「大系」いろいろ

「新釈漢文大系」が完結したことが素晴らしいと書きましたが、確かに長い年月かけて完結させることの素晴らしさもありますが、完結したときに既刊がすべて揃うということが、それ以上に素晴らしいと感じます。だって、自戒をこめて書きますが、たいていのシリーズものって、完結したときには既刊が歯抜けになっていることがしばしばですから。

そんなシリーズ、大系ですが、この機会にわが家の書架を見渡してみましたところ、「新釈漢文大系」は先に触れたように『史記』を数冊所持しているだけですが、以下のような大系を所持しておりました。

平凡社の「中国古典文学大系」全60巻です。神田神保町の古書店で購入しました。たぶんどこかの図書室の処分品だったと記憶しています。誰も借りたことがなかったのか、月報も入っていて、とてもきれいな状態で売られていました。

続いては冨山房の「漢文大系」全22巻。これも神保町の古書店で買ったものですが、かなりボロボロです。現在も冨山房から函入り、索引付の版が刊行されていますね。この大系は本文に返り点や送り仮名が付いている程度で、読み下し文も現代語訳も付いていませんが、中国古典専攻であれば、これで十分でした。

こちらは「国譯漢文大成」です。経史子部と文学部があって、それぞれに正編と続編がありますが、あたしが持っているのは正編の経史子部、20巻のみです。これも「漢文大系」と似ていて、読み下し文しかありません。が、当時の一流の学者による典雅な訓読文が非常に勉強になりました。

最後が、「四書註釋全書」全13巻です。これももちろん神保町の古書店で購入しましたが、いま考えても、個人で所蔵するようなものではないような気がします(汗)。当時はこういう日本の漢学者の業績にも興味が向いていたのだと思います。できれば同じ編者による「儒林叢書」も欲しかったと思っていた時期のことです。

2018年5月3日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

「新釈漢文大系」、祝!全巻完結

明治書院の「新釈漢文大系」が全巻完結になりました。全120巻、刊行開始が昭和35年ですから、すごいものです。長い年月弛まず作り続けるということが、昨今の出版環境を考えるとどれほど大変なことか、ただただ畏敬の念を覚えます。

 

上掲のように、新宿の紀伊國屋書店3階人文書コーナーでは全巻完結のフェアをやっていました。これだけ並べているのは壮観です、図書館に来たような気がします。恐らくこうして全巻並べている書店など全国に数えるほどしかないのではないでしょうか? 写真を撮らせていただいて、ついでにパンフレットももらってきました。

あたしもこの大系には学生時代にお世話になりました。この種の中国古典の大系・シリーズについて、少し前に書きましたが、学生のころは完結していなかったので、「早く出ないかな」と首を長くして待っていた古典がいくつもありました。懐かしい想い出です。

上の写真はわが家の書架の一部。ご覧のように『史記』だけは数巻持っています。やはり学生時代に史記の時代を専攻していたので必要資料として買い求めたわけです。欠けているのは、学生時代にはまだ発売になっていなかったからです。この機会に欠けている巻を買い足そうかしら?

右の方には筑摩書房から出ていた『漢書』も並んでいますが、なかなかよい眺めです。この『漢書』はその後「ちくま学芸文庫」に収録されたのではなかったかと思いますが、それももちろん持っています。

で、話を明治書院に戻しますと、『研究資料漢文学』なんていうシリーズを持っています。こちらはその後「新装版」が出たようですが、あたしが所持しているのは最初の版です。

なんで買っていたのでしょう?

当時は高校の漢文の教師になろうと考えていたのでしょうか? いや、あたしは高校だろうと中学だろうと、教員免許を持っていませんし、学生時代も教職課程は履修しなかったので、そんな可能性は全くなかったはずです。やはり、自分の漢文力を高めるための資料として購入したとしか思えません。ただ、図版や資料がなかなか面白かった印象を持っています。

2018年5月3日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

読書メモ的に……

独り舞』を読み始めました。

32頁あたりからの小雪とのやりとり。

結局主人公は、自分をわかってもらえないと思う以上に周囲の人を理解していないんだろうなあと感じます。そして、自分の言うことを否定せず、うんうんと聞いてくれる人に対しては「自分をわかってくれる」と思うわけで、このあたりは、同性愛ということを抜きにしても、いわゆる幼い自我とでも言うのでしょうか、若い頃には誰にでも多かれ少なかれ見られることですね。ただ、ここまでこじらせると周囲も大変でしょうけど。

