本屋モノ

渡辺麻友主演でテレビドラマ化もされた『書店ガール』が現在発売中の最新刊「第7巻」で完結となりました。

このシリーズは大好きで、ご覧のようにずっと買って読んでいました。書店員をはじめとした業界の人が書いた「本屋に関する本」というのはこのところたくさん刊行されていますし、雑誌などでも本屋が特集されることは多いです。

ただ、そうしたものは数冊も目を通せば「もうお腹いっぱい」という感じになってしまいます。別に嫌っているわけではないですし、それぞれの本に対する熱い思いが伝わってきて、こちらも改善の余地があるのではと考えさせられます。でも、読み続けるとなると、やはり小説の形を取る本シリーズの方が適しているなあと感じるのです。

ちなみに、上の写真では「第6巻」が欠けていますが、ちょうど常磐線沿線の書店が舞台になっているので、同僚の常磐線エリア担当に貸し出し中なのです(汗)。

読んでいて感じるのは、あたしは出版社の人間なので書店現場というのは毎日のように足を運んでいるくせに、実は本屋ってものを深いところまで理解できていないなあという実感です。本シリーズを読んでいると反省することしきりです。

ところで本シリーズの第一巻だけは単行本で刊行され、当初のタイトルは『ブックストア・ウォーズ』でした。当時は碧野さんが研修されたオリオン書房の営業担当であったので、お店の方に教えていただきすぐに購入して読んだのを覚えています。

続きが読みたいなあと思っていたら、文庫として、タイトルと出版社が変わって刊行されることになり、最初は気づかなかったのですが、ある日店頭で発見して「おーっ、これは買わなければ」と思い、それ以来の愛読です。

さて、こうした本屋を舞台とした小説などの作品は他にも多々あると思いますが、あたしが個人的に気に入っていたのはコミックの『上京花日』です。著者急逝のため、恐らく存命ならまだ連載は続いていたのかも知れませんが、コミックは全7巻が刊行されています。

全7巻とは『書店ガール』といみじくも一緒です。なんとなく縁を感じます。どちらのシリーズも吉祥寺を中心とした東京西部が舞台になっているのも親近感が湧いた一因だと思います。

『書店ガール』では主人公たちの転勤や転職のため、常磐線沿線や沼津なども舞台となっていますが、やはりホームグラウンドは吉祥寺などの中央線沿線です。

中央沿線は、都内でもそれなりに本好きが集まっているエリアだと言われます。実際に作家とか業界関係者でこの沿線に住んでいる人は多いようです。が、そんなエリアでも作品に描かれていたように本を取り巻く上京は厳しいのかと思うと、現実に戻りたくなくなったりするのですが……

運命の人が二人もいるなんて!

寝ても覚めても』読了。

ストーリーはカバーにも書いてありますが、主人公が一目惚れした男性としばらく付き合った後、その男性はある日突然姿を消してしまいます。そして数年後、大阪から東京に引っ越して暮らしている主人公はかつての恋人にそっくりな男性と出会うわけです。

ここまで読んで想像したのは、かつての恋人が事故か何かで記憶喪失になってしまい主人公のことも忘れてしまっている、というストーリーでした。しかし、この想像は早々に却下されます。実は二人は身長も少し違うし、年齢もことなることがわかります。つまり一人二役的なものではないこと、二人は全くの別人であることがはっきりします。

かつて運命の人と思った相手とそっくりだから新たに出会った男性を好きになったのか、それともその男性をその男性として好きになったのか、大人の恋といってしまえば大人の恋ですが、若い頃の恋を引きずって、こじらせてしまっているイタイ女の恋物語と言ってしまってもよいのかも知れません。

で、かつての恋人が再び登場する後半、主人公の心はモヤモヤしっぱなしになります。「えーっ、ちょっと待って、そんな行動に出ちゃうの?」と叫びたくなります。このあたりの感覚は解説の豊崎由美さんも書いています。そして結末まで読んだ時に、主人公の決断というか行動に賛成できるか否か、これは人によって賛否が割れそうな気がします。

