通勤電車の中で本を読んでいる人がめっきり減りました。ジャンプなどのマンガを読んでいる人も含めて減ったと感じます。そして通勤電車の風物詩、見事に縦折りした新聞紙を熱心に読んでいるサラリーマンも。
では、みんな電車の中で何をしているのかと言えば、あたしが指摘するまでもなく、みんなスマホをいじってます。サラリーマンなどはタブレットやスマホで新聞を読んでいる人もいるようです。またやや画面の大きいスマホですと本を読んでいる人もたまに見かけます。しかし、圧倒的多数はゲームをしています。それも結構年配の人でもゲームをやっているんですよね。それにちょっと驚いている昨今です。
さて、かつてはウォークマン、この十年くらいならiPodで音楽を聴いている人も多かったですが、徐々にスマホに取って代わられているようです。スマホでも音楽を聴けるわけですから、わざわざスマホも持ってiPodも持って、なんて面倒なことはしたくないのでしょう。でも、スマホのバッテリー持続時間とiPodの持続時間はかなり異なると思いますし、ましてやそのスマホで音楽を聴いたりしていたら、さらにバッテリーの持ちは悪くなるでしょう。それでも、スマホで音楽という人、増えていますね。
だからなのでしょう。このところ音楽のネット配信のニュースが多くなったように思います。これまでのように一曲いくらで自分のスマホにダウンロードするのではなく、月額いくらで聞き放題、ただしすべてストリーミング再生のみでダウンロードはできない、というタイプです。(山の中とか、電波の届かないところだと聴けないのですよね?)
これで日本の音楽シーンがガラッと変わるのか? 日本は独特のCD文化があると言われているので数年後のことはわかりませんが、ストリーミングだけになると、CDと一緒に購入する握手会券などはどうなってしまうのでしょう? AKB商法の大ピンチなのでしょうか?
個人的には、たまにCDを買うくらいで、後はそれをずっと聴いていることが多いので、月額定額聞き放題と言われても、そもそもそんなにCDを買ってないし、と言い返したくなります。それでも「LINE MUSIC」などのサービスを聞くにつけ違和感も感じます。別に反対しているのではありません。疑問と言った方がよいでしょうか?
まず、どれだけの楽曲が提供されるのか? 徐々に増えるのでしょうけど、お気に入りの歌手の楽曲がなかったらまるで意味がないですよね? あと、自分なりのプレイリストは作れるのでしょうけど、それを他人にも提供できるのでしょうか?
自分なりのプレイリスト、つまりは「マイ・フェイバリット・ソングズ」です。
あたしの世代ですと、そもそもがアナログレコードの時代です。好きな歌手のアルバムが数枚たまると、そこからお気に入りの曲だけをセレクトしてカセットテープにダビングして、「マイ・フェイバリット・ソングズ」を作ったものです。それを好きな子にプレゼントする、なんて甘酸っぱい昭和の想い出はあたしには無縁ですが、自分で聴くためには作ったことはあります。
そもそも、かつてのレコードの場合、アルバムはA面5曲、B面5曲の10曲で構成されていることがほとんどでした。長めの曲があると片面が4曲なんていうこともざらでした。そして歌手の人たちはA面とB面の楽曲、その順番にこだわったものです。A面は明るい曲やノリのよい曲、B面はしっとりとしたバラード中心、といった構成にしたりして、特にA面5曲目やB面1曲目には名曲が置かれることが多かったものです。
それがCDになり、A面、B面という情緒がなくなり、曲数も十数曲が当たり前になり、レコード時代のよさは完全に失われました。CDからiPodなどに取り込んで、更に独自のプレイリストを作ることは可能ですが、レコードを裏返したり、他のレコードをセットして針を落とす、そういう体を使った作業がなくなった分、プレイリストはプレイリストであって、フェイバリット・ソングズではない、という気がしてしまいます。
もちろん昔はよかったとばかり主張するつもりはありません。現在の非常に手軽な音楽事情もそれはそれで享受しているので文句はありません。ただ、思い入れとか気持ちとか、そういったものは同じではない、同じであるはずがない、とは思います。