昨晩の隅田川花火大会にまるで関心のないあたしは江戸っ子とは言えないのだろうか、という件について

このところ昼間もそうですが夜も暑いです。あたしが寝ている部屋はもともと納戸だった部屋で、つまりは部屋と言うよりは物置、せいぜい2畳程度の広さ(狭さ?)しかなく、窓も小さいのがあるだけのものです。ですから、クーラーなんて付いていません。付けようにも付けるスペースがありません。辛うじて壁掛けの扇風機を設置し、それを回しております。

夜中に暑さで目が覚めると、枕元の時計を観ます。夜行性なので真っ暗な部屋の中でも見えます。そして時刻だけでなく、温度と湿度も表示されているのですが、それがこの数日は真夜中だと言うのに「32度」とか「33度」といった数字を表示しています。「見るんじゃなかった」と思ってももう遅いです。見てしまったものは取り消せません。そんな数字を見てしまうと、実感以上に暑く感じます。

もちろん、外気はもう少し涼しい(?)のでしょうし、あたしの部屋の小さな窓だって開けてはいますが、なかなか外の空気との循環ができているわけではなく、室内はそんな気温になっているのです。夜中に目が覚めて「いま何時かな?」と時計を見てしまうのは既に癖のようなもので無意識にやってしまいます。そんなとき、小さな時計の盤面に表示されている温度表示にまで視線が向いてしまうのもやむを得ません。

せめて夕方に一雨来れば気温も下がって寝やすい夜になると思うのですが……。そう言えば数日前、東京は世界で一番暑い都市だというニュースを読みました。気温だけを見ればもっと暑い(高い)都市はいくらでもあるようですが、湿度ですとか、コンクリートに覆われた照り返しなど、東京ならではの暑さは格別なようです。そして特に大きかったのが「夜間に気温が下がらない」という点。これが東京をして世界でもっとも暑い都市にしてしまっているようです。

そんな東京の夜ですが、昨晩は隅田川の花火大会でした。

火事とけんかは江戸の華と言いますが、江戸の風情を今に伝える隅田川の花火大会という触れ込みなのでしょうか、毎年テレビ東京が生中継していますよね。あの意味がわかりません。花火をテレビで見て何が楽しいのでしょう。一発、二発の映像をニュースとして見るぶんにはわかりますが、二時間も生中継ってわけがわかりません。

ちなみに、あたしは隅田川の花火大会は見に行ったことはありません。行きたいとも思いませんし、テレビの中継も見たことはありません。自宅のベランダや窓から花火が見えるというのであれば「ああ、やってるな」「きれいだね」と眺めるくらいはするでしょうが、わざわざ会場に行ってまで花火を見ようとは思いません。

ですから、あたしは花火大会って見に行ったことがありません。小さいころ、うちの家族と親戚の家族と一緒に矢切の渡しのあたりの花火大会を見に行ったことがあったかな、という程度の記憶があります。場所はうろ覚えなので、全然違うところだったかもしれませんが。で、その時の感想は、確かに目の前に打ち上がる花火は大きくて迫力がありきれいでしたけど、あれを毎年見に行きたいかと聞かれれば、いえ結構です、と答えるでしょう。実際、その後は行っていません、どの花火大会にも。

あたしの場合、花火大会が嫌いと言うよりも、お祭り自体が好きではないのですよね。「にぎやかで楽しくて、屋台とかも出ていて面白いじゃない」と言われれば、確かにその通りですが、そういうのが鬱陶しくて面倒で、いやなのです。幼少のころ、巣鴨の地蔵通りに住んでいたので、毎月三回、4の付く日に縁日があり、昨今ほどではないにしても、当時もそれなりに賑わっていました。もちろん屋台も出ていました。そんな縁日を楽しんだ記憶もたくさんありますが、小さいころにそれだけ経験していますと、もう飽きてしまいます。ふだんは楽に買い物ができる商店街が、4の付く日だけは人出が多すぎて歩くのもたいへんだったりすると、もう嫌になります。そんなこんなで徐々に縁日が嫌いになり、祭りが嫌いになった、というところでしょう。

小学校、中学校、高校と嫌われっ子だったあたしには、「お祭りに行こうよ」「花火見に行こう」と誘ってくれる友達はいませんでしたから、学生時代も祭りに行く機会は皆無でした。もちろん浴衣のカップルなんていう図は、あたしにとっては夢のまた夢、現実に起こりうるとはとても思えません。きっと、これからの残りの人生も同じでしょう。もちろん、もともと出不精なあたしですから、一人で行こうという発想もありません。なんでわざわざあんな人混みに出かけて行かないとならないの、というのが正直な気持ちです。

と、まあ、あたしはそんな風に祭りが好きでなく、縁日も好きではない大人になってしまったわけです。でも、よーく考えると、縁日が嫌いになった理由にはもう一つ、トラウマと言えるような体験があります。

上述の地蔵通りの四日市のことです。当時、JR巣鴨駅側から地蔵通りに入ってすぐのあたりの炉端でアコーディオンを弾いているおじいさんがいました。大帝は片足がなく、骨組みだけの義足を付けていました。いまだからこそ「傷痍軍人」だとわかるのですが、当時は四肢が揃ってなく、悲しげにメロディーを奏でるあのおじいさんたちが怖くて仕方ありませんでした。「あの人たちはだあれ?」と親に聞くこともできず、一人心の中で震えていたわけです。

縁日というと片足のない怖い人が現われる日、という印象というか、刷り込みが出来上がってしまったのではないかと思います。