カイロの持続時間

たぶん、「ホカロン」という商品名が有名なので、どれもそう呼ばれていそうなカイロの数々。小さいのとか大きめの、靴に入れるものとか、貼れるものとか、一番最初に発売されたころに比べると格段に進化したと思います。

その進化の中でも、恐らくメーカーが一番力を入れているのは温度の持続時間と最高温度ではないでしょうか? 特に持続時間に関しては、あたしの記憶が正しければ、最初に売り出された商品はせいぜい4時間程度しか持たなかったような気がします。それが今では8時間程度持つものがざらにあります。と言うよりも、それくらい持つものしか売っていないような気がします。

長く持っていいじゃないか、と言われそうですが、あたしは逆です。持続時間は4時間程度で構わないと思っています。

あたしは決して寒がりではありません。むしろ年を重ねて暑がりになったと思います。ですから、カイロを使うのは朝の出勤時のみで十分なのです。それだって毎日使うわけではありません。あたしはしばしばお腹が痛くなるので、そういう日にお腹にカイロを入れて出社するのです。なんとなくお腹を温めていると腹痛も治まる気がしませんか?

で、会社へ着いて午前中が暖かければ十分なのです。午後からの外回りは、移動の電車の中とか書店の中とか、むしろ暑いところが多いです。それなのに相変わらずお腹にアツアツのホカロンを入れているなんて、熱くて暑くてたまりません。

なので、あたしとしては4時間程度だけ持てばよいホカロンがあればいいなあ、と思うのですが、そういう商品って売っているのでしょうか?

あけましておめでたいのか?

新年になり、ブログやSNSでも「あけましておめでとうございます」の言葉が賑やかです。しかし、本当におめでたいのでしょうか?

いえ、別に世界情勢とか景気の悪さとか、そういった暗い状況について言いたいのではありません。

考えてみますと、特に年明けの仕事始で、勤務先の人にも同業者や書店の人にも、あたしのこの十数年「あけましておめでとうございます」と言ったことがありません。

意識して言っていません。

何故かと言いますと、喪中とか必ずしも正月や新年を祝っていない人が少なからずいるからです。こちらが知っていればよいですが、そうでない場合の方が多いです。そういう人に「おめでとう」なんて言ってしまっていいのかしら、という思いが働いてしまうので、「あけましておめでとう」というセリフに抵抗があるのです。

なので、この十数年、新年の挨拶では「今年もよろしくお願いします」とだけ言うようにしています。これなら角が立たないか、と自分なりに考えた結果です。

まあ、個人的におめでたい気分になれないというのも大きな理由の一つですが……

初夢第三弾?

初夢はいつ見た夢を指すのか諸説あるようで、あたしは昨日のダイアリーで1月1日の晩に見た夢について紹介しましたが、1月2日の晩に見た夢を初夢とする説もあるようです。

となると、昨晩から今朝までに見た夢が初夢になるわけですが、今宵はまた違う夢を見ました、それも意外とリアルな夢を。

前後はまるで覚えていないと言いますか、ほぼなかった夢、つまり覚えているそのワンシーンしかなかったような夢です。

新年会なのか、あるいは街で偶然だったのか、そんな状況も不明なのですが、同じ業界の知り合いとばったり出逢ったときに本をもらったのです。曰く「これ読んで、スゴいよかったから誰かにも読んでもらいたくて、ずっと持っていて機会を探していた」と。

「ナンシーならこれ絶対気に入るから」と言われて手渡された本、小説だったかノンフィクションだったかもわかりません、というか覚えていません。夢の中ではまだ渡されただけで読んでいなかったので。ただ、その時のセリフとは裏腹に相手の態度や様子が「よい本だから他の人にも読んで欲しい」と言うよりも「ちょっと読んだけど失敗だった、こんな本要らないから、誰か知り合いに出逢ったら押しつけちゃおう」という感じがアリアリとしていたのです。

あたしが古書肆なのか、とツッコミを入れながら、とりあえず受け取ったところで目が覚めました。果たしてどんな本だったのか、そしてあたしに本をくれたのは誰だったのか……

自宅を手放す羽目に?

