いつまで越え続けるのか?

今朝の朝日新聞に「歴史の傷、文学で越える 日中韓の作家がフォーラム」という記事が載っていました。

少し改善の兆しが見えてきましたが、相変わらずギクシャクしている東アジア三か国の政治情勢。欧米各国、特にアメリカから見たら「お前ら、いつまでそんな幼稚なケンカを続けているんだ、もっと大人になれ!」という感じなのでしょうが、感情的にこじれている感もあるので、そう簡単には三か国とも譲れないところではないでしょうか。

で、6月に北京で開かれたこのシンポ。文学の力で、そんな三か国のわだかまりをなんとかしようという取り組みなわけですね。

そういった文学者の行動はすばらしいと思うものの、このところお陰様で『歩道橋の魔術師』の売れ行きがよい状況を見るにつけ、ちょっと違うのかな、という感じもします。

別に、こういったシンポジウムを否定的に見ているわけではありません。これからも大いにやるべきだと思うのです。ただ、もっと若い世代を取り込もうと思ったときに、いつまでも「歴史の傷を越える」といったお題目を唱えているのはどうなのか、という気もするのです。

もちろん、東アジアの近現代史をきちんと知っておかなければならないのは当然です。でも、そこに囚われすぎてばかりいるというのもどうなのだろうか、という思いもあるのです。

いや、『歩道橋の魔術師』が売れていると言っても台湾の作品でしょ? 台湾は親日的だから……といった短絡的な言説に組みするつもりはありません。台湾の人の微笑みの下に日本人に対する複雑な思いがあるのはあたしなりに理解しているつもりです。ただ、『歩道橋の魔術師』や韓国の『カステラ』などを読むと、そこには苦難の歴史も、日本軍の蛮行も一切出てこないのです。そんな東アジアの歴史を知らなくても楽しめるし味わえる作品なんです。だからこそ売れたんだし、支持されたんだのではないかと思うのです。

そういう流れも、出版社として作っていかなければならないのかな、そんな大それたことできるのかという不安はありますが、少しでも楽しんでもらえる作品を翻訳して紹介できれば、とは思います。