最果ての地

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ミス・マッケイに異議あり?

新刊『ミス・ブロウディの青春』の95頁に、ブロウディ先生の上司であるマッケイ校長がブロウディ組の生徒をお茶に招いていろいろ聞き出そうとするくだりがあります。

そのシーンにこんなセリフがありました。

結婚したり職についたりした時、ラテン語やギリシア語が何の役に立つの? ドイツ語の方がもっと役に立ちますよ。

なかなか面白いセリフですね。あたしの勤務先的にはドイツ語ももちろん大事ですが、ギリシア語やラテン語だって捨てがたい言葉です。なので、マッケイ校長にはあえてこの本をお薦めしたいと思います。

ラテン語とギリシア語を同時に学ぶ』です。まだ新刊ですが、早々と増刷となりました。

エディンバラ

新刊『ミス・ブロウディの青春』を読んでいます。同書は近々、河出書房新社から『ブロディ先生の青春』というタイトルで新訳も出るそうです。同時期に定評ある旧訳が復刊されたり、新訳が出版されたり、やはり名作なのでしょう。

 

そして名作だからこそ、過去に映画化もされたのだと思います。

この予告編を見ると、いま読んでいる小説の世界がよく描かれているなあと感じます。是非ともWOWOWかスカパー!のどこかのチャンネルで再放送してほしいものです。

ところで、作品の舞台となっているエディンバラ、スコットランドの都市であることは知識として知っていますが、どんな感じのところかまるで知りません。ググってみれば、情報は写真も含めいろいろ出てきますし、英語は苦手ですが、観光ガイドのサイトもたくさんありますので、なんとなく街の雰囲気はつかめるかな、という気がします。

しかし、やはり地図を描けないと、せっかくの作品も魅力が十分に味わえないのではないでしょうか? そこで自分なりに地図を作ってみました。今後も読み進めながら、上掲の地図に情報を加えていきたいと思います。

それにしても『死を忘れるな』では70歳以上の人しか出てこない作品を書いたかと思ったら、こんどはうら若き乙女たちの物語。スパークという作家はすごいものですね。

Remember you must die.

死を忘れるな』読了。

話の発端は、とある老婦人にかかってきた一本の電話。受話器を取ると「死ぬ運命を忘れるな」と言うだけで切れてしまう。不安に駆られた夫人は兄に相談し……

という感じで、兄の妻、夫人の友達などなど70歳以上、中には90歳近い人まで、多くの人が登場します。そのうちの何人かには、この嫌がらせのような電話がかかってきます。彼らは定年退職した元警察官に相談しますが、老人の思い違い、妄想だと思われてしまう始末。

ストーリーはこの電話の犯人は誰かということを縦糸に、彼ら老人たちの人生の末期をそれぞれに描くことを横糸に進行していきます。物忘れがひどくなったり、考え方が意固地になったり、体が思うように動かなかったり、老人たちはそれぞれに悩みを抱えつつも、愉しく平穏に暮らしています。ただ、自分が死んだらどうなるのか、なまじ財産を持っていると、それを誰に譲るかで悩まなければなりません。そんなところ、実に生臭い話も出てきます。

恬淡として、飄々と人生の最晩年を生きていると思いがちなお年寄りたちが、実に生き生きと、そしてまだまだギラギラとした欲望を抱えつつ生きているということが非常によく描かれた作品です。人生を全うするとはどういうことか、晩節を汚さないとはどういうことか、改めて考えさせられます。

ところで、結局、最後まで読んでも、いたずら電話の犯人が捕まるわけではなく、犯人が誰だったかも明らかになっていないと思うのですが、やはり老人たちの集団妄想だったのでしょうか?

「でもわたしのことも愛してくれるのよね?」と少女は訊いた。「まさにそれこそがぼくのやることだよ」と少年は言った。

<エクス・リブリス>の最新刊、『生まれるためのガイドブック』読了。既にFacebook似書きましたが、とりあえず女子高生に読んでもらいたいです。

タイトルには「生まれるための」とありますが、本書全体読むと生まれることだけでなく、死ぬこと、生きること、誰かと生きていくこと、そういったものの意味を考えさせる内容を含んだ短篇集です。ただし、行くrことや人を愛することの喜びを描くのではなく、むしろのその逆。難しさ、辛さ、苦しさ、そういったものを抱きながら、それでも前へ進まなければいけない人の心、前へ進んでいる人の状況を描いた作品です。

いろいろなマタニティーブルーの世界と言ってしまうと、ちょっと違うのはわかっていますが、生まれるってどういうこと、新しい生命を生むってどういうこと、そして生があるなら死があるわけで、死とは何か、喪失感とはどうやって乗り越えるのか、そんな人の命をかけがえのなさをさまざまなストーリーで描いていると言えばよいのでしょうか?

さて、現代の医学では、どんなに頑張っても子供を産むのは女性です。ですから本書の読者としてはまずもって女性だと思います。しかし本作では男性も悩み苦しみ葛藤しています。本書を男性が読めば女性の悩みに思いを致すことができると思いますし、女性が本作を読めば男性の苦しみに気づくことができるのではないでしょうか?

収録作は、それぞれかなり異なります。正直に言ってしまうと、最後の「支流」が今一つ理解しづらい、否、あたしの読解力では理解できていません。手がいくつも生えてくるというのは何を象徴しているのか、まだ飲み込めずにいます。それ以外の作品は、上に述べたように、どれもしみじみと生きるということ、命の重さと儚さを考えさせる、バラエティ豊かな作品群です。恐らく誰もが、作品の中の一つには思い当たるところがある、お気に入りの一編を見つけ出せるのではないかという気がします。

なお、このダイアリーのタイトルは「老いも若きも」からの一節です。

図らずもシンクロ!

ようやく読み終わった『第二次世界大戦1939-45』ですが、読んでいると、ヨーロッパ人のソ連嫌いが非常に強く感じられました。なぜにそれほど嫌いなのか、アジア人であるあたしには理解しづらいのですが、『クリミア戦争』を読んだときにもそれは感じられました。

  

とにかく西欧の人たちはロシア人が嫌い、チャーチルなどの言動を見ていると、ソ連がヨーロッパに寝室してくるくらいなら、まだナチス・ドイツの方がマシとでも言わんばかりです。それほど嫌っているロシアに対し、『第二次世界大戦1939-45』になると、反共産主義、反ボルシェヴィキという感情も加わってきます。この点ではむしろ英国はドイツと同盟が組めそうなくらいです。

それはさておき、第二次大戦末期、ソ連がドイツへ侵攻してくるくだりでは、ドイツのいろいろな地名が出てきます。そして同時並行的に読んでいる『ネオ・チャイナ』で著者が中国人のヨーロッパツアーに参加してヨーロッパを旅するシーンがあるのですが、そこにトリーアというドイツの地名が出てきます。トリーアはマルクスの生まれ故郷です。ツアコン曰く、中国人ならトリーアへ来たがるでしょう、という趣向のようです。中国もののノンフィクションですから、マルクスに言及があってもおかしくはないのですが、ちょうど読み始めた評伝『マルクス(上)』が、まずはトリーアの話から始まるので、奇妙なシンクロです。

 

なんとなく、ここしばらく、あたしの心はドイツ国内をうろちょろしている感じです。トリーアってどんな街か全く知らないんですけど、ものすごく親近感がわいています(笑)。