映画はどんな風に描いているのでしょうか。小説そのままの展開なのでしょうか、それとも映画独自のストーリー展開になっているのでしょうか。ちょっと興味があります。

ところで、この作品、高層ビルもありますがアパートとかマンションとかの低層も含め、主人公はよく高いところに上っています。そこから下を見下ろしているシーンが何回も出て来ます。高いところから俯瞰するような描写が多いのに、自分のことは俯瞰できていない主人公という印象を受けました。

そんな風に見下ろしていることが多い主人公なのですが、でも空を、上を見上げているシーンも同じくらい多く出て来ます。ただ、上を向いて希望を見出すという感じではなく、心は落ち込んでいても頭まで下を向くのはやめよう、せめて上を向くことで少しでも運気を上げられたら、という主人公の無意識の気持ちなのではないかという気がしました。

それにしても、帯には「運命の人は二人いた」とあります。主人公の恋がどうなろうと、運命の人が二人もいるなんて、なんとも贅沢な人生ではないでしょうか? あたしなんて一人にすら巡り会えていないのですから。

あえて文庫を買うとき

日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した『台湾生まれ 日本語育ち』が白水Uブックスになります。写真は、左が単行本、右がUブックス版です。

単行本からUブックスへというのは、他の出版社でいうところの文庫化のようなものです。

ところで、単行本を買った人は文庫本も買うのでしょうか?

好きな作家の作品なら、単行本も文庫本も両方買う、というファンの方は多いようです。ファン心理としては装丁もきれいな単行本を買うというのが大前提のような印象を受けます。

それに対して廉価な文庫本は、その作家のファンではないけど評判になっているからちょっと読んでみようと思って、という方が買われるのではないでしょうか。ですから購買層の間口が広くなる傾向があります。時には本屋の店頭で装丁に惹かれてジャケ買いする人もいますが、装丁に惹かれるのは文庫本ではなく、圧倒的に単行本の方が多いと思いますので、単行本ではそういう売れ方もままあるでしょう。

その他、好きになったとき、気づいたときには単行本は品切れとなっていて、文庫本しか手に入らなかった、ということも昨今の出版事情では大いにありえます。昨日このダイアイーに書いた新潮社のクレストブックスも新潮文庫にならずに品切れのまま、という作品は意外と多かったです。

さて、あたしの場合ですが、上述したように好きな作家の場合は単行本を買います。専門書になると文庫化というのは滅多にないことなので単行本で買うしかありませんが、最近はかつての名著が講談社の学術文庫やちくま学芸文庫になったりして入手可能になる場合がありますので油断はできません。

で、単行本を既に持っているものが文庫化されたときに文庫も買うか否かです。

これには、一つ規準というか、ごくごく緩いルールみたいなものがあたしの中にありまして、単行本とまるまる同じ内容ならば買わないけれど、増補があったり、文庫本のみの解説が付いていたりすると購入率が格段に上がります。いや、中国関連のものであれば単行本を持っていても文庫のおまけ(増補や解説)があればまず間違いなく買います。(ただし、著者自身による1ページにも満たない「文庫版ためのあとがき」のようなものは論外です……汗)

というわけで『台湾生まれ 日本語育ち』ですが、今回のUブックス版に3編の追加があります。それだけあれば単行本を持っていても更にUブックス版を買おうという動機になると思うのですが如何でしょう?

