迷子札

二年前に行方不明になった少女が東中野で保護された事件が少し前にありました。犯人はたまたま目にした少女の後を付けて自宅を確認し、表札か何かで少女の名前を確認していた、というようなことが報道されていました。事件発生時、自分の名前を呼ばれたので少女も何も疑わず、犯人の言うことを信じてしまったということです。

この事件も典型的ですが、最近は子供の持ち物に名前を書かない、名札を胸に付けない、付けたとしても裏返し、あるいは蓋付きの名札を使用する、といった対策が採られていると聞きました。

たまたま先日遊びに来ていた妹家族。小3、小1、年長という子供を抱えているのですが、人目に付くところに名前を書かないようにしていると妹は言っていました。幼稚園などの道具にはお母さんが夜鍋して名前を付けるのが習慣のようになっていますが、それもパッと見えるところには付けなくなっているようです。

時代は変わった。いまの日本ってそんなに物騒なのか、と思います。「昔はよかった」と主張するつもりはありませんし、かつては隣近所の目があったから、それが防犯にも役立っていた、という意見に頷く点もありますが、見知らぬ人がうろうろしていたら目立ってしまうほど閉鎖的で窮屈な地縁社会を徐々に解体していったのが今の日本ですから、こういう犯罪が起きやすくなるのももっともでしょう。

それにしても、あたしが子供のころ、あたしも、そして上に登場した妹も首から「迷子札」をぶら下げていました。「迷子札」は「まいごふだ」です。最近の若い人には何のことかさっぱりわからないと思いますが、自分の名前と住所、電話番号が書いてあったと記憶しています。

つまり家族で出かけて万が一あたしや妹が迷子になった場合、たぶんあたしたちは親とはぐれて泣いているであろうと思われますが、そんなあたしを見つけた見ず知らずの大人たちが、あたしが首からぶら下げている迷子札を見て、わが家に電話をしてくる、あるいは連れてきてくれる、デパートなどの中ならば館内放送を流してくれる、といったことができるための切り札だったのです。子供は泣き出してしまったら、いくら尋ねても自分の名前を言えなくなってしまうものです。それでも迷子札があればかなり安心、というわけです。

あの当時、誰も迷子札から誘拐だとか、そういった犯罪が引き起こされるなんて思ってもいなかった時代です。いつから変わってしまったのかと思います。

ちなみに「迷子札」をネットで検索すると、昨今は人間の子供ではなく、ペット用が主流なんですね。まあ、ある意味、幼児は動物と変わらないですから、用途としては正しいのでしょうけど。