なんという奇縁!

先週の月曜から金曜までの京阪ツアー。

その折りに、いつものように京都大学生協ブックセンタールネにも立ち寄りました。このブックセンタールネの入っている建物は書籍売り場だけでなく、パソコン売り場やスーツ売り場もあり、2階には食堂もある、比較的大きな建物です。

その建物の入ってすぐのスペースでしばしば古書市が開催されています。やっている時は毎回覗いてみるのですが、今回こんな書籍が、なんと1000円で売っていたのでついつい買ってしまいました。

鈴江言一『中国解放闘争史』です。

鈴江言一と聞いてピンと来る人は中国近代史に相当詳しいのではないでしょうか? 恐らく多くの方が岩波書店刊『孫文伝』を思い出したことだと思います。もちろん、あたしもその一人です。

「鈴江言一の本か、安かったら買っておこう」と思って値段を確認すると1000円でしたから「これは買うしかない」と思って買い求めた次第です。函はちょっとボロボロですが、この手の本ではよくあること。古書としては状態はまあまあではないでしょうか。このくらいならわが家にもいくらだってあります。

さて、肝心の『孫文伝』も架蔵していたはずと思って確認してみると、なぜか2冊も所持しておりました。どうして2冊も買っていたのでしょうか? よほど安かったのか、最初に買った一冊の状態が悪かったのでもう少し増しな状態なものを再度購入したのでしょうか?

今とはなっては真相は闇の中ですが、ご覧のようにわが家には『孫文伝』が2冊ございます。

話は戻って『中国解放闘争史』です。

いつごろ刊行された本なのかと思って奥付を確認してみて驚きました。

別に戦後の刊行だったことに驚いたわけではありません。むしろ共産中国成立まで触れるのであれば1949年以降の刊行でないとおかしなことになりますから。

あたしが驚いたのはそこではなく、出版社である「石崎書店」です。浅学菲才にして石崎書店という名を知りませんでしたし、もちろん現在も続いている出版社だとは思えません。他にはどういう書籍を出していたのでしょうかね?

で、あたしが驚いたのは、その石崎書店の住所です。「神田小川町3-24」って、今あたしが毎日通っている場所なんですけど! これはなんという奇縁でしょう? そう思うとこの「石崎書店」と「岩波書店」もなんとなく似た感じがしてきますね。

どういうページへジャンプするのでしょう?

五日間の京阪ツアーが終わりました。

なんとか雨はやり過ごし、傘を使わずに回ることができました。空模様が不安というのはつまりはそれだけ冬型気圧配置が弱いということで、そのぶん異常な高温になる日もありました。気温が高いというのはコートも要らなくなるので、こちらとしては好都合ではあります。

さて、そんな京阪ツアーの帰路の新幹線。前の座席のシート背もたれをよく見るとこんなシールが貼ってありました。新幹線の運行状況がスマホで確認できるのですね。それは便利だと思います。

で、気になったのは多言語対応ぶりです。日本語と英語はわかるとして、一番右側、何語なのかわかります?

京都のバスの件

年に数回京都に来ます。市内の書店や大学生協を訪問するためですが、移動手段はもっぱらバスになります。

路線についてはずいぶんと頭に入ってきましたが、混雑状況は年々ひどくなっているような気もします。もちろん地区によっては混雑していない路線もありますが、それは単にその周囲にこれといった観光地(寺院とか美術館とか)がないと言うだけの話で、世界遺産をはじめとした古刹周辺はかなりひどい状況です。ただ、やはり新型肺炎のためでしょうか、今年に関しては若干人が少ないような気がします。もちろん一日や二日の滞在で即断はできませんが…………

その京都のバスですが、道路の渋滞や車内の混雑は仕方ないとして、それでもちょっとだけ不満があります。それは、バス停のバス接近情報です。

もうすぐ来るというお知らせはとても便利なのですが、あたしの感触としては「まもなく到着します」というアナウンスがあってから実際に到着するまでが長すぎます。もう少し近くまで来てからのアナウンスでよいのではないかと思います。

もう一つが、マナーです。歩道が狭く、一つのバス停に何路線ものバスが来るから仕方ないのですが、待っている乗客の並び方がひどいです。外国人が多いからではなく、日本人の方がマナーが悪いです。きちんと並ばずに横から割り込んだり、京都人が率先してマナー違反をしているように見えます。これでは外国からのお客さんはどこへ並べばよいのか、どの順番で乗ればよいのかわからないでしょうし、困っているのではないでしょうか?

