もしかして、これが運命の出逢いになるはずだったのかしら?

昨日の営業回りの時の出来事です。

東京郊外の電車に乗っておりました。座席はほどよく埋まっていたのでドア付近に立って本を読んでいました。あたしが乗っていたのは急行で、とある駅で各駅停車との待ち合わせのために停車しました。

すると、すぐ近くの座席座っていた女性が下りていきました。各駅に乗り換えたのか、その駅が目的地だったのかはわかりません。見かけは学生でも主婦でもなく、明らかに社会人。20代後半から30代前半くらいでしょうか。キャピキャピした若さよりも落ち着きを感じさせる、なかなかきれいな女性でした。

さて、彼女が下りたために空いた座席に座り、引き続き本を読み始めました。しばらくして座席脇の手すりに傘がかかっているのに気づきました。季節柄、日傘でしょうね。細見のちょっとおしゃれな女性ものです。たぶん、いま下りていった彼女のものではないでしょうか?

あたしが発見した時点で、急行電車は待ち合わせのためまだ停車中でした。ドアは開いています。しかし、何分も停まっているはずはなく、そう思う刹那、ホームのベルが鳴りドアが閉まり発車しました。

もしあの時、ドアが開いている内に傘をつかんでホームへ下り、彼女を見つけて(まだ近くにいたでしょうから)傘を渡したら、どうなっていたでしょう? その出会いをきっかけに話が弾んで……

そんなわけないか。人生はドラマではないですし、そもそもわが身をよーく省みろと言われそうです(涙)。しかし、万が一、万万が一ということもなくはないでしょうし、何がきっかけで人生の歯車が回り出すかわかりません。

あたしは、昨日、一歩踏み出すべきだったのでしょうか?

真実の愛?

『ギリシア人男性、ギリシア人女性を求む』より

「あなたは恩寵を受けているのですよ」と老紳士は言った。「この恩寵には理由がふたつ考えられますが、どちらになるかは実はあなた次第なんですよ。ひとつは愛、もしもそれをあなたが信じるとするならば。あるいは悪、もしもあなたが愛を信じないとするならば。愛はいつでも出現可能な奇跡です。悪はいつもそこにある事実です。正義は悪をこらしめ、希望は悪をよいものにしようとし、愛は悪に目をつぶる。愛だけが恩寵をそのまま受け取ることを可能にするのです。それは最も困難なことです。それは私も知っています。世界は悲惨で無意味だ。このすべての無意味なものの背後に、このすべての悲惨なものの背後に意味があるのだ、という希望は、それでもなお愛する人だけを守ることができるのです」(P.199)

もう一つ。

あなたは真実を知ることなしに私を愛することはできなかったし、私たちを危うく破滅させかけた真実よりも強いのは愛だけなのですもの。あなたの盲目の愛は、ちゃんと目の見える愛のために壊されなければならなかったのよ。そういう愛だけが価値のあるものなのですもの。(P212)

この小説、あたしのことを激励しているのかしら?

本日見本出しの新刊『ギリシア人男性、ギリシア人女性を求む』はスイスのフリードリヒ・デュレンマットの作品です。

Uブックスなので、装丁はいつもどおりこんな感じです。オビには

冴えない中年男の前に絶世の美女が現われ、会社ではなぜか突然の大昇進。

とありますので、なんか読む前からワクワクしてしまいます。

で、裏表紙がこんな感じです。内容紹介には

うだつの上がらぬ中年男アルヒロコスが知人の勧めで結婚広告を出したところ、すごい美女が現われた。以来、彼の人生は一変、どこへ行っても重要人物の扱い、前代未聞の大昇進……

とあります。

うーん、あたしも広告、出してみましょうか?

遠慮なさらず、思いきってどうぞ。あたしはいつでもウェルカムですよ!

