転向したの?

月曜日から出ていた出張も終わり自宅に戻りました。ふだんは午前中は社内で雑務に追われ、いや、雑務と言ってはいけませんね、大事なお仕事です。つまり午前中は社内でやるべき業務に追われ、書店回りは午後からということが多いのですが、出張に出ると「社内」が存在しませんので午前中から書店回りです。年に数回の関西訪問ですので、やはりふだん見慣れている東京の書店とは違って、新鮮な目で棚を見ることが多々あります。社内業務を気にせず午前中から回っているという気持ちの違いも多分に影響しているのだとは思いますが。

そんな書店回り、ニュースとかでは聞いていましたが、改めて世間の「嫌中」本の多さに驚きました。最近のわが勤務先は『北朝鮮 14号管理所からの脱出』といった本を出しているので、かつてだったら見ることもあまりなかった、社会の海外事情の棚を見ることが多くなりました。当然、すぐ隣には中国関連の本が北朝鮮の何倍もの物量で置いてあります。まあ、日本と関わる度合いから言って、出版される書籍の量にこれくらいの開きがあるのは当然で、むしろ開きが少ないのでは(?)、北朝鮮モノも十分健闘していると言ってよいのかもしれません。

そんな物量比較はおき、問題としたいのは嫌中本です。露骨な嫌中本から、中国崩壊論まで、実にバラエティ豊かです。著者はジャーナリストなどのライターがほとんどで、センセーショナルに書けば書くほど読者が喜ぶということを知っているような人たちです。そんなたくさんの本の中、今回目に付いたのは以下の書籍です。

  

日本人は中韓との「絶交の覚悟」を持ちなさい』『日本人の恩を忘れた中国人・韓国人の「心の闇」』『日本人は中国人・韓国人と根本的に違う』の3点です。見事に三つ、並んで面陳されている書店がほとんどでした。そして、この三人の著者の名前もこの書籍以外でもよく見かけますね。よくもこれだけ何冊も、中国や韓国の悪口を書けるものだと感心しますが、その一方、よくもまあ飽きもせず同じ著者に原稿依頼をする出版社があるものだと、同じ業界、同業者ながら感心を通り越して呆れてしまいます。

いや、まあ言いたいことを表明するのは、言論の自由が保障されている日本ですから構わないと言えば構わないのでしょうが、こういうのって一種のヘイトスピーチにならないのでしょうか? 「出版や言論の自由は制限されていることが普通」と考える中国から見れば、日本は国を挙げて反中国の運動を行なっている、中国の愛国教育を批判する資格などまるでないじゃないか、と言われても仕方ないのではないでしょうか?

で、言論・出版の自由の問題はさておき、この三点の書籍で気になったのはその出版社です。はい、本を見ればわかりますね、徳間書店です。徳間書店と言えば、あたしが学生の頃に「中国の思想」というシリーズを刊行し、現在もそのいくつかは徳間文庫となって、それなりの支持を得ている本を出していた出版社です。この「中国の思想」は、その後「史記」「十八史略」「三国志」と、同じスタイルで刊行され、あたしの進路に決定的な影響を与えた書籍たちでもあります。

当時既に「ビジネスに活かす孫子」といったような本がかなり出回っていた時代で、そういったビジネス活用本に飽き飽きしていたあたしは、純粋に古典として中国の名著に触れられるこのシリーズがとても気に入っていました。特に巻頭の解題が一般向けにしてはかなり専門的なことをわかりやすく書いていて、いまでもそれぞれの古典について概略を知るのであれば十分なレベルを保っているものだと思っています。

また徳間書店と言えば、これら以外にも同じような体裁で、中国や日本の古典を扱った函入りの古典シリーズを何冊も刊行していて、実はあたしはそのほとんどを所持しているのです。どれも、「ビジネス」向けではなく、教養として古典を読みたい人向けの書籍で、書店でも「社会・ビジネス」ではなく、「人文・東洋思想」などに置かれている、置かれるべき本でありました。更には、映画「敦煌」など中国映画の大作も手がけていて、中国関係の展覧会の後援なども積極的に行なっていたと記憶しています(映画は当時徳間書店の子会社、別会社がやっていたのではないかと記憶しています)。

そんな、そんな徳間書店が、今では書店の棚をリードするかのように嫌中本を出版しているなんて、あたしには信じられません。あのころの徳間書店はどこへ行ってしまったのでしょうか? 徳間書店に何があったのでしょうか? そして、今後も上に挙げたようなすぐれた古典シリーズは存続するのでしょうか? とても好きな出版社だっただけにとても残念です。