読んでもらいたいのは、と言うよりも、読んで意見を聞かせてもらいたいのは……

《エクス・リブリス》の最新刊『ここにいる』は台湾の王聡威の作品です。日本では初めて紹介する作家です。

本作は、帯などにも書いてあるように大阪で起きた母子餓死事件に興味を持った作者が、その事件の舞台を台北に変えて文学作品としたものです。構成としては主人公とその夫(元夫?)、娘、現在の恋人、主人公の母親などの証言だけで構成されています。インタビュアーか記者が本人や周辺人物に取材して、その証言だけを順不同に並べたもののようです。

実際に起こった大阪の事件、あたしは実はよく覚えていなくて、幼児二人が目張りされたマンションに置き去りにされ餓死した事件の方が強く印象に残っています。作者がこの大阪の事件に興味を持ったのは、餓死したとされるものの本当にお金に困っていたのかなど不可解な点が多々あったからだそうです。

大阪の事件もその後どういう結論に達したのか知りませんが、本作はいくつかの状況を置き換えつつも、作者なりの答えを出そうとしたものだと思われます。読んでいますと、主人公の女性は承認欲求が非常に強い性格であることがわかりますし、いわゆる自己顕示欲が強い、見栄っ張りというタイプなのではないでしょうか? 極めて真面目な人柄でもあったようで、融通の利かない人という印象があります。

 

というわけで、あたしとしては、本書を『神経内科医の文学診断』『続 神経内科医の文学診断』の作者のような専門医に読んでもらい、本人や周囲の人々の証言から主人公の症状を診断してもらいたいと思っています。

あくまでフィクションではありますが、こういう人って実は身近にもいるのではないでしょうか、ただ主人公とは異なり、一線を越えるギリギリのところで踏みとどまっているだけなんだと思います。いや、ちょっと間違えば、自分もこの主人公と同じ道を歩んでしまい兼ねない、という気すらします。たぶん主人公は自分がどこで間違えたのか、自分のどこがいけなかったのか、最後までわからずじまいだったのではないでしょうか。

こんな事件、日本特有と思いきや、最近は台湾でもジワジワと増えているとか。日本以上に旧習のしがらみ強いからこそ、陥ってしまった人の絶望は深くなるのかも知れません。

「ここにいる」という邦題、「あたしはここにいるよ、誰か気づいて!」という主人公の心の声なのでしょうか?

それともう一つ、本作では、あくまで夫の証言だけしかありませんが、DVはDVとは言えないようなものとして描かれています。もちろんこれはDVをする側とされる側の意識の差が大きいものですが、とにかく本作ではそういう描かれ方です。

となると、大阪母子餓死事件を題材としたこの作品、もし作者が女性だったらどういう描き方をしたのだろうか、というところにも興味が沸いてきます。

物語の枠を超えて……?

ある小説の続編が発売されるというのはよくあることです。続編はおろか遠大なシリーズになっているものすら珍しくはありません。あるいは、ある登場人物がその作家の別の作品にも登場するということもしばしばあることです。

しかし、別な作家の作品に同じ登場人物が出現することってあるのでしょうか? もちろん誰もが知っている歴史上の人物ならそういうこともあるでしょう。しかし、そうではなく、ある作家が作品の中で造型した人物が別の作家の作品の中に出てくるというパターンです。

もちろん、小説の数など数え切れないほどありますから、似たような登場人物なんていくらでも出てくるでしょうし、小説家だって人の子ですから、他の作家の作品に影響を受けることだって十二分にありえます。ですから、これは全くあたしが感じただけにすぎない感想なのですが……

さて、お陰様で新刊『十三の物語』が好調なミルハウザー。そのミルハウザーの『バーナム博物館』の中の一編「幻影師アイゼンハイム」が映画化されていたのを覚えていらっしゃるでしょうか? 書籍の方は残念ながら現在ほぼ品切れで、どうしてもお読みになりたい方は店頭で見かけた時に買っておかれることをオススメします。まだ在庫している書店は探せばあると思います。

 

それはさておき「幻影師アイゼンハイム」はその名の通り、手品師と言いますか、昨今ならマジシャンとかイリュージョニストなどと呼ばれる男の話で、舞台は19世紀末のウイーンです。

