運命の男?

文春新書『永田鉄山 昭和陸軍「運命の男」』読了。

永田鉄山の名前は知っていました。陸軍で期待を背負っていたことも、相沢中佐に惨殺されてしまったことも、そのくらいの知識は辛うじてありました。が、果たして永田鉄山とはいかなる人物かということになりますと、まるで知りませんでした。ちょうど『第二次世界大戦1939-45(中)』などを読んでいましたので、もう少し第二次大戦と、その時代の日本軍について知りたいと思い本書を手に取りました。

結論から言いますと、果たして永田鉄山は巷間言われているほどすごい人物だったのか、いまひとつ掴みきれませんでした。もちろん当時の日本陸軍の状況に対して強い危機感を持っていて、それを何とかしないとならない、ということを真剣に考えていた、そのための方策も少しずつ実行に移していた、ということはわかります。が、「この男が生きていれば太平洋戦争は止められた」といった持ち上げられ方をするほどの人物だったのかは疑問です。

どうしてそう思うかと言いますと、結局、永田も満洲事変を止められなかったわけです。そして、ずるずると中国との戦争に突入して言ってしまう関東軍、陸軍を制御できなかったわけです。なのに、どうして太平洋戦争は止められたのでしょう?

もちろん石原莞爾に対する場合と東條英機に対する場合とでは事情が異なる、という見方もできるのでしょうが、果たしてそううまくいくのでしょうか? また満洲事変のころの永田の立場と、(殺されずにいた場合の)太平洋戦争開戦前の永田の予想される立場を考えて、持っている権力が違うということはできると思います。

が、果たして、あの時代、永田一人でどれほどのことができたのでしょうか? そういう疑問が残ります。もちろん、政府側にも官僚の側にも、戦争の拡大を阻止したい人は大勢いたわけですし、そもそも昭和天皇も不拡大方針だったわけですから、永田がうまいこと彼らと協力できれば、確かにその後のアジア・太平洋戦争、第二次世界大戦は様相が異なっていたものになっていた可能性はあると思います。

しかし、そんなことの前にすべてを押し流して行ってしまった歴史の力。個人の力ではどうすることもできない歴史のダイナミズムをも感じさせられました。

連合国よ、連合せよ!

第二次世界大戦1939-45(中)』読了。

相変わらず、連合国、仲が悪いです。イギリスは、というか、チャーチルは大英帝国の夢を引きずって、アメリカを利用しようとばかり考えています。そしてソ連に対しては根本的な不信感が抜きがたいです。アメリカは、ソ連に対してチャーチルほどの敵意や不信感は持っていませんが、むしろイギリスの口車にうっかり乗ってなるものか、という態度がありありです。

それにしても、ドイツは強いです。確かにこの「中巻」ではスターリングラードでの手痛い敗北や、北アフリカでの撤退戦、後半になるとイタリアの休戦とシチリアやイタリア半島上陸など、既に劣勢に追い込まれ、敗色が見えてきていますが、それでも個々の戦い、司令官や兵士のレベルでは連合国をはるかに上回っていると感じます。ヨーロッパの戦線において、イタリアはほとんど役に立っていませんし、日本は遠い極東で戦っていて、そもそもヒトラーからすれば数のうちに入っていないでしょう。少しでもソ連軍を極東に引きつけてくれればラッキーという程度の期待しか持っていないようです。

つまり、事実上、ドイツ単独でソ連、イギリス、アメリカと戦っているわけで、それなのにかなりの奮闘ぶりです。もし三か国ではなく一国だけと戦っているのであれば確実にドイツが勝ったのではないでしょうか? やはり、適当なところで兵を退く、終戦工作を考えておくべきだったと思います。それは日本についても言えますが。

  

  

さて、この「中巻」までを読んだならば、『赤軍記者グロースマン』『スターリンの将軍 ジューコフ』『クルスクの戦い1943』『運命の選択1940-41()』『レニングラード封鎖』、こういった書籍を併せ読むとよいのかも知れません。

ささ、いよいよ最終、下巻です!

13億人の野望

まだ刊行前の商品『ネオ・チャイナ』をちょこっと読み始めました。

副題に「富、真実、心のよりどころを求める13億人の野望」とあるように現代中国ノンフィクションです。この分野、競合商品は数え切れないほどあります。文庫・新書のように安くて手軽なものから、かなり本格的で値段もそれなりにするものまで。そして、中国に関する本はかなり極端に奔るところがあり、中国を徹底的に貶めるような本もあれば、太鼓持ちのように礼讃する本もあります。

そんな本があふれているからなのか、日本で出版される現代中国ノンフィクションは、ほぼすべてと言ってもよいのですが、「まえがき」や「あとがき」に「どの本も中国の一面しかとらえていないので、自分が少しでもそんな歪みを是正したくてこの本を書いた」と書かれています。日本人の著作にこの傾向は多いです。中国人が書いたものの場合、特に日本に暮らし、それなりに日本語が達者な中国人のものは、徹底的に中国を悪し様に言うものが多いものです。やはり、日本と中国、あまりにも近すぎるために冷静な言説が成り立ちにくいのでしょうか?