そんな京都ツアー中に店頭で見かけて購入したのが『パンクする京都』です。

本に関する小さな記事

朝日新聞の朝刊にこんな記事が載っていました。

業界全体で久々に販売金額がプラスに転じたようです。出版業界で「プラス」なんて言葉を聞いたり目にしたりするのは本当に久しぶりのことです。なにせずーっと右肩下がりの業界ですので。

とはいえ、電子書籍が伸びたので辛うじてプラスになっただけのようで、紙の書籍は相変わらずマイナスのようです。その電子書籍もコミックがほとんどで、コミックが伸びたのも海賊版サイトが閉鎖されたからだという分析を読むと、うーん、紙の書籍の未来は非常に悩ましく感じます。なにか効果的な対策はないものでしょうか?

そんな中、書店は頑張っているみたいですね。東京の二子玉川で全国の個性派本屋が集まったイベントが行なわれるようです。

その地域で、そこにあった個性でやっているからこそよいのであって、それが東京のおしゃれな街に集まった場合、個性を発揮できるのでしょうか? あたしは若干の疑問というか心配も感じてしまいます。

むしろ出店した書店同士の交流やアイデアの交感から生まれるインスピレーションとか、そういう今後へ繋がる波及効果は期待できるのかな、とも思います。そして二子玉川は個性派書店のガリバーのような蔦屋家電のお膝元でもありますし。

とはいえ、本当に苦しいのは、おじちゃんおばちゃんで細々とやっている、昔らかある町の本屋さんだと思います。個性を出すにもおじちゃんおばちゃんにそんなアイデアを出せというのも難しいでしょう。個性派書店のオーナーからすれば「何の工夫もせずに同じやり方で何十年も来てしまったのがいけない。自業自得だ」と言われてしまうのかも知れませんが……

カイロの持続時間

たぶん、「ホカロン」という商品名が有名なので、どれもそう呼ばれていそうなカイロの数々。小さいのとか大きめの、靴に入れるものとか、貼れるものとか、一番最初に発売されたころに比べると格段に進化したと思います。

その進化の中でも、恐らくメーカーが一番力を入れているのは温度の持続時間と最高温度ではないでしょうか? 特に持続時間に関しては、あたしの記憶が正しければ、最初に売り出された商品はせいぜい4時間程度しか持たなかったような気がします。それが今では8時間程度持つものがざらにあります。と言うよりも、それくらい持つものしか売っていないような気がします。

長く持っていいじゃないか、と言われそうですが、あたしは逆です。持続時間は4時間程度で構わないと思っています。

あたしは決して寒がりではありません。むしろ年を重ねて暑がりになったと思います。ですから、カイロを使うのは朝の出勤時のみで十分なのです。それだって毎日使うわけではありません。あたしはしばしばお腹が痛くなるので、そういう日にお腹にカイロを入れて出社するのです。なんとなくお腹を温めていると腹痛も治まる気がしませんか?

で、会社へ着いて午前中が暖かければ十分なのです。午後からの外回りは、移動の電車の中とか書店の中とか、むしろ暑いところが多いです。それなのに相変わらずお腹にアツアツのホカロンを入れているなんて、熱くて暑くてたまりません。

なので、あたしとしては4時間程度だけ持てばよいホカロンがあればいいなあ、と思うのですが、そういう商品って売っているのでしょうか?

書店の可能性?

一昨日の朝日新聞に載っていた記事です。

福岡のジュンク堂書店でドジョウが飼育されているそうです、それもかなり貴重な。

イベントをきっかけに飼育が始まったようですが、こんなことってあるのですね。

書店が文具を扱ったり、喫茶コーナーを設けたりしているところは珍しくもありませんし、同じジュンク堂書店では「本屋に泊まろう」なんてイベントもやっているくらいなので、書店というものの定義が揺れているというか、広がっているのだと思います。

とはいえ、書店で生き物を飼うなんて、近大マグロのようなノリで考えてよいのでしょうか? 各店でそれぞれ独自に生物を飼い始めたら面白いかもとは思いますが、維持費とか世話にかかる手間などを考えると難しいでしょうね。

でも珍しい植物とか小動物とかであれば、これからも可能性はあるのではないかと思います。ところで、このドジョウ、そのうち食べてしまうのでしょうか?

北より南では?

朝日新聞に多摩モノレールの記事が載っていました。たぶん東京版限定の記事ではないかと思います、だって多摩モノレールですから。

多摩モノレールって上北台と多摩センターを結んでいて、途中の立川で中央線と、高幡不動で京王線と乗り換えができます。そして中央大学など交通の便がちょっと悪かった大学群の中を抜けて多摩センターまでを結んでいます。その多摩モノレールが延伸だそうです。

このニュースを聞いてすぐに思ったのは遂に多摩センターと町田が結ばれるのか、ということでしたが、記事を読むとそうではなく上北台から北へ向かうようです。箱根ヶ崎までですか……

開通当初は大赤字の路線だったようですが、このところは安定した客足を維持している多摩モノレール。とはいえ、多摩センターと町田を結ぶのであれば需要もあると思いますが、上北台と箱根ヶ崎ってどうなのでしょう? 採算とれるのでしょうか?

