小説だけでなく……そして、全集とかシリーズとかコレクションとか

今朝の朝日新聞読書欄で蜂飼耳さんが『歩道橋の魔術師』を紹介してくれました。

 

ちょうど増刷が出来上がるタイミングなので絶妙なタイミングとなりました。

さて、この蜂飼さんの評を読んでどのような感想を持たれたでしょうか? あたしが既に本書を読んでいるからかも知れませんが、この作品は小説というよりも詩のような、あるいはポートレートのような作品ではないか、という印象を受けました。

でもこのあたしの感想は、多分に先入観が入っていると思います。まずは蜂飼さんが詩人だということ、少し前に読んだボラーニョの『アメリカ大陸のナチ文学』以来、小説家と詩との関係を、なんとなく薄ぼんやりと考えているからです。そして、何よりも著者の呉明益さんが小説家の枠には収まらない活動をしていることを知ったからだと思います。

上のイラストは『歩道橋の魔術師』のカバーにも使っている中華商場のイラストです。先日行なわれた、呉明益さんの来日トークイベントの会場で配布されたもので、なんと呉さんみずから描いたものです。はい、そうなんです。呉さんは、イラストも巧みなんです。これは素人が描けるレベルではないと思います。

そして呉さんは写真家でもあります。呉さんの活動についてはこちらのページをご覧いただくとして、台湾では写真集も出している方なのです。上述のイベント会場で写真集(原書)が会場で紹介、回覧されましたが、なかなか味わいのある、静謐な写真でした。呉さんのフェイスブックもありますが、こちらも文字だけでなく、写真がよく登場しています。

そんなこんな周辺情報があったので、今日の書評を読んで、小説以外のことにまで連想が広がったのではないかと思います。

さて、そんな本日の朝日新聞に載っていた記事がこちら(↓)です。

いま文学全集がブームになりつつあるとか。本当でしょうか? 確かに記事にあるように、河出書房の「日本文学全集」がそれなりに売れている、否、この出版不況と言われている状況下では異例の大ヒットと言ってもよい売れ方をしているのは認めます。河出書房はこの前にも「世界文学全集」をヒットさせていますから、ある程度このような全集に対する需要をつかんでいたのでしょう。

記事にある中公の「谷崎潤一郎全集」がどのくらい売れているのかはまだわかりませんが、書店ではかなり大きく展開しているのが目につきますから、それなりに関心は持たれているのでしょうし、売れもしているのでしょう。

しかし、まだブームと呼ぶには時期尚早ではあるでしょう。ただ、かつての全集ブームから時代が一回りして、たとえば図書館などでも新しいものに買い換えたい、当時の全集を買えなかった、買いそびれた世代が改めて買いたくなっている、という時代背景があるのではないか、そう思います。「大部なものは手軽な電子で」という動きもあるものの、一方で装丁にも凝った書籍は、そのもの自体として手元に置いておきたいという欲求を生むものです。電子ではできないところをうまく掬えれば、まだまだ紙の本の優位は揺るがないのではないでしょう?

ところで、これを全集と呼んでよいのかどうかわかりませんが、考えてみれば、新潮社の「クレスト・ブックス」もシリーズとして海外文学ファンにしっかりと根付いていますし、それなりに売れていると思います。単行本ではありませんが、光文社の「古典新訳文庫」も大ヒットシリーズで、昨今の新訳ブーム、それこそ上述の河出の「全集」の魁となったものではないでしょうか?

そして、手前味噌ですが、あたしの勤務先の「エクス・リブリス」も海外文学のシリーズとして、「クレスト」とはまた異なるテイストで多くのファンを捕まえることができたと自負しております。最初に戻るようですが、特に『歩道橋の魔術師』などでそれを感じます。そして「ボラーニョ・コレクション」も、こちらはシリーズと呼ぶのも憚られる、まだ4冊しか刊行されていないコレクションですが、これもお陰様でヒットしているので、出版不況とは言え、まだまだやりようはあるのかな、という気がします。

あとは、どうなのでしょう? こういう風に全集とかシリーズと銘打たれると、コンプリートしたくなる欲求が生まれてしまうのでしょうか? だから一冊買うと次も次もとなってしまうような……。それは虫がよすぎる考えでしょうかね?