その点、本書のように欧米の人のルポは、そういった日中のしがらみとは無縁ですし、積もりに積もった歴史的な軋轢もありませんし、なにより加害者と被害者という先の大戦のわだかまりがありませんから、日本人の著作に比べて非常にドライな印象があります。本書にもそういったところを期待したいです。

ソ連崩壊後、中国の指導者はその過程を研究し、決して同じ運命をたどるまいと決意した。二〇一一年にアラブの独裁体制が倒されたときにも、中国の体制は耐え抜くことができた。生き延びるために中国共産党がしたのは、聖典を捨て去る一方で聖者への信奉は堅持することだった。すなわち、マルクス主義理論を放棄する一方で、天安門から広場を見下ろす毛沢東の肖像画はそのままにしたのである。(P.13)

こんなところ、面白い言い回しだなあと思います。

サイン本

 

昨日のトークイベントで、安藤礼二さんの『この女を見よ 本庄幽蘭と隠された近代日本』を購入し、サインをしていただきました。それが下の写真です。

実はこのところ、個人的にサイン本づいてまして、台湾の呉明益さんにも『歩道橋の魔術師』にサインをいただきました。海外文学で、訳者ではなく著者のサインがいただけるのは貴重です! わかりますか? 最初から印刷してあったのではないかという感じのサインですね。

呉明益さんにサインをいただいたのは柴崎友香さんとのトークイベントの時だったので、柴崎さんにもいただいちゃいました。

 

春の庭』と『わたしがいなかった街で』です。

 

これが、それぞれのサインです。

サイン本って、やはりうれしいですよね。著者に直接会ったことがある、というだけでもワクワクします。乃木坂46の握手会に行くようなものでしょうか?

第三の魔弾

白水Uブックス『第三の魔弾』読了。

正直なところ、最初は物語に入っていけませんでした。状況や世界が飲み込めなくて、とりあえず誰かが昔語りをしているのかな、ということくらいしかわからず、それもわかるようなわからないような、つまり一体全体何のことを語っているのか、という感じだったのです。

でも、そんな導入部を過ぎて本編に入り、二つか三つ目の章に入ると俄然面白くなってきます。グイグイ引っ張られます。さあ、どうなるだ、どうなっちゃうんだ、という期待感で先へ先へと導かれます。

さて、ネタバレになるかも知れませんが、簡単にストーリーをおさらいしておきますと、かつてライン伯であった暴れん坊グルムバッハは故国ドイツを追われ新大陸へ渡ります。そこで自分を慕う部下たち共にアステカの国王の庇護を受けのんびりと暮らしています。そこへスペイン国王の命を受けた征服者コルテスが現われ、情け容赦なくインディオたちを殺戮していきます。コルテスの軍中にはグルムバッハの異母弟であるメンドーサもいて、各者各様の事情を抱えながら戦うことになります。

しかし多勢に無勢、グルムバッハがコルテス軍を撃退するために手に入れたものは小銃と呪われた三発の弾丸。たった三発の弾丸だけを頼りに、グルムバッハは無敵のスペイン軍に戦いを挑むのです。さあ、その結末は?

このように書くと、さも英雄然としたグルムバッハと、憎々しげなコルテスやメンドーサをイメージしがちですが、そう簡単ではありません。グルムバッハは英雄らしくないところがたくさんあり、なんかグズグズしていることがあります。一方のコルテスやメンドーサの方がむしろ颯爽としていると思えるところがあるのです。

呪いでは、一発目の弾丸でスペインの無敵軍を敗走させ、二発目の弾丸で大切な女性を失い、三つ目の弾丸で自分自身に(何かが起こる?)と予言されたわけですが、作品中では三発目の弾丸が放たれてどうなったか、はっきりとは書いていません。その後がどうなったのかは読者がそれぞれ思い思いのストーリーを作ってよいのではないでしょうか? 少なくとも、その後もグルムバッハは生きています。最後まで読んだあと、もう一度導入部に戻ると、上に書いたような「わからなさ」もかなり解けると思います。そして訳者による解説も、先に読んでしまうと本編のワクワク感を少しそいでしまうかも知れません。

ペレッツ、あたしは今回初めて知りましたし読んだのですが、それなりに邦訳が出ているのですね。

  

  

スウェーデンの騎士』『最後の審判の巨匠』『夜毎に石の橋の下で』『ボリバル侯爵』『レオナルドのユダ』『ウィーン五月の夜』がまだ手に入るようですが、主要著作はほぼ網羅されているのではないでしょうか? そんなに日本で人気の作家だったのですね。

短篇もいけます!

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ナンタス

古典新訳文庫『オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家』を読んでいます。

ゾラというと『ナナ』や『居酒屋』のような長編がイメージされるのですが、こういう短編もあったのですね。知りませんでした。

  

その中の一編「ナンタス」に非常に気になる一節がありました。

つまり、人生で裏切らないもの、常に確実で、常にそばにあるものは、死だけだということだ。彼は死よりほかに強固なものを知らなかった。確固としたものを探し続けたが、無駄だった。あるゆるものが次々と足元で崩れ落ちていった。ただ死のみが、確かなものとして残ったのだ。

これは真理ですね!

そうそう、あたしの勤務先の『パリ()』もゾラですし、長編でしたね。

泣きそう……

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