「まお」と言ったら、井上真央でも浅田真央でも小林麻央でもなく、毛沢東のことです

今日は毛沢東の命日だと書いたので、自宅にある関連グッズを探してみました。

まずは壮年のころの毛沢東の写真を使ったマグネットです。だいたい名刺とかクレジットカードくらいの大きさです。記憶が正しければ香港へ行ったときに買ったはずです。帰国前に両替するのも面倒な小銭を処分するのにちょうどよかったので、香港の夜景のマグネットと一緒に買ったものです。

 

続きましては、古本屋で買った角川文庫版の『毛沢東語録』です。あいにくと本家本元の毛沢東語録は持っていませんが(涙)、本書はなぜか二冊持っています。一時期、大陸では毛沢東グッズが大流行したそうですね。毛語録も売られていたという噂も聞きましたが、本当だったのでしょうか? あるいは今も北京の書店へ行けば普通に買えるものなのでしょうか?

この角川文庫版も今は絶版ですよね? 平凡社ライブラリーに移っているようです。

三つ目は懐中時計です。恩師・伊地智善継先生の中国土産です。あたしがふだんから懐中時計をしていたのをご存じだったからのチョイスだと思います。今は使っていませんので、電池も切れて針は止まったままです。

最後は北京の友人にもらったものです。友人宅へ遊びに行ったときに、少し前に旅行で行って来たおみやげだと言ってくれました。別にあたしのためにわざわざ買ってきたものだとは思えません。たぶん、韶山の毛沢東故居を参観したとき、参観者全員に配られた記念品でしょう。

ガラス製です。ただの置物なのかとも思えますが、形状などからして、ペーパーウェイトなんだろうと思います。

あと。毛沢東バッヂも持っていたような気がしますが、それがちょっとどこへ仕舞ったのか見つかりません(汗)。

2017年9月9日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

上海、行きたいなあ~

温又柔『真ん中の子どもたち』読了。

ストーリーは日本人の父(台湾研究者)と台湾人の母を持つ主人公が日本で中国語学校に入り、その勉強の一環として一か月の語学留学で上海を訪れさまざまな経験をするというもの。本書の感想やストーリー紹介は省きまして、あたしが読んでいて一番楽しかったのは、その上海を主人公と級友が散策するシーンです。

あたしも中国は何度か訪れていますが、最後に訪中してからかれこれ10年になろうとしています。これまでの訪中は「中国旅行記&写真帳」にまとめてあります。それによると、上海には5回行ってることがわかります。同書の主人公が上海を訪れたのは、あたしの5回の上海訪問よりは少し後になると思われますが、現在の上海ではないのでやや懐かしさを覚える描写も随所に見られました。

特に印象に残っているのは海関の時計ですね。やはり上海と言えば外灘(バンド)、外灘と言えば、和平飯店と共にあの時計が印象的です。あの時計の鐘の音を聴きながら和平飯店で食事をしたことが二回あります。一回目ははじめのの訪中の時で、それは主人公と同じ一か月の短期語学研修で、あたしは北京で四週間学んでいました。その後、卒業旅行として洛陽、西安、上海と一週間かけて旅したのですが、その時です。もう一度は母と妹と三人で訪中したときです。

初めて和平飯店で食事をしたときのことは、自分の旅行記にこんな風に書いています。

 締めくくりに、和平飯店(中国では、飯店、賓館と言ったらホテルのこと。このホテルは、上海でもベストスリーにランクされる程の高級ホテルです)の北楼七階だったか八階だったかのレストラン(中華は飽きたので洋食の)で、上海の黄浦江を行き交う船と、黄昏から夜の帳が降りる街を見下ろしながらワインで乾杯して、食事をして……。バックには、ピアノが生演奏でショパンを奏でていた、と言うより叩いていたと言う方が正しいかな。窓からは大時計が見えていて、これがライトで輝いていた。
この時計が三度目の時を告げ、そろそろ戻ろうということになり、タクシーを頼んで宿舎へ帰った。

