『フィフティ・ピープル』読了。
ソウル郊外とおぼしきベッドタウンに立つ大きな総合病院。そこに働く人、患者としてやってくる人、病院の近所に住む人、そしてそういう人たちと何らかの関わりがある人、全部で五十人以上の人たちがうっすらと繋がっている短篇集です。
これだけの登場人物がいると、全員ががっつり関わり合うということはありえず、本当にうっすらとした関係です。でも、最後の最後、地域の一大危機に直面して、それぞれがお互いに出来る限りのことをして危機を脱しようとする奮闘する姿、出来過ぎのように感じられるのは恐らく著者の願望が混じっているからではないかと思います。
実際には、登場人物たちのエピソードには解決困難な問題が多数横たわっていて、それがこの後解決されるのか不明です。希望を持たせるようなエンディングが全員に用意されているわけでもありません。むしろ訳者あとがきにもありましたが、過ぎ去ってしまうと些細なこと、誰も覚えてすらいないこととして葬り去られてしまうのかも知れません。
それではいけない。おかしいことはおかしいと声を挙げないと。小さな力だけれど合わせればあの危機を乗り越えることが出来たではないか、そういう著者のメッセージが聞こえてきます。
さて、読み終わったので次はどうしましょう? 同じシリーズの2冊目、『娘について』へ進みましょうか?
しかし、このところちょっと韓国ものが続いていたような気がするので、ホームグラウンドである中国へ戻りましょうか?
幸い、『中国奇想小説集』という興味深い新刊が刊行されたところですし。井波さんの中国ものを読むのも久しぶりな気がします。古典ですので、現代社会に惹きつけて読んだり考えたりせず、気楽に、それこそ「気晴らし」に読めそうです。
あるいは台湾もの『我的日本 台湾作家が旅した日本』にしようかしら?
こちらは小説ではなくエッセイです。特に台湾の作家たちが日本を訪れた時の見聞記ですので、身近であると共に思わぬ発見があるかもしれません。
ひとまず、中国ものの2冊を読んでからまた韓国へ戻ることにしようと思います。しかし、その間に東アジアを雄飛して欧米や南米に飛び立つことがあるかもしれませんが、それはそれでまた面白いのではないでしょうか?