まだまだAIは怖い?

神奈川県のシーサイドラインで逆走事故が起きました。

あたしは乗ったことがありませんが、東京のゆりかもめと同じで、運転手も車掌も乗っていない、無人運転の交通システムだそうです。

無人運転ということは、扉の開け閉めなどはセンサーやカメラなどで監視して、AIが判断して開閉しているということなのでしょう、詳しいことはわかりませんが。

このニュースを聞いて思ったのは、自動車の自動運転です。高齢者の事故が増えていたり、無謀な運転をするドライバーから歩行者を守るためにも自動運転などの技術開発が言われていますが、AIが誤作動を起こさないとは限りませんから、自動運転技術って大丈夫なのかという声が大きいのも現実です。そういう中で起きた今回の事故、やはりコンピューターに任せっきりにするのは危険だという声が大きくなりそうですし、あたしもそう思います。

もちろん、誤作動を限りなくゼロに近づけるための技術開発は進めていかなければならないでしょうが、どこまで行けば安全と言えるのか……

昨今は、まだ小説の中だけでしょうけど、コンピューターが暴走して勝手に戦争を始めてしまうとか、顔認証システムの暴走で無実の人が凶悪犯と認定されてしまったりという、AIの負の面の指摘も多くなっているような気がします。

そんなニュースがあったからというわけではありませんが、たまたまYouTubeでこんな映画の予告編を見ました。「エクス・マキナ」という作品です。

 

映像がきれいなのはもちろんですが、そのストーリーが怖いです。映画自体は未見なので、WOWOWなどで放送されることがあれば、是非見てみたいと思います。

もう30年

今朝の朝日新聞の1面です。

もうまもなく、あの六四天安門事件から30年がたとうとしています。30年と言えば、今の若い子は生まれていませんし、生まれていてもほとんど海外のニュースになど関心を持つような年頃にもなっていなかったでしょう。

あたしはと言いますと、大学の4年生でした。もちろん中国学を学んでいました。いま思い返してみますと、テレビの画面にかぶりつきで凝視していたという記憶はありません。もちろん衝撃的なニュースでしたし、信じられないような光景でもありました。

ただ、ほぼ一年前に当たる1988年の2月から3月にかけて、あたしにとっての初めての海外体験であり訪中であった短期語学留学で北京に滞在していたので、あの中国北京でこんなことが起きているなんて、という気持ち、自分が滞在していた場所、滞在している間に何度となく訪れた天安門広場とニュースで流れる天安門広場が同じ場所だとは思えない感覚でした。

人によっていろいろと思うことはあるでしょうが、個人的に思うことは、中国ってそれでも前へ進んでいく国家なんだなあということです。後世からいろいろ評価されるのはわかっているでしょうけど、とにかく前へ進まないとならないという強迫観念にでも囚われているかのようです。

もう30年、まだ30年ですので、当時を知っている中国人もたくさんいます。共産党政権の前で口をつぐんでいるのでしょうが、それでも記憶を記録に残しておかないと風化してしまいますから、今後はいろいろと事件を検証した書籍などが出てくるのではないでしょうか? そんな一冊が『新全体主義の思想史 コロンビア大学現代中国講義』です。

そして、東京の明治大学で、同書の著者・張博樹氏を迎えてシンポジウムが開かれます。興味のある方は是非。同書の会場販売もやっています。

貿易戦争になるのでしょうか?

あたしの勤務先で、昨日の夕刊の一面を眺めていたら、この本を思い出したので、ついつい置いてみました。

ダニ・ロドリックの『貿易戦争の政治経済学』です。

各紙の見出しと本書のタイトルが、なんとなくシンクロするように感じるのはあたしだけでしょうか?

それにしても、米中の貿易戦争の行方はどうなるのでしょうね? 既に世界の株式市場に影響が出ていますが。

平成を引きずるわが家でありました

右の写真は、わが家の柱にかかっている、日めくりカレンダー型の壁掛け時計です。よく見ていただければわかるように、「平成31年5月1日」という、存在しない日付が表示されています。(って言うか、朝の5時前から起きているなんて!)