なんか、今とはずいぶんと文体が異なっていて、自分で書いたとは思えませんが……(汗)。とはいえ、とてもロマンチック、雰囲気がよかったのは事実です。

また主人公が男友達と魯迅公園を歩くシーンがありましたが、あたしももちろん行っています。大世界(ダスカ)は前を通っただけで中には入りませんでした。昔の華やかなりし話は読んだり聞いたりしていますので、今、中を覗いてもどうなんだろうと思ったからですが、同書を読んだ後では、やはり入ってみればよかったかなと、ちょっと後悔してます。

 

とにかく、主人公の見聞きする上海が、今ほど発展するちょっと前で、あたしが最後に目にしたころの上海と非常に近しいのではないかという気がして、懐かしく読みました。ああ、また中国、行きたいなあ~

2017年9月3日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

本、書店、そして中国

昨夕は、ジュンク堂書店池袋本店にてのイベント「本、書店、そして中国」へ行って来ました。講師は、東方書店の元店長の田村さん。あたしが学生時代に東方書店でアルバイトをしていたころ、神保町すずらん通りのお店の店長でした。いや、あの頃は神崎さんが店長だったかしら? とにかく、昔から縁のある方です。

話は東方書店の沿革と田村さんが従事されていた仕事内容についてが主でした。あたしも東方書店でアルバイトをしていたので多少は知っている話もありましたが、知らないことも多く、楽しいひとときでした。

で、このダイアリーを読んでくださっている方の中には「東方書店って何?」という方もいらっしゃるかと思いますので、昨夕のイベントのメモに基づきながら、軽くご紹介します。

もともとは極東書店という、言ってみれば左寄りの書店があったわけです。それが1966年に中国で文革(プロレタリア文化大革命)が始まるに及んで、ソ連寄りと中国寄りとで分裂し、中国派が分かれて立ち上げたのが東方書店です。ですから、東方書店はその設立当初から日中友好というのがDNAとして埋め込まれている書店なのです。

ただし、できた当初は文革真っ只中。はじめはプロパガンダ商品を主に扱っていたようです。毛沢東語録とか文革礼讃ポスターなどを輸入販売していたのでしょうか? あたしも知りませんが、あのころは文革を指示する日本の知識人もそれなりにいたので、ある程度の需要はあったのでしょうね。

あとは、中国から輸入した物産を扱っていて、デパートなどで行なわれる物産展に出展することもあったそうです。今からはとても考えられない総合商社ぶりです(笑)。まあ、食材や文房四宝などは当時でも売れたのではないでしょうか?

その後、文革も終わると徐々に書籍も入ってきたようですが、売り上げの柱になっていたのは書道用品だったそうです。当時はお店の一角で書道用品を扱っていて、固定客も着いていたそうです。そして墨や硯などの骨董的な高級品も飛ぶように売れていたのだとか。確か、あたしが学生のころは、お店で書道用品を扱っていたのをうっすらと覚えています。

中国ブームが到来しつつあるものの、肝心な語学書は光生館や東方書店が、中国で作られた外国人向けの中国語学習書を翻訳して発行している程度で、現在とは比較にならないほどアイテムが乏しかったようです。その後は、企業の中国進出向けの本、中国人とのトラブル解決法や付き合い方の本などが売れるように推移してきたそうです。

現在の東方書店は、中国で作られた学術雑誌のデータベースなどの販売にも乗りだしつつも、店舗での中国関連書籍の販売を続けています。あたしが学生のころ、神保町周辺には中国からの輸入書籍が扱う書店が東方書店の他にもいくつかあり、授業の後や土曜日にそういった書店巡りをするのが楽しみでもありました。現在ではすずらん通りで斜めに向かい合う東方書店と内山書店くらいしか残っていないのが残念です。

