読書の季節感

今日で四月も終わりというタイミングで『十二月の十日』を読了。一風変わった短篇集でした。

スッとストーリーに入っていける作品と、これはいったいどういう世界なんだと首をひねり、なかなか作品に入り込みづらいものとがありました。しかし、何とも言えない読後感。よい意味で後味の悪さを感じました。

特に「SG飾り」って何なのよ? 訳者あとがきでは、著者はそれを夢に見た情景から描いたようなことが述べられていましたが、あたしが読みながら頭の中にイメージしていたもので合っているのでしょうか?

それにしても、何の疑問も持たずにこういったものを飾っている人びとの感覚、恐ろしいですね。主人公の子供たちの感性が救いにはなっていますが……

さらに、春真っ盛り、いや各地で既に夏日を記録する日も訪れているこの季節に『』も読了。

主人公を巡る、さまざまなつながりと分断の物語ですね。コロナウイルスで自粛生活を余儀なくされ、なんとかそれを楽しもうとしている人も多いですが、「自粛警察」なる人びとの溝をニュースなどで見るにつけ、主人公のイライラ、焦燥感が身近に迫ってきます。

でも、溝って、結局溝の底まで降りていけば繋がっているわけですよね。決して別々ではなく否応なく繋がっている、切ろうとしても切れないつながり、そんなところが主人公のイライラの原因でもあるのでしょう。そして、現在の一部の日本人の。

犬の本

雑誌『婦人画報』5月号の書籍コーナーで、犬に関する海外小説が二点、紹介されていました。

その一つが、新潮クレスト・ブックスの『友だち』です。自殺してしまった男友達が飼っていた犬を、ペット不可のアパートで飼う羽目になってしまった女性の物語です。

その犬というのが、室内で飼えるような小型犬ならまだしも、なんとグレートデン。女性では散歩に連れて行くのもひと苦労の大きさの犬です。さらに大変なのはこのグレートデンがもう余命幾ばくもない老犬だということです。アパートの階段の上り下りにも手間のかかる大きな犬、既に若くはない主人公には荷が重すぎます。

最初は、なんであたしが犬を押しつけられなければいけないのよ、という思いだった主人公ですが、犬を通して故人を偲ぶうちに、犬に対する愛着、愛情も芽生えてきます。そして徐々に犬の死期も近づいてきます。全体としては、男友達との回想が多く、主人公と犬との感動物語はサイドストーリー的なのですが、後半に向かうにつれ、その比重が徐々に変わっていきます。

そして紹介されていたもう一点がこちら、中国の作家、閻連科の短篇『年月日』です。

日照りで作物が取れなくなった貧しい村。人びとはその季節をやり過ごすため町へ移りますが、しかし主人公のおじいさんは自分の畑にたった一本生えてきたトウモロコシを守るため、たった一人村に残ります。そのおじいさんの相棒となるが、目の見えない野良犬です。

一人と一匹で、食べるものもなく水も涸れ果てた村で、壮絶なサバイバルが始まります。最後の最後、万策尽きた主人公が採った行動は涙なしには読めない感動作です。

主人公と犬のストーリーはフィクションだとしても、このような干ばつ、中国では現在も起きているのだろうなあと思います。むしろ森林の乱伐により砂漠化はますます深刻な状況になっているようですので、現実に起こりうる小説です。

さて、そんな二作品、あたしはどちらも読んでいます。テイストはかなり異なりますが、どちらも犬好きなら読まずにはいられないのではないでしょうか?

猫と比べると若干旗色の悪い犬ですが、それでも他の動物と比べたら本にしろグッズにしろ数え切れないほどあります。外出自粛で家に籠もっている方、特に犬好きの方なら、こういう本ばかりを集中的に読んでみるのもよいのではないでしょうか?

愉快なロンドン、楽しいロンドン?

新型コロナウイルス騒ぎで、あちらこちらで自粛ムードになっています。大規模なイベントは延期や中止が相継いでいますし、公演なども同様です。そんな中、映画館はやっているのでしょうか?