この時計を購入した頃には、もちろん将来の改元は予想できたにせよ、いつの時点でどんな元号に変わるのかなんてわかっていませんでしたから、メーカーも対応していなかったので、半永久的に「平成」が続いていくのだと思います。

こういう時、電波時計なのだから、巧いこと電波を送ることで修正(アップデート)できないものだろうか、とも思いますが、そもそも液晶に「昭和」「平成」「令和」といった元号を表示するフォントなどを入れておかないとならないわけですから、ちょっと難しいでしょうね。

メーカーのホームページに改元に伴う対処法が載っているのですが、何のことはありません、元号表示ではなく西暦表示に切り替えてください、というものです。この製品を買った人の中には西暦だけでなく年号でも表示できるところを気に入って購入した人も多いと思うのですけど……

というわけで、わが家も当分は西暦表示にはせず、しばらくは平成の時を刻み続けていきたいと思います(笑)。

ところで、今回の改元に絡むニュースを見ていて思ったのですが、「さようなら、平成」というのであれば理解できますが、多くの人が「ありがとう、平成」と言っていたのに違和感を感じました。なんで「ありがとう」なのでしょうか? 何に対する感謝なのでしょうか? とりあえず日本は戦争もなく平和だったからでしょうか? しかし、自然災害はとても多かった時代ですし、景気だって書明の肌感覚ではずーっと悪かった印象ですし、恨み言の一つを言ったとしてもとても感謝をする気にはなれないのですが、あたしは。

諡号

平成もあと一日。

といったテレビのカウントダウンが五月蠅くて閉口しています。

明日は、平成の大晦日って、いったい誰が言い出したのでしょう? だったら、明後日の朝は「令和の元旦」になるのでしょうか?

それはともかく、現在の天皇陛下が明日で退位すると上皇になると言います。昭和の時は崩御でしたので、上皇などという名称はなく、現陛下が即位して、昭和天皇はその時点でなのか、数日たってからなのかはわかりませんが、昭和天皇と呼ばれるようになりました。

これって、歴史用語で言う諡号でよいのでしょうか? ただ、あくまで漢風の諡号ですが。

で、恐らく、今上天皇も退位でなく崩御であれば十中八九「平成天皇」と呼ばれることになったと思いますが、今回のように上皇の場合はどうなるのでしょう?

「平成上皇」と呼ばれるのか、それとも単に「上皇陛下」と呼ばれるのか? いや、上皇に対しても「陛下」でよいのでしょうか? 皇太子だと殿下と呼びますよね。結構そのあたりは呼び分けが五月蠅そうですが、上皇の場合はどうなのでしょう?

個人的には、「上皇」の存在を体験できるという歴史的瞬間は、日本史ファンとしてワクワクしますが、できることなら「上皇」ではなく「院」と呼びたいところです。

ところで、上に「漢風諡号」のことを書きましたが、歴代天皇って漢風の諡号だけでなく和風の諡号も付けられていなかったでしょうか? それって現在もあるのでしょうか? だとしたら昭和天皇の和風諡号って何なのでしょう? 「……すめらみこと」という諡号は現在は付けていないのでしょうか?

相互理解の基本は言葉から

スリランカで痛ましい事件が起きてしまいました。宗教対立が根にあるようですが、どうしてお互いに理解できないのでしょうか?

スリランカと言えば、使われている言葉はシンハラ語とタミル語だそうです。

 

二つの言語にどれくらいの共通性と相違性があるのか知りませんので、あたしも『ニューエクスプレス シンハラ語』『ニューエクスプレス タミル語』でちょっと勉強してみようかな、などと思います。

それにしても、日本人の観光客が非常に増えている国なのですね。

予算の使い道

本日は、あたしが住む東京都小平市の市議会議員選挙です。

選挙の時は地方だろうが国政だろうが、あたしの住所ですと近所の小学校の体育館が投票所になっていまして、あたしはだいだい朝の7時過ぎに早々と投票を済ませるようにしています。

それにしても今回の選挙、有権者としての自覚が足りないと言われてしまえば返す言葉もありませんが、小平市議会議員選挙の定数が何名で、何人が立候補しているのかすらわかっていません。写真に写っている看板を眺めれば立候補者の顔ぶれはわかりますが、必ずしも立候補者全員がポスターを貼っているとは限りませんし、貼っていない人についてはまるっきりわからない、というか知りません。

ただ、こちらも言い訳をさせてもらうなら、この選挙期間中、市の選挙管理委員会から立候補者の一覧とかプロフィール的なものが配布されたことはなかったです。届け出の後すぐに用意すれば、選挙期間中の新聞に折り込むとか、ポストに配布するとか可能だと思うのですが、そういうところの予算はケチるのでしょうか?

