天才の習慣

有村架純主演の映画「ビリギャル」ですが、書籍も相変わらず売れているのでしょうね。はい、『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』のことです。

ただ、この類いの本って昔からありますよね。「学校一の落ちこぼれが……」とか、「地域ナンバーのワルが……」といった話です。元暴走族が弁護士になったとか教師になったとか、実は掃いて捨てるほどあるのではないでしょうか?

あたし自身、出版業界にいる人間として、なにはともあれ本が売れてくれるのは嬉しいことですし、売れる本が出てくるのも好ましいことだと思っています。ただ、個人的な感想を言えと言われたら、こういう本がもてはやされる風潮って好きではありません。

ダメだった子が努力して頑張って、最後に夢をつかんだというストーリー、確かに清々しくて、キラキラしていて、嬉しい気持ちになるのかも知れません。

でも、あたしは思うのです。そんな落ちこぼれが頑張るのをもてはやす前に、普段から地味だけどきちんと努力して、そこそこの成績を収めている人をもっと称えるべきではないのか、と。東大に合格するのだって、弁護士になるのだって、医者になるのだって、普段から地道に努力して、決して目立つようなことはなかったけれど、目標に向かってしっかり努力を続けてきて、その結果として目標を実現する、それが大多数の人だと思います。そういう普通の人をもっと褒めてあげるべきではないかと、あたしは思うのです。

普通の人をもっと褒めてあげないと、普通に努力することがバカらしくなってしまいます。そういう風潮が一番怖い、そう思います。しかし、世の中の人は、そんなつまらない努力、地味で目立たないこと、華々しさに欠けるストーリーには興味ないんですよね。本屋映画もヒットしないでしょうし。

たぶん、そういう劇的なことが好きだからなのでしょうか。最近はこういう本も売れているみたいです。

 

天才たちの日課』、そして『偉大なる失敗』です。天才と呼ばれた人々が何をしていたか、それがつまらない習慣だろうと失敗談だろうと、最後は天才としての栄光に結びついたのだと考えて、それを参考にしようと思うのでしょう。書かれている内容が劇的かどうかはともかく、そして彼らの生涯が劇的であったかもおくとして、やはり天才と呼ばれる人、つまり普通ではない人に憧れる気持ちがあるのでしょう。

だったら、こんな本、痛快で面白いと思うのですが。

バンヴァードの阿房宮』です。サブタイトルは「世界を変えなかった十三人」、「大きな夢と才能を持ちながら歴史に名を残せなかった人々」の物語、つまりは失敗者列伝です。成功した人よりも失敗した人に学ぶことの方が多いのではないでしょうか? この本は笑えますし、涙も誘われます。