昨日が見本出しだった新刊の『続・寂聴伝』ですが、副題として「拈華微笑」という四文字が付いています。
と、その前に前著について少々。
前著は、タイトルもそのものズバリ『寂聴伝』ですが、こちらはあたしの勤務先から単行本が出た後、数年後に小学館文庫として生まれ変わりました。まあ、よくある「文庫化」というものです。
しかし今回、「続」が出るという段階で小学館文庫の『寂聴伝』はなんと品切れ! それに対し、文庫版が出た後も細々と在庫を維持していた単行本の方はまだ在庫ありです。この機会に寂聴さんの人生を読んでみようという方、ちょっと分厚くてお高いと感じるかも知れませんが、それだけ読みごたえのある二冊ですので、是非どうぞ。
さて、最初に書いた「拈華微笑」です。
そもそも、この四文字、読めますか? スラッと読める人は少ないでしょうね。「ねんげみしょう」と読みます。
では、意味は?
これも、知っている人は少ないでしょう。と言うよりも、知っている人なんてほとんどいないのではないでしょうか? とりあえずお手軽なウィキペディアで調べてみますと
インドの霊鷲山(グリドラクータ)上で釈尊が黙って華を拈(ひね)ったところ、大衆はその意味を理解することができなかったが、迦葉尊者だけがその意味を理解して破顔微笑したため、迦葉に禅の法門を伝えたという。
とあります。まあ、寂聴さんだし、仏教に関わる故事から生まれた四字熟語だろうというのは予想できた方も多いと思いますが、上掲のようなことに由来する言葉です。
で、自慢するわけではありませんが、否、これはちょっとくらいは自慢してもいいでしょうか、あたし、この来歴、知っていました。「迦葉(か・しょう)」の名前こそ思い出せませんでしたが、釈迦がお花を手に示したら微笑んで理解できていることを示した弟子が一人だけいた、といった故事を知っていたのです。
なんでそんなこと知っていたの? と問われますと、学生時代、今は亡き小松茂美先生の仕事のお手伝いをしていた時期がありまして、その時に仏教書などに触れる機会が多々あり、このエピソードを知ったのです。たぶん『無門関』あたりに出ていたのではなかったか、そんなうろ覚えですが、とにかくこのエピソードは覚えていました。
学問というのはどこで役に立つかわかりませんね。