中国からの輸入書籍を扱うお店がそんなに揃っていて共倒れにならないの、という疑問もあるかと思います。もちろん現在はなくなっているお店があるわけですから共倒れしたと言えなくもないですし、そもそも中国関係に限らず書店全般、出版界全般が右肩下がりですから致し方ないです。ただ、それでも内山と東方があると言うことは、中国好きにとっては「神保町まで行ってみるか」というきっかけを与えてくれることになると思います。これがどちらか一店舗だけしかなかったら、わざわざ出向くのも面倒と思ってしまうでしょうけど、二つあれば行こうという気持ちも起こるのではないでしょうか? それに中国からの輸入書ではありませんが、漢籍などの古書を扱うお店も神保町には何店舗かあります。周恩来ゆかりの中国料理屋もありますし、冷し中華発祥のお店も神保町にあります。あとは中華街にあるような気の利いた中国雑貨屋が二つ三つあればよいのに、と個人的には思います。

閑話休題。

来客からの質問にもありましたが、内山書店と東方書店。すぐ近くに向かい合って存在する似たような書店ではあり、お互いどうなのかという点ですが、使う側からすると、思想、歴史に強いのが東方書店、文学、特に現代文学に強いのが内山書店、という色があります。あたしが学生のころには芸術系が充実していた中華書店、思わぬ掘り出し物が時に見つかる亜当書店、医学系が強かった燎原書店という棲み分けというか、特色が各店にあったものです。

さて、今回のイベント。ジュンク堂書店の担当の方の弁では、ジュンクのような大型店に対して、街の書店、セレクト型書店などが書店の形態として生まれてきているけれど、あるジャンルに特化した東方書店のような書店はとはどんなものなのかに興味を持たれたからやることになったそうです。

考えてみますと、中国に特化した東方書店(や内山書店)というのは、ずいぶん前からやっているセレクト型書店と言えなくもありません。田村さんも述べていましたが、中国語の学習書にしろ、中国史関係の書籍にしろ、恐らく東方書店の店頭よりジュンク堂の店頭の方が品揃えは勝っているでしょう。それでも東方書店が便利であり優れているのは、広くないからこそ中国関係のものはそこへ行けばほぼほぼ揃ってしまう簡便さです。

中国関係の書籍といえば、あたしなどは雑食なので中国の小説も読みますし、歴史関係の研究書とまではないかなくても、やや堅めの本も読みます。中国旅行記のようなエッセイも読めば中国語の語学書にも食指は動きます。中国ビジネスこそあまり読んだり買ったりはしませんが、ジュンク堂書店ですと、これらの書籍は広い店内に散在しています。しかし東方書店や内山書店ですと、数十歩も歩けば見て回れる範囲に揃っています。なおかつ、ジュンク堂や紀伊国屋ではほぼ扱っていない、中国や台湾、香港からの輸入書も一緒に置いてあるわけですから、中国好きにとっても面白くないわけがありません。

一番顕著なのは、中国関係の書籍がよく刊行される文庫・新書ではないでしょうか? いまや数え切れないほどのレーベルがあり、そこから毎月何かしら中国関係の新刊が出ています。ジュンク堂だと各文庫・新書の棚を巡ってその中から中国関係の本を捜していかなければなりませんが、東方書店ならそれらだけをまとめて置いてくれていますので、文庫や新書のレーベルを回遊する手間が省けます。

こればかりはネット書店の検索機能でもうまいことできませんね。そもそも「中国」と入れると「岡山・広島」といった「中国地方」の書籍もヒットしてしまいますので(汗)。そんなところが、リアル書店のよさであり、東方書店の存在意義なんだと思います。

2017年8月30日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

呪縛は解けていない?

