類は友を呼ぶ?

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日本仏像史講義

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仲間割れ

寝床で毎晩『第二次世界大戦1939-45(上)』を読んでいます。ようやく半分くらいでしょうか……(汗)

第二次世界大戦は日本人なら誰もが知っている戦争でしょうが、アジア・太平洋戦争に比べ、欧州の戦いがどうなっていたのか、実は知っているようで知らないことが多いです。単純に、ドイツとイタリアが英仏米ソを相手に戦争を起こしたと、なんとなくイメージしていたのですが、本書を読んでいると全くと言ってよいほど印象が変わります。

まずは独ソが意外と仲良くしているのですが、ここまでは独ソ不可侵条約などの知識でわかります。お互いに協力してポーランドを分割してしまおうという利害の一致ですね。ポーランドやバルト三国がかわいそうですが。そして、ドイツは東欧を、ある程度はソ連に譲ることによって東部の憂いを取り除き、戦力を西部に集中することができるようになった。

で、ドイツがオランダやベルギーなどの小国を飲み込み、フランスやイギリスと戦火を交えるわけですが、ここまでのところイタリアは全く参戦していません。ここが驚きでした。まあ、ムッソリーニとヒトラーは実は仲が悪かったというのは有名な話ですから、お互いに相手に頼ろうとか、手を組もうなどという考えはぎりぎりまで起きなかった、封印していたのかも知れませんね。

で、緒戦のドイツ、強いのなんの。こんなに強かったんだ、と思いました。日本も東南アジアへ乗り込んでいった当初は連戦連勝でしたよね。中国だって、基本的には負け知らずでどんどん奥へ奥へと攻め込んでいたわけですから。が、そんなドイツに対して協力して戦わなければならない英仏なのに、なんて仲が悪いのでしょう? これが最大の驚きです。

戦争をこれ以上続けたくないフランス。徹底抗戦でなんとかアメリカを巻き込もうとしているイギリス。という両国のスタンスだけではなく、政治家や軍上層部の無能さ、意思統一ができない体たらく、国難なんだから一致団結、小異を捨てて大同につく気概が必要なときに、ぎりぎりまでもめているわけですから、これではドイツに勝てっこないですね。

枢軸国に対して連合国はもっとまとまっていたのかと思っていましたが、序盤を読んでいる限り、全くそんな感じではありません。ごくごく当たり前の感想を述べさせていただくなら、このままドイツに敗れてしまうのではないか、いや、きっと敗れる、そう思わざるを得ません。

もちろん、歴史の結果を知っているので、そんな風には思わない気持ちが強いのですが、虚心坦懐に読んだら、「これ、絶対にドイツが勝つよ」と思うでしょう。もちろんドイツ側がどこで戦争を終結させようと考えているか、そこが肝心なわけですが、1940年あたりで終戦を迎えていたら、フランスは国土の4分の3を奪われたままになっていたかもしれませんね。

ご遺体

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多数決

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ヴァイマル共和国と平成日本

版元の特権、人より一足早く新刊が手に入る!

というわけで『第二次世界大戦1939-45(上)』を読み始めました。

なにせ分厚い本なので、それに上中下の三巻ですから、感想は追々ゆっくりと書くとして、早速冒頭部分から気になったところが……

こののちドイツの犠牲となっていく諸国民にとって悲劇だったのは、しかるべき敬意と秩序を心から欲するドイツ国民が、史上最も性急かつ考えの足りない犯罪者に、国政を左右できるだけのまとまった支持を与え、全身全霊で入れあげ、つき従ったことである。(P.18)

これはもちろんヒトラーが政権を掌握する過程を語ったものです。が、なんとなく昨今の日本の状況に似ているように感じられませんか? 当時のドイツ、つまり第一世界大戦敗戦後のドイツはヴァイマル共和国として、たぶん一般的な世界史の知識では、最も民主的な国になったかのような印象を与えています。

しかし当時のドイツは、敗戦の屈辱だけではなく、ドイツ人の尊厳を踏みにじられた、戦勝国によっていいように戦後秩序が作られてしまった、という被害者意識が強かったようです。その上、不景気、世界恐慌が追い打ちをかけ、「すべてはヴェルサイユ条約がいけなかったんだ」といった方向に傾いていってしまいます。

と、第二次世界大戦に至る過程の、そんな記述を呼んでいると、「あれ、東京裁判に強い憤りを感じ、戦勝国による勝手な断罪だ」と主張して、そんな戦後秩序を打ち壊そうとしている、現在の日本、いや正確に言うなれば安倍政権と二重写しに見えてしまうのはあたしだけでしょうか?

