維新とは違う?

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鬼平だけじゃないよね

「火附盗賊改」の正体』読了。

書名は「正体」となっていますが、別に謎解きでも何でもなく、徳川三百年を通じた火附盗賊改という役職の変遷を追ったものです。『鬼平犯科帳』しか知らない身としては興味深い話ばかりで面白かったです。

そもそも長谷川平蔵以外にも歴代の火盗改がいたことは常識としてわかりますし、江戸には南北の町奉行がいたわけで、それとの役割分担とか確執といったものもあったのではないかなといった予想はある程度は当たっていました。

全体としては、当時の文献の引用なども手際よくまとめられており、とにかく長谷川平蔵だけではない火付盗賊改について知りたいという人には格好の入門書ではないでしょうか? だからこそ、鬼平ファンには若干物足りないところもあるのではないでしょうか。

オビは少し煽りすぎ?

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ループする三部作 or 四部作?

年末年始は閻連科を読んでいて、ようやく『炸裂志』がみ終わりました。

 

このところの読書録は閻連科が続いていて、『父を想う』『年月日』も読み、少し前には『愉楽』も読破していますが、これらを読んでみて感じたことが……

 

当初、『年月日』を読んだとき、この作品は『愉楽』の後日談のような気がすると思いました。が『炸裂志』も一連の作品ではないかと思えました。では、既にこれらの作品を読んでいるという前提で以下は書いてしまいますので……

『愉楽』は山西省の田舎の村の障害者たちがサーカス団を結成し、ソ連(ロシア)からレーニンの遺体を買い取って村の観光の目玉に使用と奮闘するお話です。共産主義が打ち倒されたとはいえ、「もう不要でしょうからレーニンの遺体を譲ってください」と外国から言われて、ロシア側が「いいですよ」と承知するわけがありません。ですから、ストーリーの結末は見えているようなものです。そして、このサーカス団が人気を博し、貧乏な農村の障害者たちは一躍大金持ちになるわけです。しかし、そこは愚かな農民のこと、最後には騙されてほとんどスッカラカンになってしまいます。

もとの農村生活に戻り、少し時は流れ、いつもどおりの素朴な暮らしをしていた村を日照りが襲い、やむにやまれず村を挙げて町へ移るというのが『年月日』です。そして先じいさんとメナシの末路はおくとして、町へ行っていた村人たちが日照りの村に戻ってきて、また昔ながらの貧乏暮らしが続くのだろうと予想されます。

そして『炸裂志』は、そんな貧乏な寒村が、どういった天のいたずらなのか、あれよあれよという間に発展し、ついには中央直轄都市にまで登りつめるというストーリーです。『炸裂志』中の閻連科が描く炸裂市では、最後に市民挙げて闘いへと繰り出していきます。たぶん結末は悲惨なものでしょう。作品中、女子供や障害者は戦争へ行かず、炸裂市に残ることになっています。

戦争で健康な大人たちはみな戻ってこず、障害者だけが残され、発展の夢が破れた炸裂市、ここで物語は『愉楽』の寒村へとループするわけです。

もちろん『炸裂志』の中で市民挙げて戦争へ向かうのは閻連科の創作で、炸裂市は発展し続けているということらしいのですが、ループが続くのか、一直線の道を進むのか、歴史は繰り返すなどと言いますから、実際の中国の発展、そしてそのひずみ、光と影を考えながら、この作品を読むと面白いと思います。

で『炸裂志』の訳者あとがきにもありますが、主人公は四兄弟なのですが、この男兄弟の描き方に『父を想う』の兄弟の姿が重なるのは、両者を読んだ方なら誰でも想像できることでしょう。閻連科さんはまったく別の作品だとおっしゃるでしょうし、たまたま作品の舞台がどれも同じ地区というだけの共通項ですが、やはりこの四作品は四部作として読まれるべきではないかと、思うのです。

贖罪のヨーロッパ

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中国の北と南

中国史では南船北馬という言葉あります。主に移動手段が馬である北方、いわゆる黄河流域を中心とした中原地域と、運河などが発達し、移動手段が舟である淮河以南の南方地域を表わした言葉です。『三国志』なんかで使われていたという記憶がありますが……

とまあ、かように中国の北と南とでは違っていて、その他にもいろいろと異なるところはあるのでしょう。なにせヨーロッパが丸ごと入ってしまうほどの広さ。ヨーロッパであれば、北欧とイタリアやスペインを一緒くたにすることはないでしょうが、なまじ中国という一つの国であるがゆえに、そのあたりの感覚が麻痺してしまうことがままあるものです。

で、話は文学なんですが、最近、といってもこの数年ですが、あたしが読んで中国文学作品、そういった地域の違いが感じられるなあと思わせてくれました。

 