その後に、「でも、どうせ死ぬなら、一花咲かせてから死にたくない? 茨の鳥のように」というセリフがあります。

主人公は死ぬことばかり考えているわけですが、その前に何かしたいという意識、なんだかんだと言っても「自分は何かを成し遂げられるはず」と思っていることの裏返しですよね。

「彼女の作品が彼女の死に意味を与えたと言えるかもね。もしそれも無くて、ただ死んでしまったら、何だか寂しいと思わない?」というセリフもあります。

死に意味を与えるのではなく、たぶん生きていることの意味、証が欲しいのだろうと思います。ただ、それも若さゆえの思い上がり。ほとんど大多数の人の人生というのは、別に意味など考えることなく、ただ時の流れと共に生成消滅を繰り返しているだけだと思うのですが……

2018年4月12日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

悲観的にも楽観的にもならず

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2018年3月25日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

これで一通り電子化されました?

知人のSNSで知ったニュースです。朝日新聞の名古屋版で2月に掲載された記事のようです。なんと、愛知大学の『中日大辭典』が遂に電子化される宋です。

振り返ってみますと、あたしが学生のころ、中国語辞典と言えば光生館の『現代中国語辞典』が主流で、岩波の倉石辞典は癖があり、愛知大学の大辞典は文学作品を読む人向き、という評価でした。中国語を学ぶ学生は光生館を買うしかなかった時代です。

その後、あたしが卒業のころになって小学館から『日中辞典』が発売され、その後『中日辞典』も姉妹版として刊行され、光生館独占の中国語辞典の世界に風が吹いたのです。

その小学館の『中日辞典』『日中辞典』は既に電子化され、スマホアプリとなっています。確か最初はCD-ROM版が発売されたのだと記憶しています。辞典・事典はCD-ROMで使う、そういう時代でした。

さて、小学館の辞典が出たとは言え、英和辞典などに比べ選択肢がまだまだ貧弱な中国語辞典の世界。あたしが就職したのは伊地智辞典と呼ばれる『白水社中国語辞典』の編集をするためでしたが、同辞典も既にウェブで使えるようになっています。

それが「weblio」という辞典サイトです。いろいろな辞典が引けますし、これもスマホアプリが配布されています。

伊地智辞典が刊行されたころは、中国語辞典の発売ブームと呼んでもよいような状態で、講談社や角川書店からも本格的な中国語辞典が刊行され、少し遅れて東方書店からも中日辞典が刊行されました。これらの辞典も、スマホアプリとまでは行きませんが、何らかの電子化はされているのではないでしょうか? これだけ電子媒体で出てしまうと、紙の辞書が売れなくなるのも当たり前ですね。

さて、上述の小学館のアプリですが、Android版は同辞典の第2版が電子化されたもので、最新の第3版は電子化されていないようです。しかし、iOS版は上掲のように第3版のアプリが昨年リリースされました。Android版のリリースが待たれます。

2018年3月8日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

そんなところが、いかにも中国?

もう一つ、朝日新聞。

習近平が、国家主席の任期制限を撤廃する憲法改正を進めていることに対して、中国国内でも相当批判が出ているようです。当然、それに対して当局の規制や抑え込みも激しくなっているわけですが、ネット規制の例が面白いです。

くまのプーさんを習近平に喩えるのは、前からありましたので知っていましたが、袁世凱なども引き合いに出されるのですね。

そして「司馬昭之心」なんていうのまで出てくるところに、歴史の国・中国が垣間見ることができます。似た事例があるか否かは別として、日本で政治家に問題が起きた場合、ここまで歴史や故事成語などが出てくることがあるでしょうか?

2018年3月2日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

やはり持っていました!

講談社学術文庫の『顔氏家訓』の「あとがき」で、本書のテキストとしたのが中華書局・新編諸子集成の『顔氏家訓』だと書いてあったので、わが家の書架を見てみると……

やはり、ちゃんと所持しておりました。

この新編諸子集成のシリーズも何冊持っていることやら、その後どれだけ刊行されているのか知りませんが、初期のころに出たものはすべて持っていると思います。

だからなんだと言われても困りますが……(汗)

2018年2月26日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

壮大にして痛烈な皮肉

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2018年1月22日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー