パンダだからこそ

パンダが来た道』読了。

本書の副題は「人と歩んだ150年」です。しかし、本書を読むと「人と歩んだ」のか、それとも「否応なく歩かされた」のか、はたまた「人につきまとわれた」のか、いろいろ考えさせられます。

パンダなどを知らないヨーロッパ人が初めてパンダを見たら、その動きといい、毛皮の色といい、一瞬で虜になってしまうのも理解できます。そしてそれは捕獲してヨーロッパへ持ち帰ろうとする気持ちもわかります。あの頃のヨーロッパ人はアフリカでもアジアでも現地のことのなどお構いなし、自分たちのやっていることはすべて正義だと言わんばかりの行動でしたから。

しかし、じきに生態調査、保護、繁殖といった動きが生まれ、世界の野生動物保護のシンボルにまで上り詰めます。現実問題として、現段階でパンダは保護しないと絶滅が危惧されるような動物なのか、いったい野生のパンダは何頭生息しているのか、まるっきりわかっていないようです。それでも野生動物保護という国際的な運動においてパンダが果たした役割というのはあまりにも大きいものです。ロゴマークとしても白と黒の模様はモノクロ印刷でも問題なしという現金なところから、実物のパンダを見れば(特に赤ちゃんパンダなど)、ほとんどの人を魅了する愛くるしさなどはシンボルとするにふさわしい動物でしょう。

本書は、このように世界中で愛され、大事にされるパンダが、それでもまだ解明されていない問題が多いことを教えてくれます。パンダほど世界中の関心を集め、資金も集め、多くの学者が研究している動物ですらこの有様です。パンダのようにメジャーでない動物、愛くるしくはない動物の研究の現状を想像すると暗澹たる気持ちになります。

本書を読んでいて、パンダよりももっと過酷な状況に置かれ、実際に絶滅が危惧されているにもかかわらず、ほとんど世間の関心も資金も集めていない動物を大賞に活動している人々の怨嗟の声が聞こえるような気がしました。「パンダは恵まれているよなぁ」という恨みに満ちたつぶやきです。

そういう声を聞きつつも、全体の底上げを図るためにもパンダのような人気を博すシンボル的動物の役割というのは大木のではないか、パンダにもっともっと引っ張ってもらわなければ、という気持ちも起こさせます。

「パンダが来た道」は「多くの動物が、いま歩んでいる道」でもあるのでしょう。そして、そんな道など見当たらないたくさんの動物たちもいるのでしょう。