初夢というのは、1月1日の晩に見る夢だとのことです。つまり2日の朝起きたときに見ていた夢ということでしょう。

先程のダイアリーで、勤務先がマグロを扱うようになった夢を見たと書きましたが、実はその夢を見ていたのは夜中で、2時くらいに一度目が覚め、再び眠りについた後、こんどは全く異なる夢を見たのです。

その夢は、どういうわけは母とあたしが引っ越しをするのです。場所はわかりませんが、なんとなく南の方、日本国内だとは思うのですがどことなく南国情緒のある景色でした。

新築ではなく、現在住んでいる自宅よりも更に古くボロい家でしたが、一応は戸建てで、部屋も広くて多く、庭がかなり広いものでした。夢の中なので値段とか細かな交渉や手続きは一切出て来ず、数年は空き家になっていたというその家を購入して引っ越したのです。

母と新しい家で暮らし始めて数日後、突然見ず知らずの女性がやって来て、「ここ、あたしの家だから」と言いだしました。話を聞いてみると、そしてこの家を斡旋した不動産屋に確認すると、確かにこの家の元の持ち主(住人)で、数年前にアメリカへ引っ越していった人だったのです。向こうで数年暮らしてまた日本へ戻ってきたというその女性、パワフルなおばちゃんと言ったら失礼ですが、ダイナミックな人でした。

別に自分はこの家を売ったつもりはなく、数年空き家にしていただけだと言います。そして数年ぶりの帰国にアメリカの仲間を十数名連れてきていて、彼らもドシドシわが家に上がり込んでくるのです。

母とあたしはむざむざこの新居を手放さないとならないのか、そうなると明日からどこで寝泊まりすればよいのか、いったいこの家の権利など不動産屋はどう手続きをしたのか、一切わからないことだらけのまま目が覚めました。

もしこれが正夢になったら、勤務先の夢以上の悪夢です。それとも何かの予知夢なのでしょうか?

業態変更?

とんでもない夢を見てしまいました。

なんと、あたしの勤務先が魚介類を取り扱うことになったのです。

あたしの勤務先は一階が営業部で、書籍などの在庫は別に倉庫があってそちらに置いてありますが、採用品などは地下に書庫があり、そこに置いてあります。

そんな勤務先にある日冷凍マグロを始めとした魚が大量に運び込まれてきたのです。書籍を納品に来る運送会社のトラックなど物の数ではないくらい大きなトラックが勤務先の前に止まり、そこから大量の魚が下ろされたのです。

これだけの魚をどう保管すればよいのか、とにかく一階と地階を片付け、運ばれてきた魚たちを運び込みました。それでも足りずに隣のビルを買い取り、冷凍・冷蔵設備を備えた倉庫に改造し、そこに魚を運び込むようにしました。

しかし、こんな魚、どうするのでしょう? 夢なのですべてが突然に始まり、何の説明もありません。これらの魚を取次に卸したのか、町の魚屋に売ったのか、はたまた近所の人が買いに来るのか、夢の中で全く明らかになりません。

とにかく運んでも運んでもきりがないくらい大量の冷凍マグロを前に途方に暮れるあたしがいる、そんな夢でした。

これって初夢だと思いますが、果たして正夢になってしまうのでしょうか? あるいは何かの予兆なのでしょうか?

今年は何年かしら?

昨日の朝、ちょっと勤務先まで行って来たことは既に書きましたが、新聞や郵便物を整理していたら台湾新聞が届いていました。

その第一面がこの写真です。

ちょっと切れてしまっていますが、2019年の漢字、日本が「令」だったのに対し、台湾は「乱」になったそうです。記事によると、香港のデモもそうですが、英国のEU離脱や北朝鮮のミサイル発射など国の内外で混乱した年だったということが理由のようです。

それを言われると、日本も国会を筆頭に民主主義が崩壊した年だったので、果たして「令」なんて漢字でよかったのか否か迷うところです。少なくとも、あたしに言わせれば決して「令」などはありえません。

それはともかく、今回の第一面、トップは駐日経済文化代表処代表・謝長廷氏の年頭挨拶ですが、その次に台湾新聞社社主の挨拶が載っています。そのタイトルと言いますか見出しなのですが、「2019年年頭所感」となっています。これって「2020年年頭所感」の誤りではないかと思うのですが如何でしょう?

新年早々、他人の揚げ足を取るようなダイアリーで申し訳ありません。

いろいろと考えてしまう原因

年末になりますと、「今年を振り返って」的な企画が多かったり、SNSやブログでもそういったことを書いている人が散見されます。

でも、あたし思ったのですが、年の瀬だからそういうことを考えてしまうのではなく、仕事が休みなり、ふだん仕事に回していたぶんが頭の中で空になり、それだからいろいろと仕事のあるときであれば考えもしないようなことに思いが至るのではないかと思うのです。

あたしもふと思ったのは子供のことです。

もちろん、あたしには子供などいません。ただ姪っ子たちがわが家に来ているので、もし自分に子供がいたら、ということを考えてしまうのは、やはり時間と頭脳が余っている休みの時だからだと思います。

姪っ子たちは現在小六、小四、小三です。つまり一番上は来春からは中学生です。ついこのあいだ生まれたばかりのような気がしますが、もうそんな歳になりました。妹もずいぶんと年をとってから結婚し子供を産んだので、やや歳の差のある親子ですので、あたしの子供と考えても少し幼すぎると言えます。