ドイツは、第一次世界大戦で敗れ、そのルサンチマンをなんとかするために再び軍備を拡大し、第二次世界大戦にも敗れ、ようやく己の非を悟ったと言えます。省みて日本は、まだ第二次世界大戦に敗れただけです。経過した年数こそ長いですが、敗戦後の秩序に不満を抱き、あわよくばそれをひっくり返そうともくろむ勢力がじわじわと台頭している。

うーん、やっぱり似ている。なら、どうするべきか?

やはり、歴史に学ぶべきではないでしょうか? そんな国の状況下、ヒトラーはいかにして権力を掌握したのか、それを吟味することによって、平成日本に第二のヒトラーを生み出さないための処方箋が見出せるのではないでしょうか?

天の配剤か、タイミングよく、あたしの勤務先から『独裁者は30日で生まれた』なんて本が刊行されたところです。

ただいま参上!

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こんな西洋哲学史の本はないものか?

西洋哲学史の大まかな流れというのは押さえているつもりなのですが、それでもせいぜい高校の倫理社会の授業で習ったことに多少の毛が生えた程度。知っているなどと言えたような知識は持っていないのですが、興味だけはあります。だから、分厚い本格的なものは歯が立ちませんが、文庫とか新書レベルの哲学史の本は、たまには読むようにしています。

が、部分的には理解できても、全体としてはさっぱり。何を言っているのかわからない、というよりも、何を言いたいのか理解できないというレベル。そして、なんでそんなことにこだわっているのか、いや、そもそも何にこだわっているの(?)というレベルであったりします。

例えば、人間はどこまでのことを認識できるのか、とか、果たして実在するものは何なのか、といった、いかにも哲学的な問い。そういう質問自体はわかるのですが、それを知ってなんとする、それがわかったからといって、何か世の中がよくなるわけ(?)、そういう気がしてしまうのです。

それは立ち位置が違うと言ってしまえば身も蓋もありませんが、あたしのように中国思想を学んできた者にとっては、なんでそんなことを考えるのか、理解に苦しむところでもあります。もちろん中国思想がそういうことを考えないというわけではありません。魏晋玄学以降、仏教が入ってきてからは中国思想もかなり形而上学的な思惟が発達したと言われますが、そして確かにその通りではありますが、あたしのように古代思想を主に学んできた者からすると、それが経世済民の役に立つのか、という風に思ってしまうのです。つまり、生活や社会に役に立たないことを考えたって意味がない、という感じでしょうか。

中国思想と言いますか、中国的なものの考え方の典型だなと、あたしが思うのは「衣食足りて礼節を知る」という句です。物質的な満足が得られれば、道徳的な面での向上も自然と行なわれる。こんな打算的というか現実的な考えを既に紀元前200年から300年くらいの頃に言っていた中国人にとって、神が存在するのか、とか、人の理性の及ぶ範囲とか、そんなのはバカバカしいことこの上ないものと感じられたのではないでしょうか?

ただ、どちらが良い悪いという問題ではなく、それが歴史的に背負ってしまった両者の違いなんだと思います。だから、やはり中国思想の影響下に歴史をくぐり抜けてきた日本人には西洋的な思惟は取っ付きにくいのではないかと思います。そういう目で現在の西洋哲学史入門的な本を開くと、たいていのものがソクラテスなどの古代ギリシアに始まって、ハイデガーやサルトルあたりで終わっているのが普通だと思います。

歴史に沿っていろいろな哲学者の名前、その主著、そして思想内容が語られるわけですが、正直言って「だから何?」という感じなのです。そういう人中心の哲学史ではなく、社会に基づいた哲学史の本ってないものでしょうか? つまり、古代ギリシアはこういう社会であって、人びとはこういう状況下にあったので、こういう考え方が発達してきた。それを突き詰めたのがソクラテスです。といった感じで、なぜそういう哲学が生まれたのかを社会や時代に沿って解説してくれる西洋哲学史の本です。

なので、むしろ中世の神学の方が、時代相と密接に関わるのでわかりやすかったりしますが、その後、カントとかヘーゲル、それぞれの哲学もあたしには難解ですが、なんでカントはそういうことを考えるに至ったのか、そういった視点からの哲学史の本です。

寡聞にして、あたしはそういったタイプの哲学史の本を知りません。誰かご教示いただければ幸いです。