選挙ポスターを見ていて新刊の配本について考えました

東京は都知事選の真っ最中です。こんどの日曜日が投票です。東京以外の地区ではニュースでどのように扱われているのかわかりませんが、東京ではニュースはもっぱら主要三候補しか取り上げていないといっても過言ではありません。テレビの番組では三候補の同性を扱った後に、申し訳程度に「この他にご覧の方々が立候補しております」と名前と小さな顔写真が一覧となって画面に表示されるだけです。

うーん、この扱い、公平・公正な選挙という点で問題ないのでしょうかね? ちょっと疑問です。

で、上の写真は、あたしの自宅の近所の掲示板です。これだけ枠があるのに、ポスターが貼ってあるのは8名だけです。これでも告示日から少したっているので増えた方です。

そして、上の写真は、あたしの勤務先の近所の掲示板です。13名のポスターが貼ってあります。まだ余白が残っているとはいえ、わが家の近所の掲示板と比べるとずいぶん多いです。

実際に投票するときに、こんなポスター一枚で投票先を決めるわけではありませんが、それでも待ちのところどころに貼ってあるポスターは視覚効果の上でもそれなりの影響があると思います。しかし、あたしのように都内をいろいろ移動している者はこうして違いを知ることもできますが、わが家の近所に住むお年寄りで、滅多に遠出もしないような人だと、上の写真の8名以外の立候補者を知ることもなく終わってしまう可能性もあります。

うーん、これでよいのか?

しかし、考えてみますと、この掲示板、都内だけでどれくらいあるのでしょう? 仮に1万か所あったとします。そうすると、ポスターは1万枚用意しないとならないわけですし、その1万枚のポスターを1万か所に貼りに行かないとならないわけですよね。これはお金も人手もかかります。資金力のない候補ではそんなことできません。

となると、まるっきりポスターを作らないか、5000枚とか、3000枚とか、1000枚とか、用意できるお金と人手に応じて準備するわけで、限られたポスターをどこに貼るかといえば、できるだけ人目につく場所、都心や郊外なら駅前などになると思います。逆に言えば、住民しか通らないような郊外の住宅街には貼られない、貼りに来ない、ということになります。

と考えたら、新刊書籍の配本のことを思い出しました。

例えば、文庫や新書。毎月、レーベルによって異なりますが、新聞などの広告を見ていると大手の文庫は月に8点くらいは出ています。しかし、全国の書店にくまなく届けられるほどの部数を作っているわけではありません。出版社にだって予算ってものがありますから、過去のデータと突き合わせ、このくらいの部数は売れるだろうと予想を立て、それに応じて作るわけです。

となると、限りある新刊の文庫はどういう書店に届くのか?

選挙ポスターと同じです。人口が多い都会の、なおかつお客さんが多い都心の大型店を中心に配本されるわけです。人口の少ない地方の、あまりお客も来ないような小さな書店には、待てど暮らせど届くことはないのです。都心と郊外の、選挙ポスターの枚数の差を目にするたびに、そんなことを考えます。

都知事選のように、都内のどこへ行っても同じポスターが貼られる選挙なので。こういうことに気づきましたが、区や市によって選挙区が異なり、立候補している候補者も異なるような選挙ですと、わが家の近所の掲示板と都心の掲示板との差には気づかなかったでしょう。