勝手に「おふらんす強化月間」やらなくちゃ?

文庫クセジュの『十九世紀フランス哲学』読了です。

何で読み始めたかというと、あくまで個人的な興味です。別にこの時代に詳しいわけではありません。いえいえ、フランス哲学について詳しいわけではありません。むしろ何も知らないと言った方がよいくらいです。だから、逆に読んでみたくなりました。なにせ、十九世紀のフランスと言えば、文学・芸術の世界は綺羅星の如く大スターがたくさんいます。それに比べると哲学の分野ではこれといって見るべきものが見当たらない、というのが通説。

確かにこのあたりの西洋哲学を思い出してみると、18世紀以来、カント、ヘーゲルなどドイツ哲学が主流で、さらにマルクスやニーチェ、ショーペンハウアーなど、どれもフランスではありませんよね。この本を読む前に少し年表を繰ってみたのですが、コント、トクヴィル、それくらいしか有名どころはいない、いや、これですら一般的な西洋哲学史の中では扱われていないかもしれない当落線上の人物でしょう。

でも、十九世紀のフランスの歴史を年表で見てみると、大革命を受け、帝政や共和政、王政がめまぐるしく入れ替わります。こんな歴史を前にして、人々が何も考えないわけはないんです。革命は成功だったのか、革命がもたらしたものは何だったのか、といった問いかけが当時のフランス知識人の中には必ずあったはずです。ですから、当時のフランスの思想界が面白くないわけがない、そう思って読み始めました。

結論から言いますと、予備知識のないあたしには、かなりハードルの高い本でした。でも、この時代(大革命から第一次大戦まで)のフランスの思想界を引っ張った人物は一通り網羅されていると思いますし、特にどちらかに偏った記述になっていると言うことはなく、至極平明に、そして構成に記述されているのではないかと思います(←基礎的な知識もないくせに偉そうに言うな?)。文献や思想の核心などもうまく本文の中に取り上げられていて、ここに書かれていることくらいを押さえておけば、十九世紀のフランスの思想界についてはもう十分ではないでしょうか? ただ、あえて本書の書名と異なって、あたしが思想というのは、読後感としても、これらを哲学と呼ぶよりは思想と呼ぶ方がふさわしいのではないかと感じたからです。「十九世紀フランス思想入門」とした方が内容をよく表わしているのではないかと感じます。

それにしても、今回読み終わって改めて気づかされたのは、ドイツはプロテスタントの国、フランスはカトリックの国だという違いです。案外、歴史とか文学とか、もちろん思想でも、こういうベースになる部分の際というのを押さえておかないと、肝心なところで読み誤るのではないかという気がしました。わが恩師が、中国人は出身地に注目せよと教えてくれたことが思い出されます。表立ってで来ないけれど、厳然としてある立ち位置の違いとでも言うのでしょうか、そんな感じです。

あと、実はあたしの勤務先で既に品切れとなっているのですが、本書を読んだなら、同じく文庫クセジュの『フランスにおける脱宗教性の歴史』を読まないといけないと気づかされました。本書の中にもライシテ、政教分離という言葉が何回も出てきます。当時のフランス思想界の一つの重要なポイントだったのでしょう。

それにしても、フランス史の大きな流れ、主要な人名、作品名、きちんと勉強しないとなりませんね。少し前に岩波新書の『フランス史10講』を読んで、自分のフランスに関する知識の不足を嘆いたばかりですが、これは本格的にフランス史を勉強しないとならないようです。一人で勝手に「おふらんす強化月間」をやるとしますか!

さて、最後にこの『十九世紀フランス哲学』について注文を付けるとすれば、もう少し実際の政治の動きや歴史の流れと、各人の思想を結びつけた記述が欲しかったです。それぞれの思想の説明もなかなか消化できなかったのですが、それらがどうしてこの歴史的背景の中で出てきたのか、どういう政治状況の中から生まれてきたのか、そのあたりの説明がほとんどなされていないので不満が残ります。

あたしが専門だった中国思想では、一部例外もありますが、基本的に思想は政治思想であり、経世済民ですので、認識がどうの、神がどうのといった七面倒くさい議論に入ることはあまりなかったので……(汗)