テレビ朝日系の情報番組「グッド!モーニング」の星占い。今朝のかに座は

憧れの人からアプローチされて胸がドキドキ。ときめきのシチュエーションに大興奮。飾らない態度で恋愛成就。

というご託宣。いや~、憧れの人って誰でしょうね? とりあえず、待っていれば、その人からアプローチされてしまうんですよね? 今日一日、とても楽しみです。

しかし、「飾らない態度」というのが意外と難しいかも。あたしだって人の子ですから、多少のプライドと見栄はありますし、世間様に対して多少はいいところを見せたいという気持ちはあります。

それがあまり出てしまうとダメなのでしょうか? 少なくとも今日は特に気をつけないといけませんね。

それにしても、改めて考えてみても「憧れの人」っていうのが思い浮かばないんですよね。少なくとも社内に憧れるような対象は皆無ですし、仕事上で出会うといえば、他の出版社の人、書店員、取次や印刷所とか出入りの業者の人、などなどですけど、「憧れる」と言われてしまうと、さっぱり思い浮かびません。

「ちょっと気になる人」ならいるのかと問われると、実はそれもこのところさっぱりご無沙汰で、つまり、あたしの人生に「ときめき」がないってことです。ドキドキなんて感情、絶えて久しく味わっていませんね(涙)。

これって、やはり加齢のせいなのでしょうか?

そもそも、こちらがドキドキする以前に、あたしに対してドキドキするような人が既にこの世にはいないでしょうね。もう世間的にはあたしは恋愛対象としては見てもらえない存在になっている、そんな気がします。

いや、気がするのではなく、そういう風に覚悟を決めるというか、諦めというか、身の程をわきまえなければいけない年齢なんだ、ということでしょう。

金もなければ恋愛もできない、仕事だって可もなく不可もなく、こんなんで余生をダラダラと過ごすことになるのでしょうか? まあ、ドン底の不幸でないだけマシと思わないといけないのでしょうが。

正夢になるといいなぁ~

とびっきりの美女と仲良くなる夢を見ました。美しいだけでなく、カワイイという要素も併せ持った、もうあたしのストライクゾーンど真ん中! が、夢なので既に顔は覚えていないのが残念。知っている人に似ていたのか、アイドルの誰かだったのか……

どんな夢だったかと言いますと、あたしが電車に乗ってうたた寝をしていました。たぶん午後の営業回りの途次のことだと思います。その夢の中で、あたしはその美女とバッタリ出くわすのです。お互い既に顔見知りだったので、簡単な時候の挨拶を交わしただけで目が覚めました。

で、あたしは電車から降りて、駅構内を歩いていたら、その夢の中で逢った女の子にバッタリと出くわしたのです。で、まだ夢を見ているの? という感じで若干ドギマギしながら挨拶を交したのですが、そこであたしは勝手に「これは運命だ」と思い込んでしまったというわけです。

では何か次の一手、行動を起こしたかといえば、そんなことはなく、というよりもそこで夢は終わり、こんどこそ本当に夢から覚めてしまいました。

こんなカワイイ子、本当にお近づきになりたいものです。

十数年ぶり(?)のおみくじ

昨晩はちょっとした飲み会でした。場所は神保町の「燈のもと、肉と酒と鉄火炉火」というお店。ちょっと隠れ家っぽい造りの店舗で、トイレがまた面白かったです(汗)。

さて、このお店、箸袋がおみくじになっていまして、食べ物屋なので「お味くじ」なんて表記になっていますが、広げてみましたら、なんと「大吉」でした。

考えてみますと、あたし、神社などのおみくじって、この十数年引いたことがありません。そもそも初詣に行かない人間なので、おみくじだって引く機会がなかなかなくて、気づいてみたら十数年、もしかすると数十年、引いていないかもしれません。昨晩だって、自分で引いたのではなく、箸袋が籤になっていただけの話。

総合運で、「551の豚まんがあるときの関西人くらい幸福」っていうのが、関西人ではないあたしには理解できませんが、恋愛運で「全然興味ないよーと言いながらもてる」というご託宣は素直に嬉しがっておいた方がよいのでしょうか? 興味のない相手にモテても、と贅沢を言える身分ではないこと、自分が一番よく自覚しています。

同意できないところとできるところと

感情8号線』から。

一歳年上の彼氏とは予想通りに結婚の話になって私が渋ったら、別れようと言われた。中学校三年生の夏に初めて彼氏ができて上野毛に引っ越してくるまで十年以上の間、彼氏が途切れたことがない。別れてもすぐに新しい彼氏ができると思っていたのに、できなかった。
周りにいる同世代の男のほとんどが結婚しているか、結婚を考えている彼女がいる。そうでない人は、付き合いたくないような人ばかりだ。三十歳になって独身というのは、何か問題がある証拠だ。(P.201)