その反面、今朝も行ってきた投票所ですが、なんであんなにたくさんの人員が必要なのでしょう? あの人たち全員ボランティアですか? もし給料が出ているのだとしたら、もっと節約できると思います。小学校なので校庭で車で来た人の誘導、整理をしているスタッフもいましたが、そんなの必要ないでしょう? とにかく投票所に人員が多すぎます。

選挙が盛り上がらなくて投票率が低迷していると言われますが、もっと予算の使い方を工夫すればよいのではないかと、毎回投票所で思います。

まだまだ道半ばなのでは?

昨日の朝日新聞夕刊です。

東京五輪(←あたしはいまだに辞めるべきだと思っています!)の聖火リレー出発地点であるJビレッジが全面再開したそうです。

Jビレッジと言えば、サムライブルーの料理人こと西芳照さんが務めるレストラン《アルパインローズ》があるところです。震災で被害を受け、そこから立ち上がろうとする姿を描いた『サムライブルーの料理人 3・11後の福島から』はお陰様でよく売れましたし、東日本大震災を振り返る企画フェアなどがあるときにはいまでも注文が入ります。

同書の刊行はもう数年前になりますので、Jビレッジの全面再開を迎えた現在、改めて西さんに思いを語っていただいたらどんな本になるのでしょう?

とはいえ、原発の廃炉作業の報道を見ている限り、復興は道半ばどころかスタートラインに立てているのか、という疑問すら沸いてきます。

報道による限り、作業員の大きな事故こそ起きていないようですが、五輪誘致の折に安倍が胸を張って語った「完全にコントロールされている」という言葉の虚しさが改めて思い起こされます。

外交上の拙さもあったのでしょうけど、韓国の輸入禁止措置が国際的に認められ日本が敗訴した件も、五輪なんかで東京だけ、一部の人だけが盛り上がっていてよいのだろうか、という警鐘ではないかと感じます。

都市農業が熱い?

今朝の朝日新聞別刷beの紙面に都市農業に関する記事が載っていました。

朝日新聞は先日もこんな記事が載っていましたね。朝日新聞として注目しているムーブメントなんでしょうか? あるいは、国連などでも提唱している「持続可能な社会」という観点からの関心なのでしょうか? まあ、日本の場合は、阪神・淡路大震災や東日本大震災を経験して、いざという時の食糧確保、食料自給が喫緊の課題ですから、そういうところから来ているのかもしれません。

で、調べてみますと、都市農業をテーマとした本って、ここ最近ずいぶんと刊行されているのですね。

あたしの勤務先から『シティ・ファーマー  世界の都市で始まる食料自給革命』を刊行したころは、まだそれほど関心を引くテーマではなかったと思います。もちろん、当時から市民農園や企業が経営する農園などは注目されていたので、そういう波が来つつあったころではありましたけど。

次は万葉集?

昨日のダイアリーで、中西進さんと小島毅さんの新元号「令和」に関する朝日新聞の記事を紹介しましたが、昨日の朝日新聞を読んでいたら、こんなちいさなコラムを見つけました。

万葉集だ、文選だと本家争いをしている暇があるなら、日中お互いに相手国が誇る古典に親しんでみるのがよいと思います。もちろん万葉集にしろ文選にしろ、現代語訳ですら宋易々と読み通せるものではありません。翻訳が無理なら抄訳とか、ちょっとした入門書のようなものでもよいでしょう。それが真の交流に繋がるのだと思います。

それにしても中国や韓国からは、しばしば日本の本がブームになっているというニュースが漏れ伝わってきますが、日本で中国や韓国の本がブームになっているというニュースがあちらで報道されることはあるのでしょうか? いまなら『82年生まれ、キム・ジヨン』がベストセラーになっていると韓国で報じられているのでしょうか?