裏方の仕事を知りたい?

B面の岩波新書」というサイトが、この週末でしょうか、オープンしました。

まだまだコンテンツはこれからなところもありますが、面白そうなサイトです。サイトの紹介文には

昔のアナログレコードやカセットテープには、表の「A面」と裏の「B面」、2つの面がありました。

とありますが、いまの若い方、DJブームでレコードは知っているかも知れませんが、カセットなんて触ったことない人も多いのではないでしょうかね? さらに

著者の仕事を「A面」とするなら、それを支える私たち編集者の仕事は「B面」です。このWebサイトでは、ふだんは黒子役の、私たち編集者の仕事をお見せしていきます。AB両面が一体となれば、岩波新書をより一層楽しんでもらえるのでは、と考えました。

とあります。本来、裏方の仕事というのは人に見せるものではありません。料理屋が決して厨房を見せたがらないように、マナーとして見るべきものではないというのがこれまでの常識だったと思います。が、『舟を編む』以来でしょうか、こういう本作りの仕事に興味を持つ方も増えているようで、こういうサイトの設立に至ったのでしょう。

Facebookで『奉天三十年』(上・下)が岩波新書の最初の一冊として紹介されていたので、あたしも自分の書架の岩波新書を見てみました。それが下の写真です。

わかりにくいかも知れませんが、右端の方の岩波新書は判型が少し大きいです。これが本来の岩波新書のサイズだったのでしょうか? 少なくとも現在では入手困難な書目ばかりが並んでいる書架です(汗)。尾崎秀実や橘樸なんて名前があるのがすごいところです。

こちらもやや古い岩波新書の棚。こちらには恩師・小松茂美先生の『かな』『手紙の歴史』などがあり、必ずしも中国関係だけではありません。この写真の下の段もやはり岩波新書が同じように並んでいて、そこに『奉天三十年』(上・下)も架蔵しています。

「古いのもいいけど、最近の岩波新書はどこ?」と言われると、もう入りきらないので、廊下に新たに設置した薄型本棚(上の写真)に他社の新書や文庫と一緒に並べています。

滅多に刊行されることのない国のものだと、とりあえず買ってしまいます(汗)

岩波文庫からこんな新刊が出ました。

 

世界イディッシュ短篇選』です。欧米やフランス、イタリアなど翻訳が多く出版されている国の文学作品はそこまで追いませんが、こういう滅多に紹介されることのない国のものですと、何はともあれ買っておこうと思ってしまいます(汗)。イディッシュなんて、そうそう出されることはないでしょうし、品切れになったらしばらくは復刊もされないでしょうから、これは買っておかなければと思います。

イディッシュというと、以前、こんな本を買って読みました。

 

不浄の血』です。これは河出書房新社から出されたもので、イディッシュ語からの翻訳というオビの文章に惹かれて買ったのを覚えています。どちらも訳者は西成彦さんですね。

これら以外に、イディッシュの翻訳文学ってありますでしょうか? 新潮社の《クレスト・ブックス》や白水社の《エクス・リブリス》にもイディッシュの作品は収録されていなかったのではないでしょうか? だから、こういう機会に買っておかなければと思うのです。

為朝は南へ

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『君たちはどう生きるか』から何も学ばなかったみたい……

映画化もされるということで話題になっている『君たちはどう生きるか』ですが、現在は岩波文庫以外からも刊行されているし、漫画も出ているのですね。最近、書店店頭でよく見かけます。

 

それでもあたしにとっては馴染み深いのは岩波文庫版です。あたしも高校の頃に読みました。いや、正確に言うのであれば「読みました」ではなく「読まされた」です。

どういうことかと言いますと、あたしが高校へ入る前、入学の手続きを終えた後、高校からの指定で入学までに『君たちはどう生きるか』を読んで感想文を書いていかなければならなかったのです。感想文は入学式後のホームルームか、最初の国語(現代文?)の授業で提出させられたのではないかと思います。

そういう理由で読んだわけですが、どんな感想を持ったかと言えば、説教臭くてウンザリ、というものでした。もちろん、こういった作品が名作と呼ばれ、読み継がれていくんだな、ということは理解できましたが、なんか善人面したおじさんとか、正義感の塊を装いたいような主人公がどうも好きになれませんでした。

そのころ、既に小中学校でクラスやクラスメートに馴染めず、軽いいじめられっ子だったあたしは高校生活にもそれほどの期待を抱いておらず、韓非子とかマキャベリにのめり込んでいるような中学生(高校生?)でしたから、本書の世界は唾棄すべきものと感じられたものでした。

なによりも、お父さんに頼まれたのか知りませんが、叔父さんがうるさくて、うざったくて、とにかく煩わしかったのを覚えています。自分にはこんなうるさい叔父さんがいなくてよかったと、心底思ったものです。

が、因果は巡ると言うのでしょうか、ここまで聖人君子面はしていないつもりですが、妹のところの姪っ子、甥っ子に対しては、ややうるさい存在になっているような気がします。いろいろと本を送っては、「これを読め、あれを読め」と偉そうに、説教はしていませんが、なにかにつけて口を出しているような気がします。

ああ、これでは自分が高校生のころに嫌悪した、あの「叔父さん」と同じではないですか! これはいけませんね。この機会に、自戒をこめて……。