老師追想

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2015年9月10日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

最近なんか目につくような……

書店店頭でこんな本を見かけました。

  

頭山満伝 ただ一人で千万人に抗した男』です。「頭山満って誰?」という人がほとんどかも知れません。いや、そもそも「頭山満」が人名だと認識していない方も多いのではないでしょうか? はい、歴とした人名です。近代の日本人です。

この本が出たのがこの8月ですから、まだまだ出来たてホヤホヤの新刊です。なんでこの時季なのでしょうか? 別に今ブームという感じはしませんが。

いや、実は密かなブームなのでしょうか? だって『玄洋社怪人伝 頭山満とその一派』が出たのが2013年ですから、わずか2年で二冊。歴史上の超有名人ならともかく、頭山満クラスが2年で2冊というのはちょっと注目が集まっているのではないかと思いたくもなります。ちなみに更に遡ること10年、『人ありて 頭山満と玄洋社』が刊行されたのが2003年になります。

ちなみに、同じような流れで語られることも多い内田良平や宮崎滔天などの関連書も気づいてみるとちょこちょこ刊行されています。こういったところが静かなブームになっているのでしょうか? ちなみに、あたしはどうしても近代中国史との関係でこういう人たちを見てしまいます。ですから、政界では近衛や犬養なども気になるところですし、山田良政や純三郎兄弟など、孫文の周囲の人には関心があります。でも、恩師の受け売りになってしまうのですが、やはりこの時代の人物で一番気になるのは中江丑吉橘樸といったところでしょうか?

2015年9月1日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

野望、慾望、絶望

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2015年8月26日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

うーん、ちょっと……

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2015年7月14日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

今も生き続ける満洲国?

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2015年7月4日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

いま一歩の掘り下げを期待

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2015年6月1日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

本当のところは?

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2015年5月28日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

レーニンのキス

合間に他の本を読んだりしていたのでちょっと時間がかかってしまいましたけど、ようやく『愉楽』読了しました。が、最後の方、後半半分くらいは一気に読んでしまうほどのスピードでした(汗)。

  

身体障害者ばかりを集めた雑伎、否、絶技団を組織して、中国全土を公演してお金を稼ぐ、というプロットだけを聞くと、奇想天外なドタバタ喜劇を想像してしまいますが、読後感を問われると、やはりある種の喜劇なのかな、とも感じます。閻連科は既に『丁庄の夢』『人民に奉仕する』を読んでいますが、相変わらず批判精神にあふれた、毒のある作品です。

さて本作のあらすじは上にちょこっと書きましたが、なんでそんな絶技団を組織したかというと、片田舎の県長がロシアへ行ってレーニンの遺体を買い取り、自分の県に記念堂を作ってそこに遺体を安置する、そうすれば世界中から観光客が押し寄せて県は濡れ手に粟の収入を手にし、県民は汗水流して働くことなく、学校も病院も無料になるような生活ができる、というとんでもない計画を立てたことに始まります。その県の外れも外れ、ほとんど地図にも載っていないような山の奥に障害者ばかりが肩寄せ合ってひっそりと暮らす村落があり、そこの人たちが障害者とは思えない身体能力を持っていることを県長が発見し、これは商売になると思いついたのがそもそもの始まりでした。

これが大当たりして、どこへ行っても絶技団の公演は超満員。あまりの多さの観客を捌くためにチケットの値段を上げたにもかかわらず、それでも押すな押すなの連日大盛況。絶技団に参加した障害者たちにも、一生安楽に暮らせるほどの大金が手に入りました。もちろん記念堂も落成となり、県長の命を受けた代表がロシアへ遺体購入の交渉に向かいます。

さて、そこから話は急転直下。ネタバレになるので書きませんが、中国における障害者に対する偏見、差別意識の根強さ、したたかに立ち回る人間の狡賢さ、いくらひどい目に遭わされても目を覚まさない庶民たち、そんな中国社会の負の面がこれでもかというように執拗に描かれます。

にもかかわらず、悲劇的な暗さがあるかというと、確かに感じられなくはないものの、カラッとした明るさも感じられます。どんな絶望的な状況におかれても、前向きとは言えませんが、暗くなるわけでもない庶民のたくましさ、打たれ強さ、そんなものを感じます。この強さが中国の強さなんだろうな、と思います。

