お薦めするか否か

光文社古典新訳文庫の『赤い橋の殺人』読了。

なんでも訳者である日本人研究者が再発見した幻の作品なのだとか。オビなどの惹句もちょっと面白そうという感じがしましたし、フランス文学なので一応は読んでおくか、という気持ちで手に取りました。

内容は、貧乏な境遇から成り上がったクレマンが些細な会話から冷静さを失い、徐々に追い詰められて最後には過去の殺人事件を告白するというストーリーです。この小説の文学史における位置づけなどは訳者解説が詳しく書いていますので、あたしがここで述べるよりもそれを読んでいただいた方がよいでしょう。この作品に対するプラス評価はすべて訳者解説に譲りますので、ここではあたしなりの不満点をあえて述べてみたいと思います。

まず、クレマンの人物造型が理解しづらいです。無神論者でどうしようもない悪漢のように設定されていますが、そこまでの陰影が足りないです。なぜそういう人物になったのかという点も突っ込みが足りないと思います。ですので、パーティーの席でのある殺人事件の話を聞いて動揺するところも唐突すぎると言いますか、これだけの悪党であればあの程度の世間話でうろたえるというのはおかしいと感じてしまいます。

次に探偵役と、解説では書かれているマックスも決して探偵ではなく、単にクレマンの話を聞いているだけの存在です。なんかおかしいな、とは感じるものの謎解きを積極的にしようという姿勢が見られるかというと、決してそんな感じはなく、友人クレマンに悩みがあるなら聞いてあげよう、くらいの立ち位置に感じられます。そして誰からも嫌われるというかつてのクレマン(←ここも、なぜ嫌われるのか、嫌われるほどのイヤな奴だったのかの描写はほとんどありません)に対し、どうしてここまで友情を貫くのか、そのあたりの事情もマックスの人となりもわかりづらいです。

基本的にはかつて殺人事件を起こした男が、そのときに奪った金を元に成り上がり、それなりの名士となったが、事件の発覚を恐れ徐々に平静さを失っていく物語という流れの中で、みょに細々とした描写がなされているところもあれば(←このあたりは、個人的にはゾラの作品に似たものを感じました)、かなり端折ってしまっている部分もあり、登場人物それぞれをもっと丹念に描けば、この倍以上の長さの作品になったのではないかと思いますが、より面白く、謎に満ちつつも、犯人にも共感の出来る作品になったのでは、という気がします。

以上、かなり辛口、辛辣なことを書いてしまいましたが、それは褒め言葉は訳者みずからが巻末の解説で書いているので、それ以上褒めそやしても仕方がないと思ったため、そしてあまり褒めすぎて、この本を読んだ方が落胆してもいけないなあと思ったからです。

ただ、この作品は、上に書いたような、あたしなりに感じる欠点はあるものの、この時代を考えるとやむを得ないのかな、実験的な作品なのかな、という気がします。情景描写の詳しさだけを求めるのであれば先行作品も多々あるでしょうが、推理小説、謎解きの要素を盛り込むとなると、ようやくポーが登場したような時代ですから、まだまだ不十分なものであたとしても仕方ないのではないでしょうか?

そのような意味では、謎解きとしては極めて単純で短絡的な事件しか起こっていませんので本格的とはとても言えませんが、ヨーロッパの推理小説史の中に位置づけて読むべき作品なのだろうなあ、と思います。そして訳者解説によると、この作品は小説(書籍)としてではなく、当初は上演されて受容されていたとのこと。そう考えたとき、肝心なところだけをテンポよく取り出して話を進めていくこの作品は、確かに演劇向きの作品ではあるかな、という気もしました。