小さい言葉

日曜日のお昼、場所は下北沢のB&B、こちらでキルメン・ウリベさんと今福龍太さんのトークイベントがありましたので行って来ました。ご覧のように会場は満席。スペイン語ができる方も大勢いらっしゃっていたようで、終わった後のサイン会でもウリベさんとスペイン語で会話をされている方が多数いらっしゃいました。

では以下に、あたしが聞き取って書き取ったメモから、今回イベントの感想を……

今回は新作『ムシェ 小さな英雄の物語』のプロモーションで来日されたわけですが、来日直前には訪中もされていますので、東アジア歴訪と言うべきでしょうか?

さて、この作品の舞台はベルギーで、ウリベさんの故郷のバスクではありません。バスクも作品中ではほとんど出てこないと言っても過言ではありません。しかし、本作品はバスク語で書かれる必然性があったとのこと。それは作品の内容が、政治的な抑圧からヨーロッパへ疎開せざるを得なかったバスクの子供たちを描いたものであるからだそうです。

三年前にアメリカのサウサリートで本書の第一稿を書き上げたころ、今福さんからある本が送られてきたそうです。ウリベさんがサウサリートで住んでいたのは元の軍事施設を改装したレジデンスで、そんなところで第二次世界大戦にまつわる作品を書いていたときに日本から届いた本が原爆に関する本だったそうです。サウサリートの海の先には日本がある、そんなことを思い、サウサリートでこの作品を書き上げることには必然性があったと思ったそうです。

『ムシェ』は、その直前に亡くなったウリベさんの友達から書いて欲しいと頼まれていた作品で、その友達に捧げた作品でもあり、友達を亡くすという自身の心の痛みを癒す作業でもあったそうです。ですから、この作品は友達と自分との関係を描いている作品でもあり、主人公のムシェの人生はウリベさんの人生の投影でもあるそうです。このように現実を語るためにフィクションという手法を使うのがウリベさんの作品作りなんだとのこと。

ウリベさん曰く、作者は謙虚であるべきだ、人に話すよりも人の言葉を聞くべきであり、作品を多く書くよりも作品を多く読むべきだと。そして作者自身が作品の中に入っていって作者自身の感情を描き、そして作品を描くということが作者にどう跳ね返ってくるのか。

主人公ムシェには、ウリベさんがそうあって欲しいヨーロッパ、つまり外からのものを受け入れる成熟したヨーロッパを描いたものであるそうです。そしてムシェの妻がひたすら手紙を書きつづけるのは、書くことが記憶すること、そして忘れないことだからだそうです。それはつまり日本人が原爆について語り継いでいることと同じではないかと。

世界とは多様性に満ちていて、同じであること均質であることは退屈だとも述べられました。このあたりの意識、意見は画一化に向かっているような昨今の社会、世界に向けたウリベさんなりの警鐘だと思われます。

さて、バスク語は庶民の言葉であって、偉大な世界文学を生み出してきたわけではなく、文学史の中で恥ずかしい肩身の狭い言葉だそうですが、しかしそういうところも含めありのままを受け入れるべきであり、否定もしなければ捨てたりもしない、ウリベさん自身も決して恵まれた家庭に育ったわけではないので、それも相俟って弱者への眼差しを育んだという自己分析。最後に「木と魚は似ている」という印象的な話とバスク語による自作の詩の朗読でイベントは終わりました。

 

 

で、あたしも『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』と『ムシェ』にサインをいただきました。

 

ところで、B&Bでこんな本を見つけたので買ってしまいました。『馬馬虎虎 vol.01 気づけば台湾』と言います。

会場に、近々『台湾生まれ 日本語育ち』を上梓される温又柔さんがいらっしゃっていたからか、あるいは今朝の朝日新聞読書面の台湾の記事が頭に残っていたからでしょうか?