亜紀書房の『誰にでも親切な教会のお兄さんカン・ミノ』読了。
本作は同社が刊行中の《となりの国のものがたり》シリーズの4冊目、最新刊です。「となりの国」というのは韓国のことで、韓国現代文学のシリーズになります。これまでに既に『フィフティ・ピープル』『娘について』『外は夏』の3冊が刊行されていました。
写真の4冊はすべて架蔵本です。つまり、あたし、結局全部買ってしまいました、そして読んでしまいました。韓国文学と言うとフェミニズムと思われがちですが、このシリーズはそういうものとは異なる作品も収録されていて、韓国文学の別な一面が垣間見られます。
4冊をすべて並べてみると二枚目の写真のようになりますが、決して派手ではないもののどれも印象的なカバーです。シリーズとしての統一感よりも、作品ごとの雰囲気を優先しているようです。一枚目の写真をよく見ていただければわかるように、背の上部にシリーズ全体のロゴマークが入っているのが唯一の決まりのように思えます。
それにしても、世の韓国文学ブームに乗って、あたしもこの数年ずいぶんと韓国文学を読んでしまいました。このシリーズだけでなく、晶文社の《韓国文学のオクリモノ》シリーズも実はコンプリートしていまして……(汗)
それにしても各社がこうして手を変え品を変え、趣向を凝らした韓国文学のシリーズを出してくれるのは韓国文学ファン、海外文学ファンにとってはとても嬉しいことですね。ある程度読んでみると、韓国文学の特徴というのが見えてくる気もします。フェミニズムを別とすれば、日常生活のちょっとした隙、ひび割れ、落とし穴みたいなもの、あるいは登場人物が思い煩う不安感、陥ってしまう不条理な現実。そういうものが描かれがちなように感じます。それは、翻訳者や出版社がそういうものを選んで翻訳しているからなのか、あるいは韓実際にそういう作品が多いのか? どうなのでしょうね?