2015年5月24日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

中南海

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2015年5月12日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

胡同

「胡同」を「フートン」と読ませる本がまた出版されました。晶文社の『老北京の胡同』です。

 

ちなみに「また」と書いたのは『北京の胡同』が念頭にあったからです。タイトルこそ似ていますが、後者は現代の中国ルポという性格が強く、もちろん庶民目線のリポートですが、ジャーナリスティックな書きぶりです。それに対して「老北京」の方はよりエッセイに近く、古きよき北京を記憶に留めておこうという、ノスタルジックな味わいのある著作です。

さて「老北京の胡同」は北京在住、それも胡同に住んで10年以上という著者が、夫である写真家(本文中の写真はほとんどが夫の撮影)と共に、大規模再開発によって失われていく胡同を、時間の許す限り歩き回って、そこに住む人に話を聞き、自分でも調べて書き留めた記憶です。

著者自身の好奇心が最大の武器なのでしょうが、北京生まれという夫の存在も、中国人の中に分け入っていく上ではかなり助けになったのではないかと思われます。

その北京の胡同。

通り一遍の観光客ではまず入っていくことのない細かな露地です。真っ直ぐに伸びているところも多いですが、ジグザグに曲がりくねって、果たしてこの先通り抜けられるのだろうかと不安になるような道も多々あります。日本人の目から見ると汚くて臭くて治安も悪そうで、と見えてしまうところですが、町歩きが好きな人、北京に慣れ親しんでいる人には表通りにはない庶民の息づかいを感じられるまたとない場所です。

そんな胡同が改革開放後の西洋化、都市化、そして北京オリンピックに向けての都市整備によってどんどん失われていったようです。胡同は通りだけを言うのではなく、そこに建っている家屋、そしてそこに住む人々を含んだ慶観なわけですが、再開発の波はそういったものを一切合切その土地から引きはがしてしまったようです。それを惜しむ著者の視線のやさしいさ。

もちろん、拝金主義のこの時代。よそ者である著者が懐かしがっているだけで、そこに住む住民はもっとたくさんのお金を手に入れようと、胡同の歴史などにはお構いなく平気で売り飛ばしている現実、電気水道などのインフラも遅れている胡同の住環境とおさらばしたいと思っている住民の気持ち、そういったものを指摘することも著者は忘れてはいません。最後に紹介されているように、結局はそこに住む人たちが、自分たちの住んでいる場所の歴史を学び、その価値を見いだしていかないと、歴史的景観の保護は実現できないのだということがわかります。胡同のよさなど考えずに、ただ住んでいるだけではなんら保護にはならないということもよく理解できます。

それにしても、既にこれだけの胡同が失われてしまったというのは惜しいことです。

しかし、日本でもこういうシーンがありますよね。例えば、田舎へ行った都会の人が田園風景の中の道路を見て「素敵な風景なのに道路がアスファルトで舗装されているのが興醒め」と言うのに対し、現地の人が「雨が降ったらぬかるんで歩きにくい。われわれは舗装されて喜んでいるんだ」と言い返すような場面。一概に昔のままを残しておくことがよいのか、考えさせられます。なまじ便利な都会に住む人は自分たちの便利さを棚に上げて、田舎の人にばかり不自由さを押しつけがちです。

北京の再開発も、実際の胡同を見れば居住環境としては決してよいとは言えず、むしろ劣悪といってもいいような状態ですし、防災の面からも何かしらの対策が必要です。さらにはほぼ平屋ばかりの住宅が大都市の都心部の大きな面積を占めているというのは、観光客の来訪や人口の流入を捌くにはあまりにも非効率きわまりないことは誰にでも理解できることだと思います。

なら、どうすればよいのか、よかったのか。簡単に答えの出る問題ではありませんが、時々ヨーロッパなどの都市にある、旧市街と新市街のように、歴史的景観を残した旧市街はそのままに、都市開発はその周辺に新たな場所を見つけてやるという方法もあるのかな、とも思います。

2015年4月29日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー