ソーシャル・ディスタンスとは?

昨日のダイアリーで、ソーシャル・ディスタンスを表わす企業ロゴについて書きましたが、今日は実際のソーシャル・ディスタンスについてです。

あたしの勤務先も時短勤務で、あたしは朝の6時から出社しているのでお昼12時で上がっています。12時から12時半くらいの時間帯に勤務先からお茶の水駅へ向かいます。

時間帯としてはちょうどお昼休みです。お茶の水駅界隈、コロナ騒ぎの前と比べて極端に人が少なくなっているような気はしません。昼食に出る人々で賑わっていると思います。

それだけでなく、飲食店の中を覗いてみると、狭い店内で隣の人と肩や肘がぶつかるような距離で席に着いています。海外などでは椅子を減らしたり、一つおきに座るようにしているのをニュースで見かけましたが、御茶の水界隈を見ている限り、そんな対策を取っているお店は見つかりません。いや、あたしがお店に入らないので、実際にはきちんと対策をしているお店もあるのでしょうが……

電車もそうです。

空いているうちは他人とは間隔を空けて座っていますが、これは別にコロナでなくとも普段どおりの光景です。しかし、やや乗客が増えてくると一つおきに空いている座席にも平気で座ってくる人がほとんどです。

これが日本人の危機感のなさなのでしょうか? あたしも人を非難できるほど危機感を持っているとは言えませんが……

母と子の絆?

少し前に、市の健康センターからDMが届き、風疹の無料診断をやってくれるとありました。本当に無料なのか、よくわからなかったので、近所の掛かりつけの医院へ行った折に、そのDMを持っていって聞いてみました。

聞くところによると、東京オリンピックが始まる前に、風疹の蔓延があるとマズいので、急いで出来る限り予防接種(?)を受けさせようという政策の反映なんだそうです。そういうことかと思って話を聞いていたのですが、果たしてあたしは過去に風疹の予防接種をしていたでしょうか?

そんなこんなは母子手帳を見ればわかるのか、医院で「母子手帳、持っていたら持ってきて」と言われ、もちろんそんなもの普段から持ち歩いているわけはないので、帰宅後母に聞いてみました。

いや、あたし、自分の母子手帳なんて見たことないんですけど(汗)。それに、あたしの時代って、母子手帳なんてあったのでしょうか、という根本的な疑問も持っていたのですが、母に言わせると、押し入れか箪笥のどこかに閉まってあるはず、というではないですか。

あたしが仕事へ行っている間に、半日がかりで母が探し出したのがご覧の母子手帳です。

発行は昭和42年の4月21日。あたしが生まれたのが6月24日ですから、2か月前になります。今でも、だいたいこれくらいなのでしょうか?

ページをめくると面白いことがわかりました。

あたしは上述のように6月24日生まれですが、出産予定日は6月20日だったのですね。そう書いてありました。だとすると、あたしはかに座ではなくふたこ座になっていたわけです。このあたりが占い師に言わせると運命の分かれ道なのかも知れません(笑)。

出生時の体重は3000グラム、身長48cm、胸囲が32cm、頭囲33cmで、特に所見もないようなので極めて平均的、健康な赤ん坊だったのだと思われます。ちなみに、朝早い時間だったと聞かされていた出生時刻は、1時35分、道理であたしって朝が早いわけです。

朝桜

夜桜という言葉があります。

コロナウイルスなどなければ今宵など都内のあちこちの桜の名所では、ブルーシートを敷いて花見、いや宴会がたけなわだったはずです。そんなときの桜が夜桜だと思います。

一枚目の写真は、わが家の近所の桜です。

朝、あたしが出勤する時に撮ったものです。午前4時半ころです。ようやく東の空が白んできつつありますが、ほぼ真っ暗なわが家の近所です。

でも、桜のそばに街灯があって、それがちょっと風情よくて、なかなか素敵な構図になっているように感じられました。

とはいえ、やはりこのままでは桜なのか何なのか、よくわかりませんね。

というわけで、時短勤務で早上がりの帰路、こんどは午後2時すぎの桜を撮ってみました。ほぼ同じ場所で撮ったつもりなのですが……(汗)

こんな感じの枝振りの桜だったのです。いかがでしょう?

早朝はともかく、この時間帯でも歩いている人は少ないです。だからこんな無人の写真が撮れました。

それはそうと、わが家の近所の桜はかなり葉桜になってきました。見上げる桜もきれいですが、風が吹いて桜吹雪が舞う桜の木の下もよいものです。いえ、むしろ散り際の方が美しいです。

明日はどうする?

多摩地区は大雪です。たぶん10センチは積もっているのではないかと思われます。このままですと、明日の朝が大変です。このところ最寄り駅まではまだ暗いうちに30分ほどの徒歩通勤なので、雪が積もっていたら厄介です。できれは、この後は雨になって雪を溶かしてくれるとありがたいのですが……

それはそうと、その明日からの仕事はどうしましょう?

