俺たちは天使だ!

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入門どころではない!

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ちなみに蔵書印

先程は蔵書票について書きまして、その中で、日本や中国などは蔵書印の方がメジャーではないか、と書きました。

これについて、確かなことを知っているわけでもありませんし、学問的な裏付けがあるわけではありません。ただ、書画の巻物などには昔から所有者の印が押されているのを展覧会などでしばしば目にしていますので、蔵書印という文化が中国や日本にあるのは間違いないとは思います。

閑話休題。

上の写真はあたしの蔵書印です。

はい、あたし、自分の蔵書印は持っているのです。「罔殆蔵書」と彫ってあります。

「罔殆」は『論語』の「学びて思わざれば則ち罔し」から取っております。ブクログも「罔殆庵藏書樓」と命名していて、あたしなりの座右の銘的なものです。

海外文学と中国

藤井光さんの『ターミナルから荒れ地へ』を読んでいて、アメリカ的なものを背負わない作家が増えているということはわかります。アメリカ生まれアメリカ育ちの、まさしくアメリカ人作家もそうですし、外国からアメリカに渡ってきて英語で執筆するようになった作家ももちろん増えているようです。

誰もが普通に英語を使い、英語で執筆する、それがグローバル化なのだと言われてしまえばそうなのかもしれませんし、今後のアメリカ文学の流れ、ひいては世界の文学の潮流、藤井さんも楽しみながら眺めているのではないかと思います。

さて、こういう文章を読んでいてあたしが思うのは中国のことです。フランスなどは英語を使うのを減らそうと躍起になっているようですが、やはりヨーロッパの共通語は英語だと思いますし、アメリカのスタイルがスタンダードになっていると思います。アメリカと争った共産圏もアメリカ文化の軍門に降ったと言えると思います。

テロの掃討がうまく行かない中東だって、結局は英語を使い、アメリカ文化の影響は著しいものを感じます。だからこそのアイデンティティの確認、そして極端なテロ行為なんだと思います。

ですが、中国です。

これまで世界の国々はアメリカに対峙して、結局はアメリカに飲み込まれていった、アメリカの影響下に置かれるようになってしまったわけですが、中国だけはそれに抗して、独自の立場を貫こうとしているように感じます。

いや、中国だって、政府高官の子どもはみんなアメリカに留学しているし、エリートはおしなべて英語が話せるし、身の回りのものはアメリカを中心とした欧米の製品ばかりです。

それでも、中国は、これまでアメリカが対峙してきた諸国とはやはり違うと感じます。アメリカへの挑戦の仕方が異なるというのでしょうか、とにかく、あたしにはそう感じられます。それが、アメリカにはない歴史の重みなのか、歴史を背景とした自国文化に対する揺るぎない自信なのか、それはわかりません。

そんな中国の文学が、世界文学に加わったら、文学にどんな影響を与えるのでしょうか? 既に莫言のノーベル文学賞受賞のように世界に認められている中国文学ですが、世界の作家にどれだけの影響を与えているのか、となるとまだまだなのかもしれません。

中国文学は英語に屈せず独自の道を歩むのか、それとも英語に取り込まれてしまうのか、とても気になります。そんなことを考えながら読み終わりました。

半可通から少しは進歩

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