やどかり[寄居蟹]

昨晩は下北沢のB&Bで、『台湾生まれ 日本語育ち』の刊行を記念した、温又柔さんと管啓次郎さんのトークイベントでした。本書の後半は、温さんと管さんが台湾を訪れた旅行記がメインとなっていますので、既に本を読まれた方には特に興味深いイベントではなかったでしょうか?

 

さて冒頭、管さんは温さんの今回のエッセイや以前の小説『来福の家』について、一貫性を感じるとおっしゃると、温さんは自分はそれしか言えなくて、ずっと一つことだけを書いてきたと返していました。では温さんがずっと拘ってきたものは何か。それはやはり言葉です。自分が幼少のころに学んだのではなく自然と身につけた、話し言葉としての台湾語。おしゃべりが好きだった温さんが、自分のしゃべった言葉を書き留めておくことができると気づいた文字との出逢い。しかし、温さんが自分の言葉を書き記すために覚えたのは台湾の注韻字母ではなく、日本の平仮名であったこと。そんなところの葛藤が出発点になっているようでした。

温さんは成長するにつれ中国語は忘れ日本語話者となっていきます。5歳の時に来日した温さんは、その時点では中国語をしゃべっていたわけで、まだ不自由な日本語をテレビアニメ、特にドラえもんで覚えたそうです。そして自然とに身につけた日本語が温さんにとってはほぼ母語であるに対し、温さんのご両親にとっては紛れもなく外国語であったわけです。しかし、温さんの祖父母の世代になりますと、日本統治時代に日本語教育を受けた世代になりますので、時に温さんよりもはるかに流暢な日本語を話されるそうです。そんな多言語環境が温さんの家庭だそうです。

温さんは、日本で進学する中で改めて中国語を学ぶようになります。中国語を取り戻そうと意図したものの、温さん曰く「取り戻し損なった」そうです。それは学んだ中国語が自分の話していた中国語とは異なっていたからというのが大きな理由でもあるそうです。恐らく温さんの家庭では台湾語であるのに対し、日本の学校教育で教授される中国語は大陸の標準語ですが、津軽弁を取り戻そうと思って日本語教室にいったらNHKのアナウンサーが話すような標準語を教えられた、みたいなものでしょう。

大学進学後の温さんは、リービ英雄さんや管さんとの邂逅を経て、このような自分のおかれた言語環境に関する興味をますます深め、それを今回のエッセイなどのような文章にまとめています。今回のイベントでは対談相手が管さんなので、リービさんではなく管さんとの関わりを中心に話していましたが、管さんがアメリカ留学時代に、アメリカ文学にスペイン語を交える動きが流行りだし、管さんも自然とそういう文学に親しんだとのこと。日本語では、まだまだ文章の中に他の言語を交えて書くということが一般的になっていませんが、アメリカでは英語の中にスペイン語が混じる文学作品がどんどん生まれていったそうです。

そのような流れから、サンドラ・シスネロスや李良枝(イ・ヤンジ)鷺沢萠などの名前が挙がりました。こういう作家たちを知ることで温さんは自分の日本語の無邪気さに気づかされたと言います。そして言葉に対するこだわり、自分のアイデンティティに対する探求などが始まったようです。言葉に拘るというのは、アメリカにおけるヒスパニック系のようにマイノリティなればこその視点、気づきでしょう。

といった話題から一転、後半は、会場でもリーフレットを配布しましたが温さんの「台湾総統選挙を終えて」という文章をベースに、先ごろ行なわれた台湾総統選挙へ温さんが投票しに行ったことについて語られました。8年前に選挙の時に自分にも投票権があることを知った温さん。4年前の選挙では資格を満たさず(2年以内に台湾を訪れているか否か)選挙ができず、今回ようやく投票ができたそうです。

ニュースなどでも盛り上がり、かなり熱くなっていた台湾総統選挙。実際に投票してみて温さんは終わった後に寂しさを感じたそうです。資格を満たしているというだけで、自分にとってほとんど外国に近い台湾の選挙に参加できるという不思議、投票という権力を行使できるのに感じてしまう国籍のひずみ、なによりもこの総統選挙を伝えるニュースを日本語で読み、日本語で聴き、日本語で理解している自分はなぜ投票できるのかという自問。

いろいろ考えるところがあったようですが、それは上記のリンクからどうぞ。

さて、最後に『台湾生まれ 日本語育ち』のカバーにも使われているヤドカリの話題。他書のフィクションが混じっていますが、温さんの家庭でのエピソード。妹さんにこれは何かと問われ、「ヤドカリ」と答えた温さん。さらに「中国語では何と言うのか?」と問われるも答えられず、母に助けを求めます。お母さんは「ジージューシエ」と答えます。さらに妹に「どんな字を書くの?」と聞かれても答えられないお母さんに代わりお父さんが「寄居蟹」だと教えてくれます。そんなやりとりを通じ温さんは自分の言葉について考えているようでした。