スピノザの妬み

来るべき民主主義』を読み始めました。

小平市の都道建設の是非はともかく、一小平市民としてこの本は読んでおくべきだろうと思ったのがきっかけです。もちろん、問題となっている雑木林、鷹の台の駅を出て、広い公園を抜けて津田塾大学へ向かう途中、その津田塾大学の向かいが雑木林ですので、何度も通ったことのある場所です。

さて、本書の初めの方で國分さんはスピノザの妬みについて注釈を付けていらっしゃいます。そこがちょっと気になったので取り上げてみたいと思います。別に國分さんの主張に文句を付けるとか、スピノザの解釈が間違っているだなんて大それたことを言おうというのではありません。

問題の注は第二章に付された14番目の注です。同書243ページで國分さんは

特別なことの利益を享受した人間は、特別な人間でいてくれないと困るのだ。もしその人間が自分と同じ立場の普通の人間ならば、自分と変わらないにもかかわらずその人だけ特別なことの利益を享受して「ずるい」と感じざるをえないからである。そう感じた時に人は、その「ずるい」人間を引きずり下ろそうとする。

と書いています。この文章に間違いはないのですが、あたしはちょっと違います。少なくとも、そんなとき、あたしならこう思います。

つまり、妬んだりしないし、引きずり下ろそうとも思わない。ただ、自分と同じ立場の普通の人が特別なことの利益を享受しているのを見たら、自分はそんな普通の人以下なんだ、普通ですらないんだ、と自分を卑下するようになると思います。もう「ずるい」なんて思って妬む元気も気力も喪失している感じです。

あたしに限らず、昨今の日本の若者って、こんな感じではないでしょうか?