いまのところあたしの勤務先、出張は自粛となっていますが、会合への参加とか、書店訪問営業を禁止しているわけではありません。でも、こんな状況が続くと「書店訪問は自粛」という事態になりかねませんし、既にそうしている出版社もあります。

書店営業が書店を回れなくなったら何をすればよいのでしょう? 一日や二日なら日頃片付かない社内の仕事もありますけど、一週間、二週間となると社内でやることもなくなります。かといって在宅勤務と言われても、自宅にいたって仕事なんかあるわけがありませんので、在宅勤務ではなく在宅休憩になってしまいます。

しかし、この調子でいくと業界全体が止まる可能性がないとも言えません。今のところ取次の集品がやって来ているので書籍の流通は動いていますけど、もし止まることになったら業界はどうなってしまうのでしょう?

何分咲きなのかわかりませんが……

わが家の近所の桜の名所、ほんの100メートルくらいの通りの両側に桜が植わっていて、この三連休、一気に咲き始めました。

少し前に、このダイアリーでも数輪咲いたご報告をしましたが、この温かさで一斉に花開いた感じがします。もちろん株によって差があり、「これなら満開と言ってもよいのでは?」というのもあれば、「これはまだまだ咲き始めだな」というのもあります。

わが家の近所の桜、もう年老いているのか、この数年で伐採されたものもあります。強風の時に倒壊した株があり、市が桜の状態を調査して危ないものは倒壊する前に伐採してしまったようなのです。

ですから、株自体も少なくなっていますが、残っている株も枝の間の隙間が広くなったような気がするのですが……

いや、まだ5分咲き程度だから隙間だらけに見えるだけで、満開になればビッシリと薄いピンク色に染まるのでしょうか?

確かに、一枚目の写真ですと隙間だらけ、スカスカな桜並木ですが、二枚目の写真を見ると多少は桜のトンネルっぽく見えませんか? 単に見る角度の問題なのでしょうか?

そして、一番最初に咲き出した株の下から見上げると三枚目の写真のような光景です。青い空をバックにピンク色がきれいです。この株はほぼ満開と呼んでもよさそうな、今を盛りと咲き誇っています。

いや、咲き誇るどころか、今日の強風のため、既に一枚、二枚と散っている花びらもあります。

うーん、花の命は短くて……

やはり、桜は散り際が美しいものです。

旧型コロナ?

わが家で毎年冬になると大活躍の石油ストーブ。

もうかなり年季が入っています。春になって物置に仕舞う前に掃除をしても取れない汚れが多々あります。どれくらい使っているのでしょう? さすがに何十年と言うことはないですが、数年来使っていることは間違いありません。もしかしたら10年近い歳月が経っているのかも?

石油ストーブは東日本大震災で計画停電が行なわれた時に大活躍しました。このストーブも、着火の時にこそ電気を使いますが、それは単一電池なので、停電中でも問題ありません。そんな事情もあって、完全な電気のみのストーブやヒーターでは何かあった時に困ると考え、石油ストーブも使っているのです。そんな家庭、多いと思います。

で、このストーブ、よく見たらコロナ製でした(汗)。

今回の新型肺炎で人口に膾炙するようになった「コロナ」という言葉ですが、昔からストーブのメーカーとしてはそれなりに有名だったのではないでしょうか? 湯沸かし器などでもお馴染みだと思います。

ゾーンを描けばよいというものではない!

この数年、都心部の道路ではよく見かけるようになった、自転車用の走行ゾーン。基本的に自転車はそこを走りなさい、というしるしですよね?

都心部では、さらに自転車走行ゾーンを青色(水色)で塗っているところもありまして、自転車走行ゾーンを確保するために既存の車線表示を一度消して、改めて引き直したところもありました。

東日本大震災以降、自転車通勤・通学が増えたというニュースは聞きましたが、だからといって、この数年で特別に自転車が増えているという気はしません。都心から順番にゾーンを描いていって、ようやくあたしの住む郊外にもそれが及び始めたということなのでしょうか?

で、写真は、なんと昨日描かれたばかり、出来たてホヤホヤの自転車走行ゾーンのしるしです。

でも、いかがですか?

これまでの道路に機械的に描きました、というだけのものです。見ていただければわかるように、数車線もあるような広い道路ではありませんし、路肩が広々あるような道路でもありません。たぶん、この道は国道はおろか都道でもなく、たぶん市道だと思われますが、こんな狭い道に描いて自転車をこちらへ誘導するのは、自動車を運転している立場からすると危険極まりないです。

もちろん写真からもおわかりのように、歩道だって決して広くはなく、子供やお年寄りがのんびりと歩いている狭い歩道を自転車が疾走していくのは、それはそれでとても危険な行為です。歩行者からすれば、自転車は車道を走れ、と言いたくもなります。

結局、日本の道路に関する行政って、トヨタとか日産とか、車を作っている大企業の方しか見ていないのですよね。歩いている人とか、実際の道路事情がどうなっているかなんて気にしていないのではないかと思います。それでなくとも狭い車線に、こんなゾーンが作られたら自転車がわが物顔で走ることになるでしょう。それを避けようとして自動車が中央線を踏み越えて走ることになり、対向車は危険な思いをする。

なんという悪循環!

昨日は何の日?

