息子は別人?

民のいない神』読了。帯にはピンチョンやデリーロの名前が載っていますが、あたしはどちらも読んだことがありませんので、比較はできません。

で、本書です。いくつかの時代を行ったり来たりしますが、基本となるのは現代の話で、アメリカで暮らすシク教徒のジャズとユダヤ人のリサ夫婦、それに二人の自閉症の子供ラージ。ラージの症状に苦しみながら、そしてお互いの文化的背景に苦労しながらも二人は比較的うまくやっていました。むしろ彼らの家族、親戚が問題の原因と言えます。そんな三人家族がアメリカ西部の砂漠に旅行にやってきます。そこにあるのがピナクル・ロックという、三つの岩が山のように天に突き出している場所。ここで二人がラージから目を離したすきにラージは行方不明となってしまいます。自閉症の子供の神隠し、行方は杳として知れず、夫婦は悲劇の主人公としてマスコミに取り上げられます。

が、じきに状況は一変。二人が息子を殺したのだという疑惑がマスコミによって広められ、精神的に追い詰められていきます。そんなボロボロの生活が数ヶ月続いたころ、突然ラージが見つかったという警察からの連絡が入ります。安堵する二人ですが、戻ってきた息子はかつての自閉症がすっかり治っているかのような雰囲気です。どうして失踪したのか、失踪中はどこにいたのか、どのように暮らしていたのか、そして自閉症が治ったかのように見えるのはなぜなのか?

こういった疑問が残されたまま夫婦はラージを伴って、再びピナクル・ロックへと向かいます。このピナクル・ロックにまつわるサイドストーリーが、ジャズとリサ夫婦のストーリーの間に挟み込まれます。そこはかつてカルト的な集団の聖地としてヒッピーのような連中が居着いていたりした場所でもあったのです。そんな連中の残党がジャズたちと少しずつ関わりを持ち、ラージの失踪にも関わっているようで……

さて、結局、結末はどうなっているのでしょう? ピナクル・ロックはやはり何か特殊な力を持った場所、磁場か何かなのでしょうか? そうでないと、これだけの人の人生を振り回した理由が説明できません。そして、そうであれば、ラージの失踪などもなんとなく納得できますから。

ところで、作者はなんでこんな時代を行ったり来たりの作品を書いたのでしょう? いや、こういう構成を取る作品がまるでないわけではないですから、作者のオリジナルだというわけではありませんが、なんでこういう構成なのか? あたしなりに考えますに、このジャズ一家のストーリーが非常に現代的です。いかにも現代にありそうな、いや実際にこういった事件、事故は枚挙に暇がないほどあったでしょうし、こういうカルチャーギャップに苦しむ家族や夫婦、恋人の話もたくさんあります。なので、いかにも現代的であるのに実はとても陳腐でありきたりなんです。

しかし、この家族の事件の合間に挟み込まれるピナクル・ロックにまつわるストーリー。完全にシンクロはしないのですが、ジャズ一家に起きていることの伏線になっているかのようなストーリーだなと感じます。だとすると、そんな昔に、既に現代的な出来事が起きていたということになるのでしょうか? たぶん、そうではなく、昔も今も人間の営みってそんなに変わるものではない、そんなことを作者は描きたかったのか、そう思えてきました。そして、張り巡らしたように思われる伏線のほとんどが回収されない終わり方、昔も今も変わらないということは未來も変わらない、だからこれからもまだ同じようなことが続きますよ、という意味なのかな、と思いました。