何が気になるのかと言いますと、ジャック・ロンドン原作、ハリソン・フォード主演の「野性の呼び声」です。今のところ、この映画を見に行く予定はありませんが、ジャック・ロンドンの作品ですので気になります。

ジャック・ロンドンと言えば、『マーティン・イーデン』をあたしの勤務先から刊行していまして、読んだら非常によかったという記憶があります。名作と言ってよい作品だと思いました。

というわけで、映画原作の『野性の呼び声』だけでなく、この機会に気軽に手に入る文庫本のジャック・ロンドン作品、『白い牙』と『どん底の人びと』も購入してしまいました。

読みたい本がたまっている身の上ですが、できるだけ時間を作って全部読みたいと考えています。今年の夏から秋ごろには「マーティン・イーデン」の映画も日本で公開になるそうなので、それまでには読み終えたいと思います。

ひとまずこれくらいあれば……

毎日の往復の電車の中だけでなく、営業回りの途次の電車の中も読書の時間です。

もちろん、時には睡魔に負けてしまうこともありますが、基本的には読書の時間です。荷物が重くなるのを避けたいので、文庫や新書をカバンにしのばせていることが多いですが、このところ食指の動く新書が多かったので、買いだめというわけではありませんが、ついついこんなに買ってしまいました。

これで果たして何日持つのでしょうか? 早い時ですと2日くらいで一冊読んでしまうので、それでも三週間くらいは新たに購入する必要はないのではないかと予想しています。

共通性はあるか?

中公新書の今月の新刊は食指の動くものが多いです。

結局、ご覧のように『百年戦争 中世ヨーロッパ最後の戦い』『東アジアの論理 日中韓の歴史から読み解く』『鉄道のドイツ史 帝国の形成からナチス時代、そして東西統一へ』の三冊を買ってしまいました。

どうしてこの三冊なの? と聞かれると、この三冊に統一性とか共通性があるような、ないような。わかっていただけますかね? 基本的には歴史が好き、ということになりますでしょうか?

日常のちょっとした不安や不条理

亜紀書房の『誰にでも親切な教会のお兄さんカン・ミノ』読了。

本作は同社が刊行中の《となりの国のものがたり》シリーズの4冊目、最新刊です。「となりの国」というのは韓国のことで、韓国現代文学のシリーズになります。これまでに既に『フィフティ・ピープル』『娘について』『外は夏』の3冊が刊行されていました。

写真の4冊はすべて架蔵本です。つまり、あたし、結局全部買ってしまいました、そして読んでしまいました。韓国文学と言うとフェミニズムと思われがちですが、このシリーズはそういうものとは異なる作品も収録されていて、韓国文学の別な一面が垣間見られます。

4冊をすべて並べてみると二枚目の写真のようになりますが、決して派手ではないもののどれも印象的なカバーです。シリーズとしての統一感よりも、作品ごとの雰囲気を優先しているようです。一枚目の写真をよく見ていただければわかるように、背の上部にシリーズ全体のロゴマークが入っているのが唯一の決まりのように思えます。

それにしても、世の韓国文学ブームに乗って、あたしもこの数年ずいぶんと韓国文学を読んでしまいました。このシリーズだけでなく、晶文社の《韓国文学のオクリモノ》シリーズも実はコンプリートしていまして……(汗)

それにしても各社がこうして手を変え品を変え、趣向を凝らした韓国文学のシリーズを出してくれるのは韓国文学ファン、海外文学ファンにとってはとても嬉しいことですね。ある程度読んでみると、韓国文学の特徴というのが見えてくる気もします。フェミニズムを別とすれば、日常生活のちょっとした隙、ひび割れ、落とし穴みたいなもの、あるいは登場人物が思い煩う不安感、陥ってしまう不条理な現実。そういうものが描かれがちなように感じます。それは、翻訳者や出版社がそういうものを選んで翻訳しているからなのか、あるいは韓実際にそういう作品が多いのか? どうなのでしょうね?

