香港のデモ騒ぎ、どういう形で収束するのでしょうか?
折からの、中国建国記念に伴う大型連休、デモのせいで大陸からの観光客が激減で観光産業を中心に不満が高まっているとも報道されています。またデモによる都市機能の麻痺で、日常生活に不便を来していることへの不満も香港市民の中にはあるようです。
でも、今回はどうなのでしょう?
確かに目の前の生活、はっきり言ってしまえば「お金」って大事ですけど、いまデモに参加している学生たちは、「今」だけでなく、自分たちの「将来」をも懸けて闘っているわけですよね。目先の経済だけで判断はできないと思います。もちろん支持している市民の中にも、自分たちの子供や孫の時代を考えればこそ、いまここで中国政府の言いなりになってはならないと考えているのではないでしょうか。
それにしても中国政府は「一国二制度」という国際的な約束をどう考えているのでしょう。香港の大陸復帰以来、少しずつ香港の「高度な自治」が骨抜きにされているような気がします。市民の中にも大陸から渡ってきて、大陸との良好な関係が自分の利益になる人も増えているのでしょうから、単純に多数決で決めたとしても、それが本当に生粋の香港人の意見なのかわかりません。
同じことはチベットや新疆でも言えるでしょう。漢族が多数移住してきて人口の過半を占めてしまえば、すべてを多数決で決められるようになります。それをもって「民主的な」決定と言われても、チベットの人やウイグルの人は「はい、そうですか」とはならないでしょう。
とにかく安定最優先の中国。日本人には人気のない江沢民時代よりも、実は胡錦濤時代の方が、更には現在の習近平時代の方が政治的な抑圧は強まっているようです。ここまで強権を振るうのは、自分たちの自信のなさの表われなのでしょう。これで経済が完全に失速して、分け合えるはずのパイが縮んでしまえば、弥縫策をいくら繰り出しても取り繕えないでしょうね。
さて、隣人として日本は何ができるのでしょうか? 学生時代に中国学を専攻していた身としては真摯に考えたいと思いますが、そう簡単に結論の出るものではありません。ただ、現在の日本の政界や広く国民全般に、「中国が混乱して、経済も失速し、崩壊すればいい気味だ」的な空気があるように感じられます。いや、あたしの思い過ごしで、そんな空気が無ければよいのですが、少なくとも、そういう考えは一番短絡的で慎まなければならない考えだと思います。
ちなみに、あたしは、中国というあれほど大きな国を動かして行くには、ある程度の強権発動はやむを得ないと思っています。周恩来ほどの人が、毛沢東の暴走をある程度許したのも、多少の瑕疵はあってもあの頃の中国を引っ張って行くには毛沢東というダイナモが必要だったと判断していたからではないかと思います。もちろん、行き過ぎはできるだけ避けたいですし、庶民の犠牲は最小限に収めたいとも思います。ただ、中国という国は、極端に振れたとしても、またそれを押し戻す懐の深さも持っている国で、端から見るとあまりにもエネルギーの浪費にしかならない右往左往を繰り返しながらも、遅々としつつも前へ進んでいることは確かなのだと思います。