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2017年8月28日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

共通するところはあるけれど

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2017年8月19日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

「明」的なもの、あります

習近平と永楽帝』を読み始めたので、自宅にある「明」的なものを捜してみました。

まずは基本中の基本図書『明史』です。

写真は中華書局の評点本二十四史シリーズの『明史』です。『史記』から『清史稿』まで揃っています。『明史人名索引(上・下)』もちゃんと揃えています。他には、いわゆる影印本ですが、『武英殿本二十四史』も所持しております。

続きましては永楽帝の事績の一つ、『永楽大典』です。これは北京の瑠璃廠の中国書店(だったかな?)で買いました。この両隣にチラリと見えるのは左が『図説中国の歴史』(講談社)という日本の本ですが、右側は『説郛三種』という中文書(中国で発行された書籍)です。「上海古籍出版社」と書いてありますよね? 中華書局と並ぶ出版社の一つで、その名の通り、古典籍などを主に刊行している出版社です。

というわkで、タイトルの「明」は「メイ」ではなく「ミン」とお読みください。

2017年8月17日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

ガンバレ中学生!

今朝の朝日新聞の「声」欄です。

三国志にはまっている中学生の投書です。世の中、漢文の授業など要らない、という風潮が強くなっているというのに、この中学生は白文を読みたいと書いています。嬉しいじゃないですか! まだ12歳ですよ!

それにしても、こういう熱い気持ち、せめて大学へ入るまでは持続してほしいものです。ただ、あまり熱くなりすぎると周囲から浮いてしまうかも知れません。浮いてしまうと情熱も冷めてしまいがちです。ですから、静かに、熱いというよりは温かく、ずっと心に持っていてもらいたいと思います。

もし本当にその道を志すのであれば、一時の熱さよりも、何十年と根気よく向かい合える気持ちの方が大事になってくるはずです。あたしが学生の頃にも、NHKの「シルクロード」や人形劇「三国志」などの影響で、必要以上に熱いテンションで入ってきた同級生がたくさんいました。が、そのほとんどはテンションが一学期と持たず脱落していきました。

たぶん、テレビやゲームの影響で入学すると、ひたすら白文を読むような地味な授業についていけなかったのでしょう。でも、この投書の中学生は白文が読みたいと書いているくらいですから、たぶん大丈夫。大学受験の頃、この投書を読み直してどんなことを思うのでしょうか?

2017年7月14日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

総理と同じ?

今朝の朝日新聞です。

 

ノーベル平和賞受賞者・劉暁波さんの容態がかなり重篤なようです。海外での治療を、という声もありましたが、この容態では動かすこともままならないのではないかという気がします。

こんな状態になるまで一切の治療をさせなかった中国政府に対する国際的な非難の声も上がっていますが、『不屈』を読んでいただければ、このくらい中国政府にとっては何でもないことだとわかります。

思い出すのは、周恩来総理です。

彼も晩年は癌に体を冒され、それでも政務、否、激務をこなし、最後の最後まで毛沢東は治療を認めなかったと言います。これって、中国の伝統なのでしょうね。

それにしても、記事にもありますが、この状態でも友人の面会を認めないという頑なな姿勢。胡錦濤時代の後半以来、中国は締め付けが厳しくなっていると聞きますが、いったいどこへ向かうのでしょうか?

2017年7月7日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

不安定さの表われ?

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2017年7月4日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

8年? 14年? 15年?

今朝の朝日新聞です。

抗日戦争は何年にわたって繰り広げられたのか、学者たちの意見を無視して中国共産党が強引に年数を増やそうとしているそうです。少しでも長く闘っていたということによって自分たちの権威を高めようという狙いなのでしょう。

今のところ学者たちが反対しているそうですが、そんなの弾圧すればよいこと。これを定着させていけば、一般民衆やこれから学ぶ子供たちは、共産党が14年も鬼のような日本軍と闘ってくれたお陰で今の中国があると信じてしまうことでしょう。

うーん、人の国の教科書にはさんざん文句を付けておいて、自分のことは棚に上げまくっている国ですね。ただ、それを言うなら、日本も以前は「十五年戦争」という言葉をよく使っていたような気がします。これは、中国側の言う抗日戦争とは異なるのでしょうか?

いずれにせよ、宣戦布告なき戦いだったわけなので、こういうことが起きるのでしょう。

2017年7月3日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー