『自転車泥棒』読了。
まずは、これが遺作と言いますか、恐らく出版されたものとしては最後の仕事となったであろう訳者・天野健太郎さんのご冥福をお祈りします。
さて『自転車泥棒』です。多くの人は映画の「自転車泥棒」を思い出すのかも知れませんが(それすら思い出さない人も多いかも知れませんが……)、本書は台湾の呉明益の作品です。自転車とともに失踪した主人公の父親、その行方と失踪理由を主人公が追いかけるというのが大きな流れです。そこに台湾の自転車マニアや古物商などさまざまな人が絡み、また父の人生をたどるうちに知ることになる戦争中のこと、戦後の台湾のこと。そういった諸々が絡み合った骨太な作品です。
先に翻訳された『歩道橋の魔術師』が連作短篇であったのに比べると歯応えはバッチリです。
しかし、両作品とも、かつて台北駅前にあった「中華商場」が舞台となっている(『自転車泥棒』の主人公一家もかつて住んでいた)ので、両書は姉妹篇的な読み方ができます。否、中華商場という場の持つ雰囲気をあらかじめ知っておくためにも、『歩道橋の魔術師』を読んでおくのがよいと思います。
その一方、本作では上述したように、日本統治時代の台湾も描かれます。台湾島のみならず、日本軍の侵略にあわせ、東南アジアや南洋の各地も本書の重要な舞台となっています。高座の海軍工廠も出て来ます。
なので、台湾を統治している日本軍という点では、甘耀明『鬼殺し(上)』『鬼殺し(下)』などを併読するとよいと思います。呉明益、甘耀明といった台湾の中堅実力作家たちが、共に日本統治時代の台湾を舞台とした作品を競うように書いていることに不思議な縁を感じます。
そして、日本軍として南洋戦線へ赴いた台湾人、特に先住民について手軽に知りたいのであれば、平凡社新書『日本軍ゲリラ 台湾高砂義勇隊』を、更に『自転車車泥棒』には、登場人物の一人が日本で戦闘機を作っていたというシーンも出て来ますが、そのあたりの事情であれば『僕たちが零戦をつくった 台湾少年工の手記』を一読されるとよいかと思います。
そして、そんな台湾の近現代史、日本統治から国民党統治時代にわたる苦難の歴史については、『自転車泥棒』『歩道橋の魔術師』と同じく天野健太郎訳『台湾海峡一九四九』が何よりも参考になるでしょう。
もちろん、この時代を扱った、いまや古典とも言える司馬遼太郎『台湾紀行』も忘れては行けないと思いますが。
本書の感想を一言で述べるのはとても難しいのですが、あえて言うのであれば、タイトルに反し本書の中で自転車は一度も盗まれていません。むしろ託されたと言うべきでしょうし、本書は一台の自転車を通じて紡がれた台湾史なのだと思います。