振り返って、あたしは父親が32歳の時の子供です。当時の感覚からすると、クラスメートの父親の中ではあたしの父はやや年長でした。父くらいの父親がいるクラスメートは上にお兄さんかお姉さんがいる場合がほとんどでした。あたし自身はそれで恥ずかしい思いをした経験はありませんが、幼心にうちの父親は遅くになってから結婚して子供をもうけたという気持ちを抱いていました。

ところが、です。あたしはいまだに結婚もしていなければ子供もいない状態で、遅いと思っていた父親を遙かに超えてしまっています。もしあたしが父と同じ年齢で父親になっていたら、息子か娘は今年二十歳の成人を迎える年になっているはずです。そう考えると、火なりの衝撃です。今のあたしに二十歳になる子供がいるなんて……

仕事に行っていないと、こんなくだらないことを考えてしまいがちです。なので、今朝は少しだけ会社へ行ってきました。郵便受けにたまった新聞や郵便物を片付け、ファクスの紙の補充の必要はないか確認するためです。7時半くらいに勤務先へ着き、8時ころには退出したので、9時過ぎには自宅へ戻ってきていましたが。

偶然の賜物?

先程のダイアリーを書いている時に、自分のウェブサイトを見ていたら気づきました。

偶然にしては出来過ぎな数字の並びです。

昨日と今日とで全く同じ数字になっているなんて!

恐らく今ごろは、今日の数字はもう少し上がっていると思いますが、少なくともあたしがダイアリーを書いていた時はこんな数字が並んでいたのです。

こういうのは吉兆でしょうか、それとも凶兆でしょうか?

今日からの残りの日々をいかに過ごそうか

昨晩は勤務先の忘年会でした。

この時季はどこもかしこも忘年会シーズンだと思うのですが、あたしは昔から違和感を感じていました。

忘年会というのは「その年にあった嫌なことをすべて飲んで(食べて)忘れて、新たな気持ちで新年を迎えよう」といった主旨の会だと思うのですが、その忘年会の後、大晦日までの日に忘れたいような出来事が起こったらどうするのだ、ということです。

いや、はっきり言いましょう。以前のあたしは、こういった飲み会が苦痛で、つまりは忘年会そのものが最も忘れたい出来事だったのです。忘れるために忘れたい行事に出かけて行くなんて、なんという矛盾、皮肉でしょう。

で、思うのは、忘年会は年が明けてから、つまり旧年がすべて終わってからやるべきではないかと。となると、新年を迎えるに当たっての宴席である新年会も、新年を迎えてしまってからやるのでは遅すぎるわけで、旧年のうちにやるべきではないかと、そんな風に思うのであります。

いや、そんな小賢しいことなど考えず、気心の知れた仲間と美味しいものを食べられればそれでよいのではないか、という考え方もあるでしょう。確かにそうです。それを否定するつもりはありません。

ただ、あたしの場合、気心の知れた仲間などおりませんし、親友はおろか友達すらいない現状ですので、あえて誰かと飲もう、食べようなどとは思わないのであります。

落ち葉の部屋

少し前に、このダイアリーでわが家の近所の黄葉をご紹介しました。

久しぶりに、その同じ場所を撮ってみました。いかがでしょう? すっかり葉が落ちてしまい、丸裸の木が寒そうに立っています。

落葉したわけですから根元には葉が絨毯のように敷き詰められています。イチョウの葉は滑りやすいので歩くときには気をつけなければなりませんね。

シルバー人材センターの方なのか、近所の落ち葉を掃き集めている人を見かけます。寒い中、大変な作業だと思います。集めた落ち葉はどうするのでしょう? どこかで集めて堆肥にでもするのでしょうか? でも、雑菌などが混じっていると、畑にまくというのも難しいのではないでしょうか? それともキレイに洗浄して堆肥にする工場でもあるのでしょうか?

あたし自身は、落ち葉って好きです。特に掃き集めたりしなくても道に落ち葉が落ちているのが好きですし、その落ち葉を踏みしめながら歩くのも好きです。落ち葉の道を歩いているときに、決まって頭の中に流れるのがこのダイアリーのタイトルに使った、沢田聖子の「落ち葉の部屋」です。特に雑木林など歩くと、完全にこの曲の世界に入り込んでしまいがちです。

上にリンクを貼ったYouTubeの音源は、当時のあたしが聴いていたセカンド・アルバム「青春の光と影」(1981年発売)に収録されているものではなく、2013年発売31枚目のアルバム「Singer Song Writer ~GREEN~」に収録されているものだと思われます。もともと曲が大好きなのでこのアレンジも嫌いではないのですが、できればオリジナルで聞いていただきたい一曲です。

でも、当時のアルバムは中古屋にでも行かないと手に入らないと思いますので、ベストアルバム「HISTORY」に収録されていますので、そちらで是非聴いていただければ……