人文会の研修旅行で愛知・岐阜・三重の三県を水木金の三日間かけて回ってきました。各社名古屋地区は頻繁に出張で訪れているでしょうが、岐阜や三重はなかなか足を運んでいない出版社も多いようで、かくいうあたしの勤務先も訪問はご無沙汰の地区です。なので、こういう機会に行ってみようと思い、名古屋地区は少し駆け足で回り、岐阜、そして三重を回った次第。
行程としては、まずは豊橋に立ち寄って、それから名古屋市内へ。初日は名古屋に泊まって二日目は木曽川、岐阜、大垣といった町を巡って岐阜泊まり。最終日は岐阜からいったん名古屋へ戻り、近鉄線に乗り換えて四日市と津を回って帰京、というものでした。
肝心の岐阜や三重がどうだったのか? 大都市・名古屋が近いということもあり、客を名古屋に奪われているのは書店に限らないようです。特に三省堂の新規店がオープンした名古屋駅のビルへ、今のところ客足が向いているようです。この傾向は岐阜や三重だけでなく、同じ名古屋市内の栄についても言えそうです。客足は名駅へ流れているという話を複数で耳にしました。
それにしても、地方都市(名古屋クラスを地方都市と呼んでよいのでしょうか?)はかつての繁華街がさびれ、郊外のショッピングモールに人が集まっていると言われるようになって久しいです。特に地方になればなるほどクルマ社会ですので、道が狭く駐車場もない旧繁華街よりは郊外へという流れになっていました。
しかし、新幹線が通っているところでは、JRが駅ビルを作り、そこに人が集まるようになり、また客の流れが変わっているのをここ数年感じるようになりました。札幌も大通よりもこの数年は札幌駅の方が賑わっています。新幹線が開通した金沢も駅の賑わいは東京のターミナルのようでした。そして名古屋も名駅が一人勝ちになっているかのようです。モールもがらんとしているところが目に付きますね。
岐阜や三重に関しては、高校まではそれなりに学生もいますし、大学もあるので、そこへ通う学生も地元を中心にいるようです。でも彼らがずーっとそこにいるのかというと、大学を卒業すると名古屋や東京・大阪へ出て行ってしまう、という傾向が強いようです。若者が残っても仕事がないということなのでしょうか? 確かに駅前ですら寂しさを感じるところが多々ありました。若者が住んでいないと、やはり活気に乏しくなるものです。
訪れたのが岐阜や大垣、四日市、津といった県内でもそれなりの都市でしたからまだマシな方で、電車の車窓から眺めただけの途中駅では、本当に人っ子一人いなさそうなところばかりでした。もちろん上述のようにクルマ社会ですから、JRなどの駅前だけで判断してはいけないのでしょうが……
ところで、タイトルは「濃尾」としましたが、三重を加えた場合は何と呼んだよいのでしょうか? 伊勢をどうくっつけたらよいのでしょう?