという気もします。

あけましておめでたいのか?

新年になり、ブログやSNSでも「あけましておめでとうございます」の言葉が賑やかです。しかし、本当におめでたいのでしょうか?

いえ、別に世界情勢とか景気の悪さとか、そういった暗い状況について言いたいのではありません。

考えてみますと、特に年明けの仕事始で、勤務先の人にも同業者や書店の人にも、あたしのこの十数年「あけましておめでとうございます」と言ったことがありません。

意識して言っていません。

何故かと言いますと、喪中とか必ずしも正月や新年を祝っていない人が少なからずいるからです。こちらが知っていればよいですが、そうでない場合の方が多いです。そういう人に「おめでとう」なんて言ってしまっていいのかしら、という思いが働いてしまうので、「あけましておめでとう」というセリフに抵抗があるのです。

なので、この十数年、新年の挨拶では「今年もよろしくお願いします」とだけ言うようにしています。これなら角が立たないか、と自分なりに考えた結果です。

まあ、個人的におめでたい気分になれないというのも大きな理由の一つですが……