昨日、2月20日は歌舞伎の日なのだそうです。あたしも初めて知りました。

ということで、『歌舞伎オン・ステージ』の写真を載せてみます。

だったら昨日載せればよかったのに、と言われそうですが、あえて外してみた、と格好付けたいところですが、実は昨日も終わるころ、自宅に戻ってから知った情報なので、本日の掲載となってしまいました。

この『歌舞伎オン・ステージ』も品切れの感が増えていまして、現在、あたしの勤務先で歌舞伎と言えば『歌舞伎登場人物事典(普及版)』になります。

さて、そんな2月20日は元乃木坂46のメンバー、橋本奈々未と伊藤万理華の誕生日です。乃木坂46には誕生日が同じというメンバーのペアが他にもいますが、この二人もファンの間では誕生日が同じということで有名でした。

なおかつ、橋本奈々未(ななみん)の場合、この日が引退の日でもあり、三年前のこの日卒業コンサートが行なわれたのです。毎年この日が来るとネット上にはななみんを懐かしむファンの書き込みが溢れ、今年もツイッターで話題になっていたようです。

確かに、あたしも、ななみんの現役時代にはまいやんよりもななみんの方が好きでした。今ごろどうしているのかなあ、と2月20日なると考えてしまいますね。

これなら怖くない?

数日前にテレビのニュース番組で、オランダの戦後補償に関して報じていました。

ニュースに関する感想や戦争責任に向かい合う姿勢とか、書きたいこと書くべきことは多々ありますが、このニュースが日本で報じられた理由の一つに、犠牲者の中にアンネ・フランクがいたからではないかと思います。ナチスによるユダヤ人逆殺の被害者の中でも飛びきりの有名人、恐らく一番有名な犠牲者ではないでしょうか? これなら日本で報道してもそれなりに耳目の注目を集めるだろうとテレビ局が判断したとしても理解できます。

それはともかくアンネ・フランクです。皆さん、どう思いますか?

 

あたし、実はかの有名な『アンネの日記』は読んだことがありません。あたしが小さいころの『アンネの日記』と言えば、上の画像のようなアンネの写真があしらわれた装丁のものがほとんどでした。以前にこのダイアリーに書きましたが、この手の偉人伝の表紙に描かれている人物画ってちょっと怖くないですか?

あたしにはとても怖く感じられ、特にアンネ・フランクは特に苦手は顔でした。正直、大人になった今でも、ちょっと怖さを感じますし、とても愛らしいなどとは思えません。

 

 

ところが昨今の偉人伝はどうでしょう? 上に四つほど挙げてみましたが、あたしが怖がったアンネ・フランクとはまるで異なります。これなら手に取ることもできそうです。

そう感じている子どもたち、多いのではないでしょうか? しかし、そのお陰でユダヤ人らしさの欠片もなくなってしまっていますが……

なんという奇縁!

先週の月曜から金曜までの京阪ツアー。

その折りに、いつものように京都大学生協ブックセンタールネにも立ち寄りました。このブックセンタールネの入っている建物は書籍売り場だけでなく、パソコン売り場やスーツ売り場もあり、2階には食堂もある、比較的大きな建物です。

その建物の入ってすぐのスペースでしばしば古書市が開催されています。やっている時は毎回覗いてみるのですが、今回こんな書籍が、なんと1000円で売っていたのでついつい買ってしまいました。

鈴江言一『中国解放闘争史』です。

鈴江言一と聞いてピンと来る人は中国近代史に相当詳しいのではないでしょうか? 恐らく多くの方が岩波書店刊『孫文伝』を思い出したことだと思います。もちろん、あたしもその一人です。

「鈴江言一の本か、安かったら買っておこう」と思って値段を確認すると1000円でしたから「これは買うしかない」と思って買い求めた次第です。函はちょっとボロボロですが、この手の本ではよくあること。古書としては状態はまあまあではないでしょうか。このくらいならわが家にもいくらだってあります。

さて、肝心の『孫文伝』も架蔵していたはずと思って確認してみると、なぜか2冊も所持しておりました。どうして2冊も買っていたのでしょうか? よほど安かったのか、最初に買った一冊の状態が悪かったのでもう少し増しな状態なものを再度購入したのでしょうか?

今とはなっては真相は闇の中ですが、ご覧のようにわが家には『孫文伝』が2冊ございます。

話は戻って『中国解放闘争史』です。

いつごろ刊行された本なのかと思って奥付を確認してみて驚きました。

別に戦後の刊行だったことに驚いたわけではありません。むしろ共産中国成立まで触れるのであれば1949年以降の刊行でないとおかしなことになりますから。

あたしが驚いたのはそこではなく、出版社である「石崎書店」です。浅学菲才にして石崎書店という名を知りませんでしたし、もちろん現在も続いている出版社だとは思えません。他にはどういう書籍を出していたのでしょうかね?

で、あたしが驚いたのは、その石崎書店の住所です。「神田小川町3-24」って、今あたしが毎日通っている場所なんですけど! これはなんという奇縁でしょう? そう思うとこの「石崎書店」と「岩波書店」もなんとなく似た感じがしてきますね。