情熱が冷めたと言うべきか?

本屋で見つけたこんな本。

 

研文出版の『中国古典学への招待 目録学入門』と『目録学に親しむ 漢籍を知る手引き』です。

昔だったら即決で買ったのだろうなあと、ふと思いました。

今は、目睹しただけで買おうか買うまいか躊躇している自分がいます。中国学に対する情熱が冷めてしまったのでしょうか? それとも単に不景気で先立つものがないからなのか……

2017年6月23日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

二者二様なんて表現はないか?

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2017年6月11日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

新書というより論文集?

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2017年5月26日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

複本問題

「複本問題」と言っても別に図書館の新刊購入の問題を言いたいのではありません。

自分自身の本の購入についてです。

本好きで、本をよく買う人なら誰しも体験していると思いますが、同じ本を二冊、三冊買ってしまうという問題です。もちろん一度に二冊買うわけではありません。既に買っているにもかかわらず、本屋で見かけて「あ、こんな本が出ていたんだ、買っておかないと」と思って買って帰ってきたら自宅の書架に同じ本が既に並んでいた、という問題です。

いや、「問題」と書きましたが、たぶん本が好きな人なら「仕方ないなあ」とは思っても、決して「問題」などとは思っていないはずです(笑)。かなり高額な書籍なら買った記憶もありますから、ほとんど複数購入は起こりませんが、数千円程度くらいまでだと、あたしも何回も経験があります。文庫や新書ですと同じ本が3冊書架に並んでいることもあります。

ただし、あえて同じ本を買うこともあります。

同じ本というのは語弊があるかもしれませんね。単行本を持っていて、文庫化されたときにもまた買うというケースです。まるっきり同じなら買わないのですが、文庫化の時に一章追加されたとか、解説が加わったとか、そういうことがあると既に単行本を持っているにもかかわらず文庫も買ってしまうことがたびたびあります。

出版社側から見たら理想的なお客さんですよね(笑)。

で、『「三国志」の世界孔 明と仲達』です。清水書院の書籍です。上の写真のように、かつて同社から出ていた「清水新書」の一冊です。それがこのたび判型も大きくなって、「人と歴史」というシリーズになって刊行されているようです。以前のものも持っていましたが、内容に改訂があったようなので、新たに買ってしまったわけです。

 

ちなみに『六朝貴族の世界 王羲之』も一緒に買ったのですが、これの清水新書版は持っていません。なんで買わなかったのでしょう? 当時既に品切れだったのでしょうか? あるいは、あたしが当時は王羲之に興味がなかったからなのでしょうか? そんなことはないと思うのですが……

というわけで、「清水新書」をどれだけ持っているかと言いますと、上の写真の6点です。これらもすべて順次「人と歴史」シリーズに移行していくのでしょうか?

2017年5月14日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

ここから始まる?

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2017年4月1日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

百年前の三国志?

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2017年3月12日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

英雄か梟雄か凡将か

張作霖』が面白いです。タイトルどおり、奉天郊外で日本軍によって爆殺された中国の軍閥・張作霖の評伝です。

 

張作霖、恐らく日本ではいま述べたように「日本軍に殺された」という印象しかない人がほとんどでしょう。そして張作霖爆殺を意味する「満州某重大事件」という歴史ワードも「知らない」「聞いたことない」という人が増えているのではないかと思います。そんな張作霖、あたしも中国史を専攻していたとはいえ、それほど詳しく知っていたわけではありません。が、本書を読んで目から鱗でした。

日本軍の満洲侵略、共産化したソ連の南下という外患、国内に目を転じれば軍閥間の飽くことなき権力争い、そして南からは蒋介石率いる北伐軍が迫り、そんな情勢下、東北三省をまとめ上げ、勢力を維持していくのは至難の業だったはず。それを見事にやってのけた張作霖はやはり稀代の英雄だったのでしょうか? あるいは梟雄と読んだ方がふさわしいのでしょうか?

本書ではそんな張作霖と家族たち(ファミリー)について、冒険活劇のように描き出しています。まるで『三国志』や『史記』『水滸伝』を読んでいるかのような錯覚に捕らわれますし、あたしは読んだことありませんが北方謙三の中国ものに通じる痛快さがあるのではないでしょうか?

それにしても、張作霖も含め、時代の流れ、外敵の侵略という時勢を考えれば、お互いに争っているのではなく一致協力して日本に立ち向かうべきだったのではないでしょうか? どうしてそれが出来なかったのか。そのあたりの軍閥群像劇は同著者による『覇王と革命』に譲るとして、これだけの統率力を持ちながらも、結局は並居る軍閥とさほど変わらない行動しか取れなかった張作霖が残念でありません。

2017年3月12日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー