プラハは行ったことはないのですが……

Uブックスの新刊『ウッツ男爵』を読んでいます。いよいよ物語は佳境に入ったところです。面白いです。

ところで、この作品の舞台はプラハです。プラハというと、もちろん行ったことはない街ですが、このところ『ゴーレム』や『もうひとつの街』といった、プラハを舞台にした小説を続けざまに読んで、あたしなりに思い描くイメージというのがありました。それは陰鬱です。それ以外に言葉は見つからないというくらいに陰鬱という言葉がピッタリです。

 

しかし、『ウッツ男爵』は若干テイストが異なります。確かに陰鬱の片鱗は時折顔を覗かせますが、どちらかというと、もう少しカラッとしたイメージが浮かび上がってきます。もちろん、太陽がさんさんと降り注ぐような晴れやかさはありません。やはり曇り空、曇天の似合う街というイメージが崩れることはありません。池内紀さんの訳文のなせる業なのか、ウッツ男爵の飄々としたイメージがそうさせるのか……

で、ググってみました。「プラハ」をキーワードにしてググって、「画像」のタブを選ぶと、こんな感じです。

夜景なので暗いものもありますが、全体的には中世の面影を残した美しい街並みの写真ばかりがヒットします。素敵な街です。ぜひ一度は行ってみたいと思います。でも、あたしが読んだ小説に出てくるプラハって、こういう感じではないのです。もちろん中世にタイムスリップしたかのような街並みは感じていましたが、こんな素敵な感じではないのです。

なんで、こうも印象が違うのか。そうです。ユダヤ人です。

上に挙げた作品はどれもユダヤ人が作品に非常に大きな影を落としているように感じられました。プラハと言ったらユダヤ人、それが定番の組み合わせであるかのようにユダヤ人が作品のあちこちに見え隠れします。不勉強で、プラハの歴史やその地におけるユダヤ人のこと、ほとんど何も知らないのですが、専門家にとっては当たり前の組み合わせ、プラハにとってユダヤ人は欠くべからざる要素なのでしょうか。

そんな気持ちを抱いて、こんどは「プラハ ゲットー」というキーワードで検索した画像が上掲です。いきなり色調が異なった写真ばかりです。そして、あたしがこれらの小説を読んでイメージしているプラハは、むしろこちらなんです。これが小説から喚起されるプラハという街です。

どちらもプラハなんですよね。やはり不思議な魅力をたたえた街だと思います。