国家の歴史と個人の歴史

ノーベル賞作家、オルガ・トカルチュクの『プラヴィエクとそのほかの時代』読了。

ポーランドにある架空の村、プラヴィエクとそこに暮らす人々の物語が短いエピソードの積み重ねによって語られます。

語られる時代は、第一次大戦のころから現代まで。ポーランドがソ連やドイツの侵略によって国土を蹂躙され、そこから共産主義国家として立ち上がる、まさに苦難の近現代史です。

しかし、物語はそんな国家の歴史、大きな歴史とは無縁の庶民の歴史です。だから、直接戦争の話が採りあげられるわけでもないですし、革命の話が前面に出てくるわけでもありません。そういった国家の歴史は後景に置かれ、著者の筆はどこまでも個人個人を追いかけます。

だからこそ、庶民にとっての歴史とは何なのかがよくわかりますし、国家の歴史とは異なるもう一つの歴史、と言うか時の流れが感じられます。個人の歴史の中に時々顔を出す国家の歴史は、あからさまに暴力を振るうわけでもなければ、何か恵みを施してくれるわけでもありません。それでも気づくと個人の歴史にもじんわりとした影響が及んでいて、嫌が応にも庶民はそこに巻き込まれ翻弄されてしまいます。

ポーランドは、国も個人も苦難の近現代史を生きてきたんだなあと、しみじみ感じられます。ちいさな断章の連続ですが、個人的には「クルトの時」の一篇を読むだけでも、本書を繙く価値があると思いました。

中年男性の悲哀?

昨日の朝日新聞の読書欄です。

パク・ミンギュの『短篇集ダブル サイドA』『短篇集ダブル サイドB』が紹介されていました。

この二冊については、あたしも既にこのダイアリーで触れていますので贅言は慎みたいと思いますが、とにかくとても素敵な短篇集です。

SFっぽい作品と、韓国社会の影の部分を描いた作品と、かなりトーンの異なる作品が散りばめられた短篇集なのですが、あたしはやはり評者・都甲さんも取り上げている、韓国社会の中で辛酸を嘗め、悲哀という言葉では言い表わせない辛さを抱えた人々、特に男性たちの生き方を描いた作品に心を打たれました。

なお、パク・ミンギュの作品でしたら文中に挙がっている『亡き王女のためのパヴァーヌ』『ピンポン』(←あたしの勤務先の刊行物)もいいですが、『カステラ』や『三美スーパースターズ 最後のファンクラブ』もお薦めです。

結局どうすれば……

中公新書の新刊『移民の経済学 雇用、経済成長から治安まで、日本は変わるか』を読みました。移民は受け入れるべきか、受け入れるべきではないのか、様々な論点から解説してくれます。世界の研究動向を紹介した上で、日本の場合だとどうなるのか、経済学の専門家でなくともわかりやすく書かれていました。

しかし、データの取り扱い方によって移民のプラス面、マイナス面があり、ちょっとした変数によってまるで異なる結果が出てしまうようです。ですから、著者は移民賛成派、移民反対派それぞれが自分に都合のよいような結果を導き出せることを再三再四指摘して注意を促しています。

となると、門外漢で、「つまり、どうすればよいのかしら?」と思っているあたしのような人間からすれば「結論がないじゃ亡いか」と言いたくもなります。しかし通読した感じたのは、国はあくまでグランドデザインを描くにとどめ、細かなところは各地域の実情を踏まえて条例などを策定する方がよいのではないかと思いました。移民と言うとアジア、アフリカ、南米など発展途上国からやって来る得体の知れない人たち、というイメージが先行しがちですが、欧米から来る人だっていますし、来る人の教育レベルも千差万別ですから、そもそも移民という言葉で一括りにしてよいような問題ではありません。

そのことがわかっただけでも収穫かなと思います。ただ、グローバル化する社会ですから、異なる国の人が同じ場所に住むようになるのは世の趨勢だと思います。だったら反対するよりも共生するための方策を考える方が建設的かなと感じました。
なお、本書が巻末に挙げる参考文献はすべて欧文のものなのですが、一点だけ邦訳のあるものがあり、それがあたしの勤務先から出ている『移民の政治経済学』でした。是非とも併読していただきたいものです。