若いうちは可能性に満ちあふれていると言われますが、逆に言えば、歳を重ねるといろいろと選択肢が狭まるということであります。最近、つくづく、そういったことを感じるようになりました。
いま、あたしは母と二人暮らしです。母は今のところ元気でピンピンしていますが、いつボケるとも限りませんし、ボケなくとも体がきかなくなる可能性だってあると思います。そうなると、あたしはいまのような生活を送ることは難しくなります。難しくなるどころか不可能と言ってよいでしょう。老老介護ではありませんが、あたしが働きながら母の面倒を見なければならなくなるわけです。
そんな余裕、どこにあるのでしょう? いや、余裕なんかなくても、やらないとならないのですよね。仕事を辞めるわけにもいきません。介護をするにしても、いろいろお金はかかります。自分が働いて収入を維持した上での介護なわけですから、介護のために仕事を辞めるというのは本末転倒です。
まあ仮に、母がこのまま元気なままで亡くなったとします。残されたあたしは一人暮らしになります。日常的な炊事、洗濯などはすべて母にやってもらっていましたので、それを自分でやらなければならない負担がのしかかってきます。いや、それは今までが楽をしていたわけだから当然と言えば当然です。それはなんとかしないとならないでしょう。やるしかないです。
問題は、ふだんは母に任せっきりでほとんど交流のない近所づきあいの方でしょうか? このままいくと、孤独死、孤立死が現実味を帯びてきます。一応、親戚として妹夫婦はいますが、静岡在住ですから、何かあったときにすぐに駆けつけてくれるわけではありません。あたし一人でなんとかしないとならないわけです。そういう事態に陥ったときに、果たしてあたしは体がまともに動くような常態なのか否か、なってみないとわかりません。不安がないといえば嘘になりますが、今から考えても仕方ないことでしょう。
こういうことになるから、多くの人はパートナーを見つけるわけですね。離婚した人も、一人で迎える老後は不安だから再婚を真剣に考えるのでしょう。確かにその気持ち、わからなくはないです。ただ、あたしの場合、人付き合いが基本的にできないタイプなので、いまさら結婚など、どうしたらできるのか、という気がします。
その結婚ですら、例えば、今から本気考えて実現しようと思った場合、相手はいくつくらいの人になるでしょうか? 相応に考えれば、そこそこの年齢の方になるのだと思いますが、そうなると(失礼な書き方になるかもしれませんが)現実問題として、二人の間に子供を作るということは考えにくいでしょう。かといって、子供を作れるほど若い人と結ばれる可能性があるかと問われれば、そちらの方がはるかに低い、ほぼゼロ・パーセントではないかと思います。
で、あたしみたいに子供が好きなタイプにとって、子供を作らない(作れない?)のに結婚する意味ってあるのか、という疑問があります。子供だけが結婚ではない、という人も大勢いますし、そういう考えがあることも理解していますが、あたしはそうではありません。やはり結婚するからには子供が欲しいと思います。
そんな歳まで恋人の一人も作れなかった人間が何を言っているんだ、と言われそうですが、そう思っているのですから、こればっかりは如何ともしようがありません。となると、消去法で考えていくと、結婚は諦め、孤独死へ向かってひた走る人生後半を甘んじて受け入れるしかないようです。
いや、それならそれで仕方ないか、自分が選んできた人生なんだから、という諦観はあります。ただ、そんな風に考えたときに、ああ、これが歳をとると選択肢が狭まるということか、と実感されるのです。残されたオプションとしては、子持ちバツイチの人と結婚するという形でしょうか? 他人の子供を愛せるの、というもっともな疑問も出てくるでしょうが、そもそも自分の子供がいないわけですから、そしてたぶんその結婚相手との間に子供をもうけることもないと考えれば、他人も何もないです。たぶん愛せると思います。
が、そもそも問題なのは、あたしが子供だろうが大人だろうか本気で他人を愛せるのか、ということかもしれません。