まずは、蘇童の『河・岸』と畢飛宇の『ブラインド・マッサージ』です。蘇童は江蘇省蘇州市、畢飛宇は江蘇省興化市の生まれ、どちらも温暖な南方、そして水に恵まれた地域の作家です。ですから作品も非常にウェットです。この場合のウェットというのは人情に厚いとか、そういった意味ではなく、作品世界に非常に湿度を感じるということです。

まあ『河・岸』なんて、水上生活者が主人公ですし、タイトルも思いっきりウェットですよね。『ブライド・マッサージ』も別に印象的なそういうシーンがあるわけではないのですが、読んでいると雨が降っている南京の町とか、うだるような蒸し暑さが感じられる作品です。この両作品、いかにも南方という感じです。

それに対して『アルグン川の右岸』、閻連科の『年月日』は非常に乾いています。

 

遅子建は黒竜江省、閻連科は河南省出身。どちらも北方ですし、その作品も思いっきり乾いた風を感じます。『アルグン川の右岸』は乾いているというよりも凍てつく感じを受けましたし、『年月日』などは百年に一度の大飢饉ですから水分なんてこれっぽっちもありません。

同じ中国でも、出身が異なるだけでこうも違うものか、と思わずにはいられません。

とはいえ、あたしはこれら作家のすべての作品を読んだわけではありませんので、作家が北方出身だから乾いた作品、南方出身だから湿った作品だと決めつけるのは早計だということは承知しています。ただ、これらの小説の舞台はそれぞれ南方と北方で、南方を舞台にしているから湿った感じ、北方を舞台にしているから乾いた感じ、ということは言えるのではないでしょうか?

こんな風に文学作品を通じて、その国のことを知る、これこそ海外文学を読む醍醐味だと思います。これがあるからこそ海外文学を読むわけですし、行ったこともない国や場所について行ったような気になれる、それが最高の愉しみです。

もちろん、この程度の文学体験で「この国はこういう国だ」と決めつけてはいけないことは重々承知しています。それでも、ある程度の数を読んでいけば、それなりの感覚は生まれてくるはずです。その感覚に違和感を感じるような作品に出逢うのも、また楽しみの一つではないかと思います。

  

さらに『歩道橋の魔術師』や『神秘列車』といった台湾の作品になりますと、大陸とはまた異なる味わい、世界が広がっていますし、香港もまた独特の世界になるのでしょう。南と北という対比でしたが、恐らく西方出身の作家の作品や西部地域が舞台の作品であれば、西の方の味わいを持った作品があるのでしょう。もちろん西へ行けばウイグルとかチベットなど少数民族も住んでいますので、『ハバ犬を育てる話』などのように彼らの世界観に溢れた作品がたくさんあることでしょう。

まるで絵本みたい、と感じてしまったあたしの感覚は世間様とはズレているのでしょうか?

話題の新刊『』を読み始めました。西加奈子さんの作品はこれが初めてなのですが、なかなか面白いです。

で、上の写真はその『』と『テヘランでロリータを読む』です。なんでこの二つを並べているのかって? それは『i』を読めばわかります。

あたしはまだそこまで読み進んでいませんが、同書に『テヘランでロリータを読む』が引用されているそうなのです。それもかなり重要なところで。既に読んだ書店員さんから伺いました。書店によっては両書を併売しているところもあるようです。

で、『i』の最後にこんなページがありました。しっかり『テヘ・ロリ』が書いてあります。果たして、どんな風に引用されているのでしょうか? もう少し読み進めれば出てくるのでしょうから愉しみです。ちなみに、あたしは『テヘ・ロリ』は刊行されたころに読んでいます。

  

それにしても、久しぶりに日本人作家の単行本を読んでいるのですが、ページを開いた印象が、ふだん読んでいるものとあまりにも異なるので驚きました。上の写真、一番左が『i』で、真ん中が『テヘ・ロリ』です。参考までに、一番右が『i』と併読している閻連科の新刊『炸裂志』です。

  

同じ単行本という形態、文芸書というカテゴリーに属しながらもこれだけの違いがあります。あたしは、ふだんは真ん中くらい文字の詰まった本を読んでいます。時には一番右のような二段組みの本も読みます。もちろんこの三者、ページ数もかなり違います。だから、西さんの今回の新刊のページを開いた瞬間「絵本みたい」と思えるほど文字が少なく感じました(汗)。

真ん中や右の本を見慣れている(読み慣れている?)者からすれば一番左は読みやすい、あっという間に読めてしまうでしょうけど、ふだん一番左のような本ばかり読んでいる人にとって真ん中や一番右の本を読むのは苦痛でしょうか? もちろん本の中身が一番大事なのは言うまでもありませんが、開いた瞬間に「あっ、文字が多い、こんなの読めない!」と思ってしまう人が多いのも事実です。

名は体を表わす?

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