映画と小説とでは、ストーリーが多少異なっているようですが、なかなかミステリアスな作品で、果たしてアイゼンハイムは種も仕掛けもある手品を見せていただけなのか、それとも悪魔と契約し本当の超能力を操っていたのか。そこのところが作品の魅力の一つだと思います。

そして、アイゼンハイムは忽然と舞台から姿を消してしまいます。彼はどこへ行ってしまったのか。映画では牧歌的な結末になっているようですが、あたしは消えてしまったアイゼンハイムを、数十年後の台北で見かけました。

そうです、『歩道橋の魔術師』という作品の中にです。この作品の中では建物を繋ぐ歩道橋(日本で日常的に目にする歩道橋ではなく、やや貧弱なペデストリアンデッキをイメージしていただけるとよいかと思います)で道行く人に手品を見せている男が登場します。普段はごくごくありきたりな手品を見せているのですが、ありえないようなマジックを子どもたちに見せることが時々あります。

それが幼心ゆえの幻想なのか、本当に超能力を使ったものなのか、本作でも実ははっきりしません。そのあたりの加減が「幻影師アイゼンハイム」とよく似ているのです。台北の魔術師は正体がわからないままです。主人公が大人になってから当時の思い出を集めるというスタイルの作品ですが、その時点で幼いころに見た魔術師がどうなったのか、どうしているのか、知っている者は誰もいませんし、当時においてすら、そんな魔術師がいたことを記憶している人は多くはないようでした。

19世紀末のアイゼンハイムだとしたら、当然、生身の人間が生き続けられる時間の隔たりではありえません。だからこそ、幻影師、魔術師と呼ばれる所以なのだと思いますが……

中東情勢を理解するのは難しいけれど、少しでも知識を得たいと思って……

サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』の続編とでも言うべき『シーア派とスンニ派』が発売されました。

前著は発売後すぐに購入して読みましたが、今回のもこれから読みます。楽しみです。

  

それにしても刊行までちょっとインターバルが空きすぎてしまいましたね。

中東情勢って刻々と変わるので早く出さないとならない反面、どんなに急いでも、それを超えるスピードで現実が進んで行くので、どの程度の内容でまとめ、どのタイミングで刊行するかが非常に難しそうです。

で、この間に続編の刊行を待ちきれなかったというわけではありませんが、『オリエント世界はなぜ崩壊したか』も読んでみました。こちらも非常に面白い一冊でした。併読をお薦めします。

やはり読書傾向というのは隠せないものなんですねぇ~

昨日のダイアリーでも書きましたが、『ヴィルヘルム2世』はもうすぐ読み終わりそうです。話は第一次世界大戦へと進んでおります。

で、再びわが書架を見てみると、こんな本がしっかり買ってありました。

同じく中公新書の『バルカン』と文庫クセジュの『第一次世界大戦』です。

 

やはり、あたしってこのあたりの時代が好きなんですね。

 

となると『力の追求 ヨーロッパ史1815-1914(上)』『力の追求 ヨーロッパ史1815-1914(下)』も買わないと、否、読まないとならないのかしら?

脈絡もなくいろいろと読んでいるようでいて、読書傾向というものは意外とはっきりと見えたりするもので……

いま『ヴィルヘルム2世 ドイツ帝国と命運を共にした「国民皇帝」』を読んでいます。第一次世界大戦の時のドイツ皇帝の評伝となると、やはり気になってしまいます。で、確か中公新書には他にもこの時代を扱ったものがあったようなあ、と思ってわが書架を見てみるとご覧の通りです。

ビスマルク ドイツ帝国を築いた政治外交術』も『第一次世界大戦史 諷刺画とともに見る指導者たち』もしっかり所蔵していました。

  

文庫や新書は値段が手頃なこともあって、自分の専門とする分野以外でもちょっと気になるものだと、とりあえず買っておこう、読んでみようという気にさせられます。脈絡もなく買っているようで、こうしてみると、意外とそれなりに気になる分野というのは確固たるものを持っていたのだなあ、とも思います。