この一節、前半はまるでわかりません。だって、あたしはまるで逆。生まれてこの方、恋人が出来たためしがないからです。確かに世の中には、彼氏、彼女が途切れたことがない、別れたらすぐに他の人と付き合った、という経験をしてきた人もいるのでしょうが、その真逆で一生付き合ったことがなく生きてきた人だって、星の数ほど(←それは言いすぎ?)いるはずです。そして、その中の一人があたしです。

ただ、後半の「三十歳になって」云々、は理解できます。あたしなんか、三十はおろか、口にするのも恐ろしい年齢になってしまいましたが……。もちろん独身なのはバツイチでもバツ2でもなく、上述のごとく、恋人すらできない人間が結婚できるはずもなく今に至る、というわけです。

何か問題がある、それは自覚しています。結婚できない理由と言うよりは、恋人が出来ない理由を。

恋人はおろか友達すらできないのが現状です。いや、作ろうとする気があるのか、と問われると、「あるような、ないような」です。結婚はしたいと思うのですから、結婚相手を作る気はあるはずですが、友達を作りたいと思うかと聞かれると、あまり積極的に作りたいとは思いません。一生、結婚相手はおろか、友達すらいない人生でいいの、と聞かれても、他人は最後には裏切るものだ、というあたしの確信めいた信条があるので、だったら友達なんていない方が気楽だと思います。

そんなあたしですから、客観的に見れば、イヤなやつ、絶対に友達になんてなりたいとは思えない、そんなタイプです。自分で自分をそう思うわけですから、他人から見れば一目瞭然でしょう。

いつになったら……

世間では「いい夫婦の日」なんだとか。

あたしの場合、いつになったら今日という日に参加できるのか……

まだ諦めてないの?

と言われたら、返す言葉もありません。いや、諦めたわけではないものの、無理だよね、という自覚はあるわけで、じゃあ、何に期待して生きてるの、と更に問われれば、あたしの人生一世一代のハプニングでも起こらないかなあ、という淡い期待かもしれません。

どんなハプニングなんだと言われると、具体的なイメージがあるわけでもなく、少なくとも高校生や大学生のころに描いていた将来図が現実になるということは間違ってもありえないわけで、そうなるとどんなイメージも描きようがない、というのが正直なところ。

そもそもが、この歳まで恋人が出来たことがないという現実から導かれるのは、果たして恋人とか配偶者が出来るというのはどういうことなのか、どんな感じがするのか、どんな生活になるのか、そういったことがまるで想像できないということ。そりゃ、ドラマや漫画の世界の恋愛を自分に置き換えるだけなら出来ますが、そんなのリアルではありませんし、所詮はドラマ、虚構の世界。現実はもっと違うということは百も承知です。

ただ、その違うということが具体的にどう違うのか、そこのところがまるでわからない。想像の糸口すらない状態なんです。これが高校や大学のころ、あるいは社会人になってから一度や二度でも恋愛体験があれば糸口くらいはありそうなもの。それがないから、糸口の糸はどこにぶら下がっているのかすら見つけられない。そもそも目の前に下がっていても見えていないのかもしれない。

一方的に待っているだけではダメとわかっていても、じゃあ自分からどこへ向かえばよいのか? その方向すら見えてない。行った先に何が待っているのか、否、何が待っていて欲しいのか、そんなことすらわからずに飛び込めるほどもう若くはないし。

なにより、自分が他人に好かれている、愛されているという図がまるでイメージできない。あたしを愛する人がこの世にいるとはまるで思えない。どうしたら、こんなイヤな奴を好きになるのだろうか、そういう風にしか考えられない。もうそうなるとボランティア精神か、何かの罰ゲームではないかと疑ってしまいます。

あたしが、ゼクシィを買う日は果たして訪れるのでしょうか!

40代の結婚問題

先日書いたこのダイアリー。だいたい一週間は地上波の全チャンネルが録画されているので視聴してみました。

まず40代という表題ですが、番組を見ていると正確にはアラサーです。30代後半の方も登場していました。40を前にして結婚を切実な問題として考えるようになったというのが共通しているようです。

番組では男女それぞれ数名の婚活が紹介されていましたが、基本的に共通するのは、

1)20代、30代は仕事や趣味に力を注いでいた
2)若いころに結婚を考えた相手がいた
3)40になって、老後が不安、孤独死はしたくないと考えるようになった

といったことです。あたしはここに違和感を感じます。

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