まずは以下の文章。
十年のあいだで、お金と地位と名声さえあれば、美しくない女でもそれなりに気持ちよく生きていけることを学んだ。美しい女じゃなきゃ連れて行ってもらえないようなお店。美しい女じゃなきゃ着られないような服。美しい女じゃなきゃ与えてもらえないような賞賛。それらはすべて自分の名前とお金で買えた。本当は醜いくらいに焼け爛れていた恋心を理性の沼に沈めて殺し、夫の信也も同じようにして手に入れた。代わりに、何かを失った。たぶんすごく大切なものだった。でも今の私にはそれがなんだったのか思い出せない。(P.114)
『帝国の女』の一節です。
あたしは「お金さえあれば何でも手に入る」という意見には賛成です。「何でも」というのが言いすぎであることもわかっています。お金では決して買えないものがあることはわかっています。
しかし、幸せのうち8割、否、9割方はお金があれば手に入るとも思います。幸せのうち、それだけ手に入れば、残りの1割かそこら手に入らなくても、誰を恨むことがありましょうか? もう十分です。100パーセント手に入れようなんて贅沢の極みです。
だから、上の引用の中の後半部分、「大切なもの」を失ったという感覚はわかりません。いや、金も名声も地位もないあたしには、すべてがわからないのですが、なんとか創造力を総動員して考えても、「別にそれだけ手に入ったのなら、多少失ったものがあったっていいじゃない」と思います。
なおかつ、お金によって手に入れられるものはお金さえあれば確実に手に入りますが、お金では手に入らないものというのは、他の手段によって必ず手に入れることが出来るのかと言えば、そうとは限りません。そんなあやふやなものに血眼になるのであれば、お金で確実に手に入れられるものをコツコツと増やしていった方がよほどよいのではないか、あたしはそう考えるのです。
そして、お金も地位も名声も持っていないあたしは、人生において何かを手に入れたという実感をまるで味わうことなく一生を終えるのだと思います。