わが不明を恥ず

少し前に岩波新書の『インド哲学10講』を読みました。すると、その中に野田又夫の著作を引いている箇所がありました。野田又夫って誰? というのが、恥ずかしながら、その時のあたしでした。

 

で、調べてみますと、岩波文庫から『哲学の三つの伝統 他十二篇』という著作が出ていることがわかりました。早速買い求めて読んでみましたところ、これがものすごく面白い! こんな哲学者がいたんだ、どうして今まで知らなかったんだ、とわが不明を恥じたのでしたが、読み進めていると、もっと恥ずかしい事態が……

この野田又夫の著作、文庫や新書などで今でも手に入るものが何冊かあるようですが、そんなことよりも、なんと全5巻の「著作集」が出ていたではありませんか! それも、あたしの勤務先から!

えーっ、と思わず声を出しそうになりました。すぐに勤務先で在庫を調べましたが、当然のことのように既に品切れ、一冊も一セットも残っていません。そりゃそうですよね、在庫があれば注文があったり、年に一度の棚卸しで目にする(目にした)こともあったでしょうが、それがなかったということは、あたしが入社したころには既に品切れになっていたものと思われます。

嗚呼、残念。在庫があれば老後の楽しみに買いたかったところです。

古書店のサイトを見ると15000円くらいで全5冊が売られているようですね。いまさらあたしの勤務先からの復刊もないでしょうし……

しかし、古代のギリシアとインド、中国を併せ論じる懐と教養の深さ、もちろん中世以降の西洋哲学が本来の専攻ですので、そちらへの目配りももちろんすごいものです。京都学派の最後尾に連なる人と呼んでよいのかも知れませんが、かつての大人然とした学者の気風、器の大きさが感じられます。

この歳になって知ることになるとは……

文学作品で歴史の勉強

地下鉄道』を読み終わりました。後半は一気でした。それぐらい素晴らしい作品です。

ここでは感想はおくとして、本作を読んだ方には『地図になかった世界』『ネバーホーム』の二作品も併せて読むべきだとお薦めします。多くの方が既に読んでいるのかも知れませんが(汗)。

  

知らない方のためにあえて書きますと、三作とも舞台はアメリカです。描かれる時代は『地図になかった世界』と『地下鉄道』は19世紀前半から半ば、『ネバーホーム』は南北戦争(1861年~1865年)が舞台なのでやはり同じような時代の物語です。少しずつ重なりつつ、主人公同士がすれ違っていてもおかしくないような三つの物語でした。

アメリカの黒人の歴史や南北戦争については本もたくさん出ています。文庫や新書などの比較的気軽に手に取ることの出来るものもあります。ただ、その手のノンフィクションや準専門書っぽいものは苦手という人も多いと思います。そんな方にはこういった文学作品で歴史を学ぶのもよいかと思います。

これらの作品中の個々のエピソードは著者の創作でしょうが、そこにはベースとなった事実があるでしょうし、一流の文学作品は歴史の真実を描いてみせてくれるものです。専門書だけが歴史を教えてくれるものではないと思いますし、こういう作品から、専門書へ進むという道もあってしかるべきだと思います。

幸いにして、あたしたちはその後のアメリカでは南北戦争が起こって、奴隷が解放されるようになったという歴史事実を知っています。『地下鉄道』の主人公たちに「もう少しの辛抱だよ」と、この事実を教えてあげたい衝動に駆られます。

しかし、その一方で、いまだにアメリカには根強い黒人差別があり、白人警官が黒人に暴力を振るったというニュースをしばしば耳にします。さらにはトランプ大統領によるメキシコ系移民排斥の方針表明など、自由の民主主義の国アメリカとは思えない事実がいまだに存在していることを、これらの作品の主人公にどう伝えたらよいのでしょう?