ただ、逆に考えますと、南進ルートはそれなりに電車やバスがありますが、北進ルートの方が交通が不便な地域だと思うので潜在的な需要はあるのかもしれません。もちろん土地買収や建設費も南と北では火なり違いそうですが……

知りませんでしたが、今日はジャズの日なのだそうです

ネットを見ていて知りました。今日はジャズの日だそうです。ウィキペディアによると

JAZZの”JA”が”January”(1月)の先頭2文字であり、”ZZ”が”22″に似ていることから。

とあります。うーん、もう少し何か記念になるようなことがあった日なのかと思いましたら、ダジャレと言うかこじつけめいていて……

 

 

というわけで、あたしの勤務先で刊行しているジャズ関連の書籍と言えば『ジャズのことばかり考えてきた』『ジャズ・イズ』『宮澤賢治、ジャズに出会う』『かくしてモスクワの夜はつくられ、ジャズはトルコにもたらされた 二つの帝国を渡り歩いた黒人興行師フレデリックの生涯』になります。

今日だけは少し目立つところに並べていただけますでしょうか?

雪の降りだしそうな東京で……

パク・ミンギュの『短篇集ダブル サイドB』が深くしみます、特に最後の二編が。

それでも「アーチ」の方はストーリー展開も予想できる、ありがちと言っては申し訳ないけれど、そうこなくっちゃ、というエンディングです。とはいえ、ここまでずいぶんと執拗に韓国社会の闇と言うよりも息苦しさを描いてきたパク・ミンギュがちょっとホッとさせる掌編を贈ってくれたかな、という読後感です。

そしてページをめくって最後の「膝」は壮絶な、生きるための物語。時代設定がぶっ飛んでいるので多少は緩和されているかも知れませんが、この生と死のせめぎ合い、紙一重の綱渡り、恐らく韓国に暮らす大多数の人が感じているものなのではないかと感じます。真っ白な雪の中、主人公の「ウ」の孤独な状況と、常に「ウ」の脳裏を離れない家族のこと。

生きるため、生かすため最後の力を振り絞った後に「ウ」は何を失って何を手に入れたのだろうか? 寒空の日曜日に読んでいると、こちらの心まで冷えてくる作品です。

それにしても今回の短篇集、SF仕立ての話を含みつつも、とてつもなく悲しい作品ばかりです。どうしてこんな悲しみを抱えながら生きていなければ、生き続けなければならないのでしょう? 先のダイアリーにも書きましたけど、読み終わった時に『旅に出る時ほほえみを』の主人公《人間》の人生と重なる読後感です。時代も国も全然異なる作品なのに、同じものを読んだような読後感を味わっているのはあたしだけでしょうか?

なんとなくシンクロしている?

昨年末の紅白歌合戦で、坂道3グループが「シンクロニシティ」を一緒に歌ったからでしょうか? 年明けに読んでいた本の内容がちょっとシンクロしていまして……

新刊の『旅に出る時ほほえみを』ですが、とにかくあたしの期待以上によい作品でした。静かな哀しみ、そして正義の強さ、そんなものが感じられる作品なんです。

この作品の主人公《人間》が作りだした怪獣は地下探査ロボットです。地上の国境は軍事力によって警備されているので敵を攻めるには国境のない地下からというわけで開発されたわけではないのですが、国家の指導者はそういう目的に使おうと虎視眈々狙っています。

人類が何光年も離れた宇宙の彼方へ衛星を飛ばそうという時代においても、いや、そんな時代だからこそ足元の地下への興味、関心が強くなるのでしょうか? 《人間》からはそんな感情が読み取れるような気がします。そして地下への興味と言うことであれば、筑摩書房の新刊『短篇集ダブル サイドA』収録の「深」です。

こちらも地下へと潜っていく物語です。地下へと耐性を仕込まれた人間と読んでよいのか、人造人間的な人々が地下へ地下へと潜っていく話です。こちらも結末は悲しみに満ちていると感じられました。

「深」の方で地下へ赴くのは人なので、感情を持っているのはわかりますが、『旅に出る時ほほえみを』の怪獣はあくまで人間によって作られたロボットです。それが感情を持っていて人間を励まし慰めます。それがまた悲しみを誘うのです。どっちへ転んでも地下への冒険は悲しみを伴うものなのでしょうか?

いや、『旅に出る時ほほえみを』の悲しみは地下への悲しみではなく、現実社会の不合理に対する悲しみです。恐らくは当時のソ連の恐怖政治を揶揄している作品だと思いますが、これがどうしてなのか、現代にも十二分にリアルに迫ってきます。人類ってこれほどまでに進歩してない存在なのかと思わずにはいられません。