新刊の『潟湖』読了。
くどいようですが、「潟湖」と書いて「ラグーン」と読ませています。書店店頭にある検索機では「ラグーン」でヒットするのでしょうか? 少々不安です。ちなみに、白水社の本だから「ラグーン」と聞くと「フランス語?」と思ってしまいそうになりますが、歴とした英語です。LAGOONです。いや、フランス語由来の単語なのかどうか、そこまでは調べていませんが……
「ラグーン」を画像でググってみると、かなりきれいな写真がヒットします。これが「ラグーン」のイメージなのでしょうか? でも本書の「ラグーン」はこんなきれいな記憶とともに呼び起こされるものではないようです。ちなみに「潟」でググってみると、「潟」という日本語がキーワードだからでしょうか、写真も日本のばかりがヒットしますが、むしろ本書に登場するラグーンはこちらの写真の方がイメージに近いのではないでしょうか?
さて本書を読むまで、不勉強にしてジャネット・フレイムという作家を知りませんでした。ニュージーランドの作家なんですね。2004年に亡くなっています。本書は、著者の自伝的な短篇集とあるように、自身の幼少期から青年期くらいの想い出を淡々と綴った一冊です。
ふつう、こういった作品ですと「瑞々しい筆致で、美しい記憶を描いた」などと形容されるものが多いように思いますが、本書はそんなことはありません。精神病院に入っていたという著者の経歴からもわかるとおり、そして、そんな精神病院での様子を描いた篇が紛れ込んでいるように、この短篇集に描かれる記憶、想い出は決して美しいものではありません。ちょっと変わった子ども、なんかずれている子ども、決して快活でもなければ根暗でもない、素直とは言えないけどひねくれているというのともちょっと違う、そんな子どものイメージが立ち上がってきます。
また、子どものころの想い出を小説に仕立てると、美しい光景、楽しかった記憶ばかりになってしまったり、あるいは逆に苦しく辛い出来事ばかりになりがちですが、本書の場合、なんでもないようなひとこま、でも自分の記憶には鮮明に残っている日常の些細な情景が描かれているのが特色です。それでいて読む者にも非常に深い印象を残します。たぶん、そこに描かれた情景が、誰でも幼少のころに似たような体験をしたことがあるものだからではないでしょうか? 少なくともあたしにはそうでした。
さて、24の物語の中では「ドシー」と「宝」が個人的にとても印象深かったです。