人文書の「星座」

昨日のトークイベント、お題は「人文書の『星座』とブランド・イメージ~『ちくま学芸文庫』の経験から~」でした。筑摩書房社長の熊沢さんの入社当時や筑摩書房創業のころのエピソードを語る前半と、ちくま学芸文庫についての後半という一時間のトークでした。

まずは筑摩書房創業のころの話、概略はウィキペディアでもわかりますが……(汗)

創業者は古田晁で、長野出身、東京大学出の人物。彼が臼井吉見、中村光夫、唐木順三の三人をブレーンとして始めたそうです。臼井も吉田と同郷の東大出で日本文学を専門としており、唐木は京大出身で哲学・思想が専門、中村はフランスの文学や思想が専門。これが筑摩書房の出版ジャンルの三本柱となっていったそうです。最初に取り組んだ刊行物は中野重治の随筆抄、宇野浩二の文芸三昧、中村光夫のフロオベルとモウパッサンだったそうです。ちなみに中村光夫は宇野浩三の紹介で筑摩書房と関わりができたそうです。

 

さて筑摩書房創業に当たって古田は岩波書店の岩波茂雄、みすず書房の小尾俊人に相談をしていたそうです。その岩波書店は雑誌「世界」で一貫してリベラル左派の立場を維持し、みすず書房はメルロ=ポンティ、レヴィ=ストロース、アーレントなど1960年代から70年代にかけて非マルクス主義の立場の翻訳書を刊行して地歩を固めていたのに対し、筑摩書房は雑誌の「展望」が右も左も掲載する多様性を持っていたそうです。そして当時の流行もあるのでしょう、日本文学全集という大きな企画を成功させ、出版社としての経営も軌道に乗ったわけですが、全集のようなものは「編集もの」であって筑摩書房にはオリジナルの企画が少ないという弱みがあったようです。

そんな筑摩書房、倒産をくぐり抜け、ちくま学芸文庫を創刊します。重厚長大な全集の時代から文庫・新書を中心としたペーパーバックの時代へという変化もあり、ブランドイメージの転換を図ったようです。ただし学芸文庫に収録できそうな自社の人文系単行本は創刊から2年ほどするとストックがなくなり、文庫オリジナルや他社の単行本を文庫化する必要に迫られたようです。

この時、岩波文庫が既に古典と呼ばれる人文系を独占しているような状況で、ちくま学芸文庫の独自性を出さなければならなくなり、岩波文庫が手薄だった20世紀の作品を積極的に収録していく方針を立てたようです。その後の東西冷戦の崩壊など世界が大きく動いた20世紀を振り返る、20世紀クラシックスという文庫内レーベルを立ち上げハイデガーやアーレント、ベンヤミンなどを積極的に収録していったそうです。もちろん、当初はそれほど売れたわけではなかったようですが、20世紀の人文科学を俯瞰できるようなラインナップが徐々に形成されたいったそうです。

熊沢さんの意図としては、このような文庫は既にあるものの再集成にすぎないのかという問いに対し、沈殿していたものを新たな文脈に置き直す作業、新たな文脈を創り出す作業だと位置付けることだったそうです。そして取り上げた作品群を一覧すると何かしらの図柄を作っていき、それが夜空の星座に見えるようになってくるそうです。当時既に大哲学者として知られていたハイデガーと、まだ注目も少なかったアーレントなどを一緒に並べるというのは文庫レーベルだからこそできたことで、それぞれを単行本として刊行したのでは、そのような星座は見えてこないし、そのように見える読者の想像力をかき立てることもできないわけで、そこにちくま学芸文庫の意義があると考えているようです。